燃え移る速度は炎の如く
私利私欲のために捻じ曲げられ続けるアレッシアに留まり続けるよりは、喜んで国家の敵と成ろう。国家の敵となり、アレッシアを再興して見せよう。
マシディリはその檄文を半島全土に発するなり、全軍には全ての物資をこの場に置いていくようにと命令を下した。
多少の訝しむ態度はあれども、全員が即座に従ってくれる。
標的。北方ララブランパ。そこに居座る、ウルバーニ。
ララブランパも淡水湖を主軸とする地域だ。その上山間であり、例えば三万を超す大軍をいっぺんに展開できるような土地では無い。騎兵の有効活用も不可能だ。
なるほど。
マシディリがフロン・ティリド遠征軍全軍を持って帰ってきても、遅滞戦術を繰り広げられるだけの地理的条件が整っている場所である。アグニッシモも十全には使えない。何万と連れて帰ってこようと、戦術を大きく変えずに対応できる良い土地だ。スペランツァやサジェッツァも同じように陣取る。騎兵を主軸とする未知の敵であれば、マシディリも同じ場所を選ぶ良い地。
逆に言えば、遅滞戦術を繰り広げるために陣取りをしなければならない場所はほぼ定まっている土地だ。北方諸部族の不満を軽減するために画しなければならない空間も、兵を留め置ける場所も。
そして、半島の地理に関して、マシディリは目を閉じても歩けると言えるほど把握している。
会戦は、夜明け前に始まった。
仕上げの訓練行軍で一日。その距離を武器しか持たない軽装の軍団で駆け抜け、各部隊事では無く各百人隊長ごとに道を指示、狙う場所の指示を伝える。同時に、敵兵が多ければ引くようにとも伝えた、同時多発的な攻撃だ。
完全な奇襲。
その上で、アレッシア語で叫ぶのも忘れない。北方諸部族が裏切っただの、高官が裏切っただの。果ては、北方諸部族の陣地で「ウルバーニ様の手土産だ! 逃すな!」とまで叫ばせた。
地の利を活かした夜襲。質の利を活かした急襲。数の利を活かした同時多発的攻撃。
他民族構成軍を突く戦場での虚報。誰もが知る頭の差を使った降伏勧告。持つ者ゆえに守りたくなる財物・食糧への集中攻撃。
平時のアレッシアであればまだパン配りもまだ途中の時刻。憔悴した顔のウルバーニがマシディリの目の前に現れた。
戦闘音は大分収まっているが、まだ続いてもいる。ウルバーニらが停戦を呼びかけて回っているが、最早それすら虚報と思う者も居るのだ。そして、その多くが逃げるために戦っている。
「副官は?」
「私です」
ウルバーニの後ろから、無精ひげを生やした男、ジェンカブラ・クエヌレスが現れる。
「『アレッシア軍』は、逃亡兵を死罪としていないのですか?」
「し、死罪、に、ございます」
「早く討ち果たすように。何故第三軍団の手を煩わせているのか、甚だ理解できません」
「っははあっ!」
逃げても構わない。
他の高官を捨てた男とみられるだけだ。ウルバーニがあっけなく敗れた証拠にもなる。
それに、ジェンカブラが討伐を命じたとしても兵から嫌われるだけ。言い返せなかった時点で、ジェンカブラは詰んでいるのである。二度と北方諸部族に関われないのだ。代わりなど、幾らでもいるのだから。
「さて。ウルバーニ」
額を地面にこすりつけるウルバーニの前に、金属音を立ててしゃがむ。ウルバーニの肩にはアルビタとレグラーレから抜き身の剣が置かれた。
「貴方は、本当に遅参癖がありますね」
「申し訳ございません!」
「貴方であっても、軍団を率いて三日の距離に私がいましたよね」
「ははっ。まさか、こんなに早いとは思ってもおらず、マシディリ様であるとは気づきませんでした!」
「いつなら、挨拶に来ましたか?」
既に挨拶に来ることが前提だ。
「一か月後、いえ、十五日は後であると皆も申しておりました」
「皆」
ウルバーニも、マシディリに挨拶に来ることを否定することを忘れている。
「あ、いえ」
「備えろと言われなかったのですか?」
「そ、そのような、マシディリ様に逆らうなど」
「ティツィアーノ様であれば、無理であってもその一言ぐらい入れるでしょう。それとも、一言も貰えないくらいに低く見られているのですか? あるいは、この軍団は明確に違法な軍団であると?」
「早急に来ることもあり得ますが、それでも、決戦までに一か月は準備期間があるはずだと元老院に言われました! また、作戦としても、ボルセラーナに籠るコクウィウム隊が最初に攻め上り、呼応して動けと言われていたため、それならば戦う必要は無いと、ただ、私単独では元老院に勝てるはずも無いため黙っていた次第にございます。全ては、そう、元老院を欺くための策。こうして襲われてしまった以上は私の過失もございますが、決してマシディリ様に反旗を翻すつもりで軍団を南下させていた訳でも準備を続けていた訳でもありません。物資だって、即座に渡しておりました! 私は、忠実は、カルド島以来忠実なウェラテヌスのしもべにございます。わんと鳴けといわれればわんと鳴き、犬のように三回でも四回でも回って見せましょう!」
「本当に、あの時は物資を持ってくるのが早かったですね」
「はっ!」
ウルバーニが元気に返事をする。
「あの時から疚しいことでもあったのですか?」
が、すぐにウルバーニの纏う空気が萎んでいく。
とん、とん、とマシディリは自身の腕を覆う鉄板を、指で叩いた。
「例えば、クエヌレスの実権を握ることに父上が協力してくれたのに、気づけばそのクエヌレスは力を失っていたことへの不満を突かれた、とか。
今や北方諸部族に関与しているのは、タルキウスもそうですが、ナレティクスが特に関与しています。昔のクエヌレスほどではありませんが、最も関与している家門はナレティクスでしょう。
そして、ナレティクスはウェラテヌスと仲が良く、海上からナレティクスを支援できるニベヌレスもウェラテヌスの兄弟家門同然。
極めつけは、この前の遠征。クイリッタが貴方に椅子を用意してあげたのに、まるでみんなの前であざ笑うために準備したと思えてしまった、とか。
その逆恨みを突かれる形でクイリッタ暗殺計画に誘われ、アレッシア掌握が上手く行かなかった時の備えとして暴徒の軍事力となり、主軸と持ち上げられ、各勢力に対抗するための広域な軍事命令権を餌に釣られてしまった、とか、どうですか?
エスピラ様のカルド島占領戦では大きな働きをしたのはウルバーニ様です。私達は分かっています。ウルバーニ様がいなければ、エスピラ様は軍団の掌握もままならず、カルド島で死んでいた。だと言うのにクエヌレスの扱いはあまりにもひどい。ならば、実力を示してみませんか?
なーんて、言われていたりして」
「めっそうもございません!」
ウルバーニの後ろにいる者が呟いた言葉すら吹き飛ばす勢いで、ウルバーニが叫んだ。
「エスピラ様が裏切り者に対してどのような処分を下すのかは、私が良く知っております。この目で見ました。裏切り者の末路も知っております。その後継者であらせられるマシディリ様が、愛しい弟君を殺されてどう思うかなど、想像がつかないほど愚か者ではありません。
決して、決して、私の実力はこんなものではないだとか、やればできるだとか、まさか上手く行くとか。思っていたはずがございません!」
ふふ、とマシディリは笑った。
こんこん、とアルビタとレグラーレの剣を手で叩き、下げさせる。剣がなくなれば、ウルバーニの横に並ぶようにして、彼の肩を抱えた。
「分かっております。いじめてしまい、申し訳ございません」
いっそ不気味なほどにやさしく。寄り添うように。
ウルバーニの顔も、地面からあげさせる。
「北方諸部族にそそのかされたのですよね。可哀想に。貴方は忠臣だと言うのに、貴方の周りが、とにかく悪い。父上の命令を無視して自己の利益を求めたブレエビ様。自分がクエヌレスを支配するためにアレッシアの足を引っ張ったプレシーモの伯母上。本当に貴方は恵まれていない。恵まれていないからこそ、ウェラテヌスはブレエビ様もプレシーモの伯母上も排してあげたのに、今もまた寄ってきた。貴方があまりにも魅力的だから。
ウルバーニ様。もうしばし、お待ち下さい。
もう少ししたら、ナレティクスに向かってもらいます。
ああ。ああ。ご案じなさらず。
貴方にそのつもりが無くとも軍団がいるせいで思うように動けなかった。これは十分にアレッシアに対する反逆である。そんなこと、もうどうでも良いではありませんか。このままならもう関係ありませんよ。貴方の周りには悪い者が多すぎるのですから。どうしようもなかったのです。誰もが理解してくださいますし、これ以上誘ってきたりなどしません。
だってあなたの周りが悪いのですから。仕方がありませんよ。
ですので、今は辛抱を。
そののちは、ゆっくりと観劇と史作に打ち込んでください。その方がウルバーニ様も幸せでしょう?」
「それ、は」
顔をあげたウルバーニに、嘘くさいほどにっこりと笑って立ち上がる。
「コクウィウム様からは最初からこちら側だと既に連絡を頂いております。
ね。貴方が待っていた援軍なんて、どこにもいなかったのです。知らされていないだなんて、周りが悪いでしょう?」




