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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十九章
1554/1587

誇れる道を歩みなさいな

 流れる川の流量は多くは無いが、夏よりは多い。されど橋を架けねば渡れないほどでは無い。

 深さだけをとっても、場所によっては腰の下まで川面がくるので急いで渡るのは厳しいが、渡河は十二分に可能な深さである。幅も広くない。急激に深くなるような場所も、無いことは無いが多くは無い。


 その川を、右側に。

 左に広がるのは山地。

 目の前の平野は広くはなく、集落がある訳でも無い。


 見知った地、フィアノアレシ。今も変わらぬ光景ながら、武具を纏い近づくことになると考えたことは無かった場所だ。


(尤も)

 兵の様子を見ていると、マシディリは自分だけがそんな感傷に浸っているように思えてしまった。


 皆、顔を引き締め陣を築いている。警戒も怠ることなく、数多の遠征で培った技術は敵方に発見されてから新たな物見が出てくるまでの間にひとまずの陣地を整えるほどの速度だ。


「敵の陣容が分かりました」

 敵の物見が出ていると言うことは、こちらも情報を集めていると言うこと。

 何より、マシディリはウェラテヌスの諜報能力は誰にも負けないと言う自負がある。祖父タイリーから積み上げてきた歴史のなせる業だ。


「敵将はアナスト・タルキウス。詰める兵は歩兵が千四百程。騎兵が五十程であると思われます」

「なるほど」


 マシディリは、道の方向に目をやった。

 インツィーアに出る道である。タルキウスの監督地だ。


「アレッシアに連れてきた百人隊長達が此処にいると仮定するなら、マルテレス様と戦った軍団の一部ですね」


 規定は千六百。

 数が少ないのは、損耗を補填していないから。


 父のやり方だ。軍団の連携を保ち、練度を保つために補充は行わない。第三軍団も基本はそうであるが、こちらは推薦によっては引き入れることもある。推薦された者も、してもらった者の顔に泥を塗らないために必死にならざるを得ない。


 不適格だと発覚すれば推薦者の家門でも推薦された家門でも出世に影響があるとは、兵が勝手に囁き合っていることだ。


「踏み潰しましょうか」

 ウルティムスが言う。

 半分、本気では無い提言だとは、やや後ろに行っている重心から見て取れた。


「やめましょう。アナストが本気で立ち向かう気なのかも分かりませんし、アナストが立ち向かうと言うことは「タルキウスはウェラテヌスと戦うつもりである」と宣言するようなことだ、と吹っ掛けて良い状況かもまだ不明ですからね」


「アナスト・タルキウスはルカッチャーノが手元に置き続けた男。一番期待しているがために自分の手元で育てたかった、とも取れるかと思います。今日の出現は奇襲となっても、兵を死ぬ気で戦わせることは造作もないはず」


「それに、マレウスもまだ来ていませんし」

 アビィティロが警戒を促したのなら、マシディリは少しだけ弛緩を取る。

 うん、と頷き、マシディリは口を開いた。


「兵に休養を。敵兵の中には顔見知りもいるでしょう。自由な会話も許します。水源となるのは、川ですしね。どんな会話をしてもかまいませんよ。尤も、あからさまな調略は避けてほしいですけどね」


「かしこまりました」

 異論が出ることなく、高官達が一堂に頭を下げる。


 相手の警戒が最大になっているのが今であるのは事実だ。守りが固まっていないのも事実かも知れないが、あちらはクイリッタの死のすぐから動けている。対してマシディリは、知るのも八日後。来るのにも時を要し、腐っていない死体との対面も叶わないのだ。


 今は、ただ、クイリッタが静かに埋葬されたことを祈るのみ。


「いけませんね」

 目を閉じ、一息。


 マシディリ達はコクウィウムら補給部隊を置き去りにして行軍している。空腹だ。当然、アナストほどの者であれば、マシディリらが物資を枯渇させた状態でいることも想定しているはず。


 潤わぬ内に攻めるのか。

 潤うために攻めてくると読むのか。


 騙し合いは終わっていない。


「騎兵は軽装歩兵による守りをつけ交代で川を渡り、馬に草を食ませてください。規律は正しく、隊列は乱さないように」


 敵の警戒も、川に。

 そうして川を挟んで兵を展開してから水汲みを開始させる。ある意味では第三軍団が分散された形だ。各個撃破の好機かも知れない。


 しかし、アナストは動かなかった。

 確実に斥候を近づけてはいるが、何もしてこない。その斥候も顔見知りだと知れば、積極的に捕縛した。捕縛して、解放する。陣には入れられないから、と少し遠くで。


 そのようにして徐々に徐々に兵同士を交流させたのだ。



「元老院に再度通達。

 降参を認める条件は七つ。


 一つ、マレウスを始めとするクイリッタ暗殺の首謀者全員の引き渡し。

 一つ、国家の敵の裁決に賛同した者たちの再度の監査。

 一つ、最高神祇官選挙などと言うさらに混乱を加速させる者に賛同した者への政務停止命令。

 一つ、独裁官ティツィアーノ・アスピデアウスの謹慎。謹慎先は、アグリコーラにあるアスピデアウス邸。

 一つ、クイリッタ・ウェラテヌスの葬儀を国葬とすること。

 一つ、アレッシアのためにフロン・ティリドで戦い、帰ってきた勇者に対する正当な出迎えを用意すること。

 一つ、これから帰ってくる勇者に対しての最大限の礼と混乱への詫びとして、凱旋式の準備を現在元老院に籠る者達で行うこと。


 以上」



(出て来い、マレウス)

 付け足された条件は、民なら簡単に呑めるモノばかり。

 一番難しい可能性のあるクイリッタの国葬も、実害に会った者達と戦災孤児などのクイリッタに救われた者達で大きな温度差が出てくる。


 何より、ウェラテヌスに対して凱旋式を行わせないようにするとも伝わりかねない内容は、第二次フラシ戦争後の信頼を失っていくアスピデアウス派と同じ構図だ。


「マシディリ様」

 聞き馴染みのある、それでいていつもの被庇護者では無い声が聞こえた。最近声変わりを終えたばかりの声だ。


「正面から入ってもらって構わないよ」

 やさしく言う。


 数秒後に、天幕が開いた。思わずマシディリの頬も緩む。

 ウォクス・リュコギュ。タイリーの被庇護者でありエスピラについて駆け回ったレコリウス・リュコギュの末子だ。レコリウスは父より二十以上年上であったはずなのに、ウォクスはセアデラよりも一つ下なのである。


「お探しいたしました。何分、進軍が早すぎるため、下手に人を送っても会えずに終わると奥方様がお止めになっておりまして。ただ、マシディリ様の行軍の様子は元老院に伝わったその日の内に皆も知り、待ち望んでおりました。

 ウェラテヌス邸に籠る方々だけではありません。出立前に狩りを行い民衆に振舞ってくれた第三軍団と、奪うだけの今の元老院。支持の差は、明らかにございます」


「随分と都合の良い噂が流れるモノだね」


(元老院も知ったその日の内に、ね)

 元老院がいつ知ったのかを何故把握しているのか。何故漏れるのか。

 その答えは、言うまでも無い。


「べルティーナは無事かい?」


「はい。ラエテル様もセアデラ様も、ウェラテヌス邸に籠る方々は皆無事にございます。マシディリ様のご到着に少々弛緩した空気はあったものの、奥方様がラエテル様の尻を叩き、ラエテル様が空気を引き締められました」


「ふふ。流石だね。それで引き締められるラエテルも十分に頼もしいよ」


「セルクラウス邸は、ボルビリ様が大分憔悴されたようだとの話が来ております。元老院に刃向かい続けるのには勇気が必要だったようで、ベネシーカ様がクロッチェ様を呼び出しておりました。


 アルグレヒト邸からは、何度かリクレス様やヘリアンテ様、フェリトゥナ様にカリアダ様を引き取ろうかという話が来ております。頻度から言って、レピナ様がフィロラード様をせっついているのでは無いかと言う話もありました。


 ただ、フィチリタ様からの連絡は無く。オピーマ邸は無事なようではありましたが、港は奪われておりますので、一番苦戦されていると想定しております」


「そうか」

 目を閉じ、息を吐きだす。


「報告してくれてありがとう。すまないね、先に本題以外のことを聞いてしまって」


「問題ございません。ラエテル様も、恐らくは一番に無事であることを伝えたかったと思います。私の到着も、ひとまずは無事を伝えるモノ。それから、奥方様から言伝も預かっております」


「べルティーナから?」


「はい。

『お気になさらず。余人の批判は結局他人のモノ。マシディリさんの道はマシディリさんのモノ。マシディリさんにしか決められないのよ。だから、マシディリさんにとって誇れる道を歩みなさいな』

 とのことでした」


「はは。べルティーナらしいね」

 久しぶりの心からの笑いが、零れ落ちた。

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