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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十九章
1560/1590

アグリコーラ市街戦 Ⅱ

 直接的な敵では無い。

 だが、進軍は遅くなる。

 住民を庇護し、後ろに回し、念のため監視もつければ兵力も減ってしまうのだ。


 ただ、言っていることは戦闘に巻き込まれたくないと言う嘆願やせめて幼い子や年老いた親だけは、と言ったモノ。アレッシアを統治しようと思えば、見捨てることは出来ない者達だ。


(この機を突いて潰しに?)

 いや、どの部隊からもそのような報告は無い。

 大小の差はあれども、助けを求めに来ている者がいる。そして、その数は瓦礫の無いところの方が多い。


 普通であれば、戦闘があった場所の近くの者達が最も多くなるだろうに。


 意味するところは逃げまどった結果、第三軍団に近づいてきたのか。それとも、ティツィアーノの計略の一部か。

 守る物を何も持たずに、となると後者の可能性の方が高い。住民に怪我も無いのだ。戦闘痕は見つかっていると言うのに。


「狙いは時間稼ぎ、ですか」

 行き先はウェラテヌス別荘か。

 それとも、別荘へとの痕跡もマシディリの意識を割くための囮か。


「マシディリ様!」

 下がれ下がれ、と乱暴な声が前から聞こえてきた。


 体中を汚した兵が、何人かは血の滲んだ鎧を着た兵が剣を振り、住民を強制的に退けながら近づいてくる。

 先頭は、アリスメノディオ・イロリウス。横にはアミクスもいる。


「アグリコーラを守れとの命、守り切れずに申し訳ございません」

 言うアリスメノディオの膝は曲がっていない。頭の位置も、当然変わっていなかった。


「構いませんよ」

 多分、ラエテルからの命令だろう。

 そして、ラエテルも守り切るのは不可能だと分かっているはずだ。状況が分からない中での、最善を考えた命令であろう。


「乱入してきた者達は、どちらに?」

「アグリコーラの財物庫に行った者と、港に向かった者がいるようです」

 どちらにせよ、最終目的地は港か。


「クーシフォス。二千を率いて財物庫までを制圧してきてください」

「かしこまりました」


「プラントゥム以来の一千を除く者達は港へ。アリスメノディオ、アワァリオ、カウヴァッロ様も同行してください。プラントゥム以来の一千は、私と共にウェラテヌスの別荘まで向かいます」


(せめて、高官があと一人いれば)

 これで港の前に陣取られていたら第三軍団は負ける。

 そう分かっていながら、マシディリはさらに各隊に細かく進軍路の指示を飛ばした。


 アグリコーラの地形も頭に入っているのだ。どの道が良いのか、あるいはどこが遅れたらどうなっているのか。どれぐらいの兵数がいれば止まることになるのか。


 その全てを伝えられずとも、アリスメノディオ、アワァリオ、カウヴァッロらにも分担して伝えながら、混乱なくプラントゥム以来の狂兵一千を隊列から抜く。


「住民の対処に半数を割くことになっても、もう半数は必ず定刻までに港に連れてきてください」


 そして、自らは走る。

 行き先は別荘。途中までは混戦の跡があったが、途中からは何もなくなった。綺麗なままだ。やはり、マシディリの意識を割く行動だったのだろう。そして、マシディリが向かったことである意味では達成されたと誤認するかもしれない。


 緊張が満ちる。


 前の兵からだ。


 周囲の者を手で制し、マシディリ自ら前へ。


 プラントゥム以来の兵が道を開ける。その中を、紫のペリースを翻しながら歩いた。止まることなく、最前列まで。


 最前列の先、一千の兵の目の前では、別荘の前に陣取る者達が軽装のまま盾を構え、密集していた。手には槍。あるいは、棒に剣を括りつけただけの簡易的な槍を持っている。


「私の顔も忘れましたか?」


 いつもより少しだけ声の速度を落とし、一音一音はっきりと伝える。

 盾から、ひょこひょこと頭が浮き出した。


「マシディリさま?」

 最初の声は、疑問形。


「マシディリ様だ!」

 次に、大きな声。

 大きな声は次々に伝播していき、爆発していく。


「マシディリ様!」

「よくぞ御無事で!」

「あれ? マシディリ様って死んだんじゃ?」


 一部、ありもしない噂も流れていたようだが。

 マシディリは気にしていないと言わんばかりに朗らかに笑い、手を挙げて男達に近づいた。男達も盾を下ろし隊列を崩して迎え入れてくれる。

 そのまま、別荘まで。


「兄上!」

 別荘に踏み入れば、チアーラが素っ頓狂な大声を上げた。

 大きく開けた口元を手で隠したと思ったら、すぐにぺたんと足が地面に広がる。


「遅くなってごめんね、チアーラ」

「遅い! 本当に遅い! 誰も来ないんだから、遅い!」


 ぎゃいのぎゃいのわめく次妹に苦笑を返しながら、手を差し伸べる。ただ、チアーラは頬を膨らませて唇を尖らせるだけだった。


「チアーラ?」

「立てる訳無いでしょ! 腰、抜けちゃったんだから!」

「それは、ごめんね」

「本当よ! こんな、訳の分かんない状態で。兄貴が死んだって聞いて。皆がどうなったかもわからないまま、昨日なんて戦いが始まっていたのよ! 兄上はもう死んだとか、家族どころか関係者含めてアレッシアの城門に飾られたとか、変な話も聞いて。私がどんな気持ちでいたか。分かる?」


「うん。ごめん」

「怖かったの!」

「うん。そうだね」

 ごめんね、とチアーラの頭を撫でる。


 二児の母にするような行動では無いかも知れない。チアーラも三十を超えているのだ。相応しくはないだろう。でも、マシディリにとってはいつまでも可愛い妹だ。


「立てない」

「ごめんって」


 謝りながらも妹の傍にしゃがみ、肩に妹の手を回す。

 立つよ、と言って、ゆっくりと立ち上がった。


「べルティーナさんなら、抱きかかえていたでしょ」

「そうしたね」

 やわらかく言いながら、建物の中へ。


「べルティーナさんは?」

「多分、生きているよ」

「会ってないの?」

 耳が貫かれるような大声だ。


 流石に窘めるような視線を向ければ、チアーラもばつが悪そうな表情を浮かべている。


「国家の敵ではあるからね」

「無視すれば良いのに。父上なら、無視して母上を連れ出したと思うよ」

「でも、もう解除されたと思うから」

「フィチリタもラエテルも分からないってこと?」

「そうだね。多分、皆無事だとは思うけど」

「どうして」

「ファリチェには会ったし、ラエテルからは伝令も来たからね」

「フィチリタは? レピナは?」

「フィロラードから兵の供出をしたいって連絡は来ていたよ。もう出発した後だったから無理だったけど」


 フィチリタは、分からない。

 言葉にはしなかったが、チアーラも分かってしまったのだろう。初めて沈黙が出来てしまった。


「兄上」

「ん?」


「臭いよ」

「あはは……。風呂に、入れていないからね」

「くさい」


 言いながらも、チアーラはさらに体重を預けてきた。

 その状態のチアーラをしっかりと椅子まで運び、座らせる。やってきたコウルスに「母上をよろしくね」と剣を預ける。変事は、伯父上くさい、であったが、安堵の笑みが偽りない本心を表していた。


「此処を本陣とします。ありったけの紙と葦ペンを集めてください。今はあるだけで細かな指示を書き連ねますので、クレオニスとタモス、レントゥルス、ヌルキウスは二百の兵を連れて港へと向かい、合流してください」


 文字の読み書きのできる奴隷も呼び、口述筆記の準備もさせる。

 マシディリの手は、もちろん別の命令を書き連ねていた。


「ゲルトモド、アンティオ、コンモド、ウェスパシ、トラヌス、トーリウス、タッテウスはすぐに兵の準備を。私と共に五百の兵で港まで行きます」


「別々で、ですか?」

 室内に一緒に入っていたゲルトモドが言う。

 プラントゥム以来の百人隊長だ。イフェメラとの戦いではあの汚い川に長く浸かっていたこともある。


「いえ。とっておきを。父上が用意した道を使います」

 口角を上げ、マシディリはにやりと笑った。

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