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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十九章
1559/1590

アグリコーラ市街戦 Ⅰ

 走り続ければ、夕方にはアグリコーラにたどり着く。


 しかし、それでは夜半の戦いとなってしまうのだ。敵が待ち受けている地に、敵味方の区別がつきにくい状態で突貫する。これほど厳しい戦いもそうそうない。しかも、敵はティツィアーノ・アスピデアウス。アレッシアでも有数の将軍だ。


 一方で、時間をかけるとそれだけティツィアーノによるアグリコーラ掌握が進んでしまうのも事実。伝令からの報告ではイロリウスが集められた兵は五百ほどでしか無く、乱入者は一万いると信じ込んでいる様子が伝わってきた。


 本当に一万いるかは分からない。

 ただ、アグリコーラの掌握にはさほど時間は要らないだろう。


 元々アスピデアウスの監督地なのだ。下地はある。しかも、チアーラを、正確にはコウルスを手中に収めればドーリスとの交渉の切り札にだってできてしまうはずだ。


 ウェラテヌスの当主をコウルスにして、ドーリスの主は狙わせない。あるいは、建国五門の一角にドーリスの影響力を、と嘯いて。


(どうする)

 迷いは一瞬。


 マシディリは、クーシフォスに対して撤退の伝令を走らせるとともに、アワァリオの連れてきた三十にカウヴァッロが連れてきていた三百を加えた兵だけを先行させ、アグリコーラの近くに駐屯させることにした。


 一方で、第三軍団は昼間には行軍を終え、早めの休息に入る。


 疲れもあるのだ。

 休みを許可された兵は、一瞬で眠りに落ちている。


 そう。決断は翌日の入場。一日の時間をティツィアーノに与えると言うモノ。第三軍団の損失を最小限に抑えるための判断。


 だから、動き出すのもまだ暗い内。

 迷いようがない半島での道を暗闇の内から走り抜け、朝陽と共にアグリコーラにたどり着いたのである。


 壁は健在。

 門は解放。

 上に登る兵は、ただ困惑の表情と共に立っているだけ。何もしてこない。盗賊の侵入を知らせるためだけにあるような、そんな存在と化していた。


(賢いと言えば、賢いですかね)


 どちらが勝ったとしても。

 悪い扱いは受けない。良い待遇も望めないが、現状維持は果たされる。職務に励む者を裁く法はアレッシアには無いのだ。


「私達は、戦いに行くのではありません」


 アグリコーラの外壁を照らす松明を背に、マシディリは郎と声を張る。

 夜の静けさが、マシディリの声をいつもより遠くへ運び始めた。


「国庫から財物を盗んだ者達を捕まえに行くのです。それ以上でもそれ以下でもありません。私達の為すべきことは、捕まえること。


 よって、申し訳ありませんが略奪は禁止です。

 今日だけではなく、半島全土で基本は禁止といたします。


 ですが、ご安心を。

 アグリコーラにはウェラテヌスの別荘があります。アグリコーラを発てば、父上が追放中に過ごしていた別荘にだって行けます。


 皆さんの報酬はお約束いたしましょう。

 尤も、財物の話をされても嬉しくは無いと思いますが、ね」


 笑みをこぼし、周囲へも広げる。

 やわらいだ雰囲気の中で、マシディリは右手を顔の横まで上げた。


「やることはいつも通り。必ず味方と共に動き、仲間を守るために盾を掲げ、父祖に恥じぬ働きをするだけ。

 此処よりは市街戦です。いつも以上に死角は多く、思いもよらぬ攻撃も増えるでしょう。


 で、それがどうかしましたか?


 マールバラの手は幾つありました? イフェメラ様はこちらの戦術が次々と学び取り、強化して返してきていましたよね。マルテレス様の突撃は、単純故に策の打ちようがない、目の前にいるだけで恐怖する代物でした。


 それに比べ、市街戦の死角が何だと言うのです!

 所詮はただの攻撃。全部隊を壊滅に陥れるにはアグリコーラそのものが敵でないといけません。アグリコーラそのものが敵であった場合、そもそも私達に生きる場所など無いのです!


 勇気を胸に。誇りを盾に。己の歴史を剣に込め、仲間を信じてただ進むのみ。


 笑え!

 これほどまでに精神を鍛えられる戦場、今日を逃せば何時経験できるか分からぬぞ!


 誇れ!

 皆さんならばできると、神々と父祖が与えた戦場である。


 信じろ!

 この世の唯一の絶対は、アレッシアの勝利である。


 私が最強と呼ばれる所以もただ一つ。勝つまでやるから。それ以外にありません。そして、勝つまでやれるのは皆さんの精神力があればこそ。


 掴み取りましょう。勝利を。

 目を覚まさせましょう。仲間の。


 内乱を治めて見せましょう! 私と、皆さんで!」


 大歓声が、マシディリに叩き込まれる。

 その声に応えるように、マシディリは獰猛に上げた口角と共に両手を前に出した。


「さあ、大捕り物を始めましょうか」

「おおおお!」


 使い慣れた剣と槍が突き上げられ、幾千の軍靴が地鳴りを起こす。

 整列はいつも通りだが、報告の終わりまでにはいつもより少しだけ時間がかかり、第三軍団が突撃を開始した。


 アグリコーラの城門は開いたまま。

 見張りの兵のほとんどは動かず。


 されど、赤い光は打ち上がった。マシディリの東方遠征時から変わっていなければ、敵襲を告げる緊急の連絡だ。


(来ますか)

 拳を握り、唇を舌で軽く湿らせる。

 不謹慎にも、心臓は高鳴った。


 頼れる高官達はいない。第三軍団とは言え情報伝達の仕組みはいつもよりも脆弱だ。対して第四軍団は先にアグリコーラに入っている。マシディリは状況も良く分からないのに。


(ああ)

 どこかで、諦めていた。

 心躍る強敵のとの対決は、もう無いのだと。


(いけませんね)

 今度はアグリコーラに自分が攻め入る側か、と、戦いでは無いと兵に言っておきながら思う。アグリコーラの長い午後も、思えば危機であった。べルティーナまで危険地帯に引っ張り出し、それで戦っていたのだ。


 あの時は父がいた。

 今はいない。


 その危機すらも、鼓動を昂らせるだけ。


 入ってすぐ。設置されている逆茂木と柵を即座に無効化し、第三軍団が市街に雪崩れ込む。


 恐ろしいほどに静かだ。

 その道中を進みつつ、謝意を告げながら各家の扉を塞いでいく。多層型共同住宅(インスラ)も、全てウェラテヌスが関わったモノ。構造が頭に入っている以上、窓以外から出てこられなくするのも容易だ。


「クラスティヌス隊、敵影無し!」

「トーリウス隊、接敵せず」

「タッテウス隊、同じく接敵せず」

「リボ隊、順調すぎるため一時停止。各隊の進捗を待っております」

「ウァテニウス隊、庇護を求めに来た者と合流。後方に送ります」


(いない?)

 そんなことは、あり得ない。

 つまりは、どこかで固まっている。


「ポンポニウス隊、戦闘痕を発見。建物の損害多数により、進軍に遅れが生じております」

「ヌルキウス隊。倒壊した建物により進路を変更。レントゥルス隊に近づくように動いております」

「レントゥルス隊。イロリウスの被庇護者の死体を発見しました」


 ポンポニウス、ヌルキウス、レントゥルス。

 権限を増やした百人隊長の持ち場を頭の中で描きながら、続く報告にも耳を傾ける。


 戦闘の痕跡と、破壊具合。

 その奥にあるのは、ウェラテヌスの別荘。チアーラのいる場所。

 指先が冷たくなる。がじり、と右手人差し指の第二関節から下を噛んだ。


「マシディリ様!」

 直接監督下の兵が声を上げる。

「住民が出てきました。丸腰です。庇護を求めております」


 目を、向ける。足も前に。

 たどり着いた先では、薄着丸腰の者達が、助けてくれと叫んでいた。

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