裏にあるモノの名は怒り
「それは困りましたね」
処女神の巫女たるシジェロが無垢な声を出して、如何にも女性らしく唸った。
「ええ。全くです。これからは半島の外にも目を向けねばならない時代。娘にマルハイマナの言葉を学ばせているラシェロ様ならばそのことをよくご存じだと思っていたのですが、本当に残念です」
エスピラもシジェロの調子に合わせた。
シジェロと二人で、うんうん、と頷く。
別に息が合っているわけでは無い。
「父にさりげなく探りを入れては見ますが、あまり期待はしないでください。何せ私は五歳の時より処女神に仕える身。家族と過ごす時間はほとんどありませんでしたから」
どことなく「エスピラ様と同じで」と聞こえるような言い方であった。
「私の妻も似たようなものです。幼き日より別邸で暮らし、家族には会えず、母に抱かれた記憶も無い。おかげでセルクラウスを誇りにしつつもセルクラウスにこだわっている様子も直接的な手段を除いて関わる影響力もありません。
ですが、シジェロ様は違います。今も手紙のやり取りを行い、ラシェロ様もシジェロ様を気遣っておりますし、何よりもこうして探りを入れると言う行いができる。
私と違って子供たちとの仲も非常に良好のようですしね」
エスピラはそんな『さりげない』シジェロからの好意を『さりげなく』否定した。
同時に、棘も見せる。
気が付くかどうかは分からない。だが、気が付くと言う確証はあった。
「エスピラ様も子供を大事にしていると聞いておりますよ」
「どこぞの誰かが仲を裂こうとしていましてね」
「良くない噂は神殿に居ても耳にしますが、エスピラ様がマシディリ様を後継者に指名したのは事実です。あまりにも目に余る行動は将来自分の首を絞めると思うのですが、どうなのでしょうか」
エスピラは音を殺して笑いながら、肩を揺らした。
「その言葉。しっかりと御父上にお伝えください。カリヨが嫁いだジュラメントとシジェロ様は従姉弟。父祖の名を貶め、誇りを穢すのであれば記録抹消刑まで強引に持っていきましょうか、とね」
記録抹消刑はアレッシアで一番重い刑罰である。
その名の通り、その人物が存在した証は全て消されるのだ。絵画からは顔が消え、粘土板の文字は潰れる。パピルス紙であろうと羊皮紙であろうと燃やされ、皿だろうと天井だろうとその人物に関することが書かれれば削り取られる。さらには墓も無く、父祖に並ぶことも許されないのだ。
もちろん、簡単になる刑では無い。
「それは恐ろしい話ですので父上のために釈明させていただきますと、エスピラ様を案じた可能性もあります。新たに最高神祇官となったアネージモ様は恩を仇で返したお方。エスピラ様にも応援していただいたことのお返しとして神祇官に就けたように見せかけ、その実権限を奪ったようなお方です。そのような状況ですから、エスピラ様の先行きを案じても仕方が無いことかと思います」
「それがリロウスに協力をする形で、と言うのなら壊滅的に政治センスが無いとしか言いようがありませんね。最高神祇官は纏め役であり、元老院との橋渡し。決して全ての神殿を配下にする役職ではありません。
折角占いの腕のある処女神の巫女が身内に居るのですから、そこを通じて各神殿の常駐神官に働きかけるのが最適解でしょう。
そのようにすれば、余計な誤解を与えることも無く他者の評価を下げることもありませんから」
「他者の評価、ですか?」
シジェロが口元にその白い手を当てた。
「家門と家門の繋がりを作るのが婚姻の役割。カリヨはそれに失敗したと後ろ指をさされかねません。仮にも、私に娘を差し出そうとした者がこれを行う? それは、私の妹を馬鹿にしている以外の何があるのでしょうか」
たっぷりと怒りを滴らせて。
エスピラは笑顔を固定させたままシジェロと視線を合わせ続けた。
「お待ちください。確かに、エスピラ様の言葉を信じたい思いはありますが父上がそのような愚行をしたという確証もまた無いのではありませんか?」
「これはおかしな。シジェロ様はその昔、何よりも私の味方だと、そのような趣旨の発言を致しませんでしたでしょうか?」
「エスピラ様。それでもって父を疑えとは酷い所業かと思います」
エスピラは細かく頷いた。
顔も尤もらしく納得したかのような表情に変える。
「それを聞いて安心いたしました」
「安心とは酷いですね」
エスピラは朗らかに。シジェロは少女のように。そして、二人とも声音と態度とは裏腹にうすら寒く。
「父祖を大事にするのはアレッシア人なら当然のことです。そのことが世俗から離れた巫女様にも適用されているのを知れたのは僥倖。何せ、私に近しい者の中には『ラシェロ殿を利用して』この状況を作り出そうとしたのではないかと邪推する者も居るものですから」
まあ、と丸くした口を隠すようにシジェロが左手の指を伸ばして口元に当てた。
「それは心外ですね。いえ、正直な話、傷つきました、と言うべきでしょうか」
シジェロが瞳を斜め下に逃がした。
眉は中央に寄り気味で、眉尻は下がっている。口ももう閉じられ、全体的に庇護欲を掻き立てられるような哀愁が漂っているようにも見えた。
(このような女性だったか?)
少なくとも、第一印象からは、六年前とは違うように見える。が、六年前はシジェロは十八歳。今や二十四歳。巫女としての経験も三倍になっているのだ。
人間、変わっていても不思議では無い。
「ですが、その、私がそのようにみられているのでしたら、本当にそうしてしまうのもありかも知れません」
頬を赤らめ、夢見る少女のように語りだしたシジェロを、エスピラは感情を排した瞳に映した。
シジェロとエスピラの視線は合わない。
「処女神の巫女には重婚も認められておりますし、私ほどの腕の巫女が今から六年後の話をしてしまえば、他の方も無下には出来ないかと思います。今の、過剰なエスピラ様への風当たりも変わるかも知れませんよ。何せ、処女神はアレッシアの守り神。その巫女である私の加護がウェラテヌスにも注ぐことになるわけですから。
アネージモ様もお考えを変えるかも知れませんね。自分が何を行っているのか、何をしてしまっているのか。理解できるかと思います」
(勝算あり、か)
直接、言葉を曲げずに欲望を言ってきたということは。
確かにその通りではある。
アネージモに奪われる形で今のエスピラにはほとんど神祇官らしい仕事は回ってこないが、後々『仕事をしなかった』と糾弾されることも有り得るのだ。加えて、今もなお誹謗中傷は起こっている。主にエスピラのいない場所でささやかれているとは被庇護者を使って証拠を集めているのだ。
シジェロとの婚約は、この問題を一気に解決できるだろう。
エスピラの敵たる人物を纏めて『神への裏切り者』に落とすことが出来るのだから。
魅力的な提案ではある。
(いや)
もしかしたら、とエスピラは考えを変えた。
「タイリー様も妻であるアプロウォーネ様を大層愛しておられましたが、政治的な判断もあり処女神の巫女であったパーヴィア様も妻に迎えました」
シジェロの顔色に変化は無い。
「ですが、妻とは言えタイリー様の愛情はアプロウォーネ様並びにアプロウォーネ様の産んだ子に多く注がれていたのは周知の事実でしょう。あのトリアンフ様でさえ法務官になっているのが何よりの証拠です。それを、パーヴィア様が面白く思いますかね?」
「何が言いたいのですか?」
「いえ」
エスピラは右手の人差し指を曲げ、唇に当てた。親指は顎。
「メルアを産んだあと、アプロウォーネ様が産褥を払えずお亡くなりになったのは、お亡くなりになって得した人物とは誰でしょうか、と思いまして」
「パーヴィア様、いえ、この場合、エスピラ様は処女神の巫女の存在そのものを疑っているのでしょうか?」
静かな口調に確かな怒りを滲ませてシジェロが言った。
目は見開かれ、瞬きの回数はほとんどなくなり。
感情の抜け落ちたに近い真顔でエスピラの顔を正面から捉えてきた。




