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何をしている

「半分帰還すれば上出来だな」


 サジェッツァが小さく吐き捨てた。


「むしろ自信満々に言ったんだから。半分は返してもらわないと困る」


 コルドーニがエスピラの被庇護者となっている百人隊長経験者をねだってきた時の説明では、実際の会戦時には陣に兵一万と兵に見せかける奴隷を残しておくことでマールバラ軍も一万以上を陣に残させ、さらに包囲をできにくくさせるつもりらしい。


 もちろん、エスピラは被庇護者を出すことを断った。

 仕事がさらに減ったのも、その辺りからだった。


 アレッシアの神々に仕える者達を纏める神祇官、つまりアレッシア語で仕事をする身でありながら、今やアレッシア語以外を書く時間の方が圧倒的に長くなるほどである。


「半分は、流石に死に過ぎでは無いでしょうか」

 と、パラティゾが自信なさげに口を開いた。


「同盟諸都市から脱走兵が出てもおかしくは無い。それに、捕まれば奴隷として売り払われる」


 パラティゾの父であるサジェッツァが淡々と言った。


「それにしてもですよ。父上、元老院が両執政官を通じてコルドーニ様に出した条件は任地に到着後二か月間の大規模決戦の禁止です。その間に実際のハフモニ兵を相手に軍団に実戦経験を積ませる。これが意図するのがマールバラ・グラムの父親が第一次戦争で行った作戦の模倣だとは分かるはずです。それに、コルドーニ様は父上も非会戦派も出し抜いた方。下の民のようにマールバラに勝てるとは言いませんが、それでも久々に両執政官が無事任期を終えるのではないでしょうか」


「それは実際のマールバラと相対してのお前の言葉か?」


 サジェッツァが下で動いている軍団から顔を逸らさず言った。


「大軍を包囲できるなら父上の突撃にも対応できたはずです。しかし、マールバラが会戦に及んだのはいずれもアレッシアの側が少なかった時。今回も同じように打って出るとは思えません」


「それでも打って出たとしたら?」

「その時は戦いません。絶対に、マールバラに必勝の策がある時ですから」


「それが通じると良いな」


 それっきり、だんまりを決め込むと言ったようにサジェッツァが口を閉じた。


 サジェッツァの近くに居たべルティーナが兄を見上げ、首を横に振る。パラティゾはそんな妹を見て諦めたように顔を前に戻した。


「昨年の裁判に持ち込むまでの流れから計画通りに動いていたのに、サジェッツァ様でも軍団は思い通りに動かせなかったので今回の執政官もマールバラの策に嵌ってしまう、と言うことですか?」


 親子の様子を見ていたはずのマシディリがパラティゾにそう聞いた。

 いや、そう聞くような形を取った。


 クイリッタはその間に巧妙にエスピラ達を間に挟むようにしてサジェッツァから距離を取っている。


「そう、言うことですね」


 パラティゾが言葉の最中に目をサジェッツァにやり、またマシディリに戻した。


「息子が優秀で嬉しい反面、遠くに行ってしまったようで寂しいなあ」


 エスピラは冗談めかして笑った。

 パラティゾが口元にぎこちない笑みを作りながら顔を少し傾げてくる。


「マシディリ殿。父上は可愛い息子との時間が取れなくて寂しいらしい。どうか、甘やかせるうちに甘やかしてやってはくれないか? これからは、もっと長い間会えなくなるかも知れないからな」


 サジェッツァが淡々と言った。

 クイリッタが噛みつくようにエスピラの足にしがみつく。マシディリはそんな弟を見て、それから少しだけ顔を逸らした。


「マシディリ。父を甘やかしてはくれないか?」


 そう言って、エスピラはマシディリの前に右手を差し出す。

 おずおずとマシディリの手が伸びてきた。顔は下を向いたまま。それでも、マシディリの手がエスピラの手と重なる。


 機会をくれたサジェッツァは真っ直ぐと出ていく軍団を見送っているが、彼の息子であるパラティゾは微笑ましくその様子を見守ってくれていた。娘であるべルティーナは少しの間ウェラテヌス親子を見ていたが、やがて父親と同じく軍団を見送るように顔を動かした。彼女の手は下に垂れている。父とも兄とも繋がっていない。


「サジェッツァも繋げる内に繋いでもらったらどうだ? 女の子は急に父親に冷たくなると聞くぞ。まあ、結婚する頃には戻るらしいが」


「男でも同じことだ。それに、家にいる時間はエスピラより長い」

 とか言いながらも、サジェッツァはべルティーナに手を伸ばしていた。


 べルティーナがエスピラに小さく頭を下げてからサジェッツァの手を掴む。


(最近の子はこうも賢いものなのかねえ)


 年相応にわがままで甘えてきてくれるクイリッタは良いとしても、ユリアンナも落ち着いた性格と言うか、弟思いの性格と言うか。すぐに手を挙げるのはどうかと思うが、そこはもしかしたら白いオーラ使いの心の底に眠っている苛烈な覚悟の表れなのだろうか。


 そう言えば隣の白いオーラ使いの友人も随分と苛烈な仕置きをすることもあるしな、とエスピラは横目でサジェッツァを盗み見た。目が合わない内に軍団に視線を戻す。


 ずらずらと続いている軍勢は変わらぬ歓声を浴びてどんどんアレッシア市街に出て行って。

 高官も外に出て、今回の軍団に参加する元老院議員や永世元老院議員も七割方外に出た。


 これだけのアレッシアの重鎮を同じ軍団に加えて出撃させ、加えて北方諸部族に対しても攻撃の一個軍団一万一千を出撃させるのだ。


 多くの者が必勝を信じ、そうでなくともハフモニの勢いが止まると考えるのは普通のことだろう。


(だが、私が外にいる時間が長くなる、か)


 そこに隠された意図はアレッシアの敗北。

 サジェッツァと、恐らくタヴォラドが描いている未来。これだけいる元老院議員の多くは残念ながら『不要』と判断された者がほとんどと思った方が良いはずだ。


 そうなると、自ずとサジェッツァが誘ってきた意味も分かる。


 切り捨てる者達の顔を覚えさせ、覚悟を決めさせる。エスピラにも、いや、エスピラよりもその後。自身の子供二人とウェラテヌスを継ぐ者に。苦難の記憶をしっかりと植え付けて。


「エスピラ様」


 足音も無いままソルプレーサの声が聞こえた。

 エスピラは無言のまま振り返る。


「少し」


 言って、ソルプレーサの目が子供たちに移った。


 エスピラは頷いてから奴隷にマシディリとクイリッタを預ける。今回はぐずるクイリッタをマシディリがなだめ、すんなりと離れて行ってしまった。


 エスピラは二人の頭を撫で、アスピデアウスに小さく頭を下げてからソルプレーサと一緒に距離を取る。


「どうした?」

「この前の侵入奴隷ですが、家が分かりました」

「リロウスからどこに行った?」


 リロウスは最高神祇官であるアネージモの一門である。

 奴隷を追った者がこの家に入っていくところを目撃したのだ。


「トリアヌス邸に」


 ソルプレーサの言葉に、エスピラは目を細めた。


「どこのトリアヌスだ」


 声は低く。多少ささくれだって。


「ラシェロ・トリアヌスです」


 処女神の巫女シジェロ・トリアヌスの父にして、エスピラの妹であるカリヨ・ウェラテヌス・ティベリが嫁いだジュラメント・ティバリウスの父親と姉弟である者が嫁いだ、いわば直接的な繋がりのある一門だ。


 そこに、他人を装って探りの手を入れる。


 重大な裏切りだと言っても言い過ぎではない。


「どうします?」


 ソルプレーサが落ち着いた声で聞いてきた。

 シニストラ辺りならば剣を叩いていたであろう、とエスピラは少しばかり思考を逃がす。


「ウェラテヌスに長く仕えてくれている奴隷を使ってこのことをカリヨに伝えてくれ」

「エスピラ様から伝言は?」


「要らない。それで全て分かるだろう。分からなくても、動くはずだ」

「かしこまりました。他には?」


 エスピラは意識的にゆっくりと息を吐きだした。


「シジェロ・トリアヌスに会いに行く」

「それが狙いでは?」


 ソルプレーサが表情を険しくした。


「だとしても、だ。ラシェロ様に何と伝える? こちらもあまりよろしくない手段で情報を手に入れたのだ。婉曲に抗議の意を示すしか無い」

「かしこまりました」


 ソルプレーサが眉を上げてから言って、頭を下げた。

 辞そうとするソルプレーサを、エスピラは呼び止める。


「ソルプレーサ。ディファ・マルティーマは必要だ。意味は、分かるな」


 半島からエリポスへの入り口となる港湾都市。植民都市ディファ・マルティーマ。

 ジュラメントのいるティバリウス家が邸宅を持つ都市だ。


「上手く育つことを祈っております。まあ、こっちもこっちで土を作りますが」


 目を左にやってソルプレーサが首をすくめ、そして消えていった。


「あそこは、マールバラがアレッシア以上に欲しい都市だろうしな」


 呟きを風に乗せて。

 エスピラは表情を子煩悩な父に戻すと、息子たちの方へ戻っていった。


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