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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十九章
1548/1588

アレッシアに、栄光を

「全軍に告ぐ。


 私は、アルシリビニア・ボルセラーナ線を越えます。一時的に国家の敵となるでしょう。それでも、アレッシアのために事を為さねばなりません。


 祖父オルゴーリョ・ウェラテヌスは、ウェラテヌスが没落するほどの借金を作っても、アレッシアの勝利のために船を作りました。


 父エスピラ・ウェラテヌスは、支援の無い中でもアレッシアのために数々の遠征を完遂し、そして家族のために多くの備えを作ってくださいました。


 弟クイリッタ・ウェラテヌスは、嫌われる行動だと分かっていても、アレッシアのために尽くし、凶刃に倒れました。


 私が此処で足を止めるのは、彼らの努力を無駄にすること。第一軍団を始めとする先達が文字通り血を流しながら切り開いたアレッシアの輝かしい未来を閉じることを意味します。


 故に、私は止まれません。

 一時的な汚名を被ろうとも。


 今のアレッシアを支配しているのは、神聖なる議場で暗殺を実行した下賤な輩です。それだけではありません。その罪を、個人の身勝手な都合で隠そうとしています。さらには『国家の敵』などと言う大事な宣言をも、自らの罪の隠ぺいのためだけに使いだしました。


 これは、父上が望んだアレッシアでしょうか。クイリッタが命を懸けて作り上げようとしていた国の未来でしょうか。多くの散っていった英霊が、悔いなく身を捧げられたと誇れる結末でしょうか。


 そんなことは無い。

 そんなことは、断じてありません!


 私欲による支配を止めさせるために、私はアレッシアに向かいます。


 全てはアレッシアのために。


 ですが、私が国家の敵となるのは事実です。庇護者がアレッシアにいる人もいるのは知っています。家族だって、皆、アレッシア側に居ます。


 今夜だけは、脱走になりません。

 大事なモノを守るために、アレッシアに戻ることも許可します。遠慮なく軍団を離れて構いません。


 その上で、私と共に戦ってくれる方には残っていただければ、幸いです」



 この宣言を、マシディリはクンドスとの会談の二時間後に発表した。

 クンドスとの会談の様子が全軍に伝わった頃である。先の発言は、第三軍団を強固な軍団にしたい思いがあるとともにマシディリの強がりなのだ。


 出来れば、誰にも離脱して欲しくない。

 縋ってでも残したい。


 でも、それが許される立場では無い。


 炎の爆ぜる、運命の夜。

 最低限の見張りしか立てない中、マシディリは寝付けないでいた。


「マシディリ様」

「レグラーレか」

「はい」

 幼馴染の被庇護者が、音もなく入ってくる。


「クンドス・テルイエですが、やはりウルバーニの方面に向かった形跡もなく、ボルセラーナ方面にもいかずに帰って行きました。トトノロが引き続き追跡を続けています」


「そうですか」


 ふざけた言葉も何もなく、頭を下げてレグラーレが消える。

 もう虫の声も聞こえない季節だ。耳に届くのは、ゆっくりと薪が燃え尽きていこうとする音だけ。


(女々しいですね)

 少しの足音が聞こえたら息をひそめてうかがってしまい、止まるか天幕に戻るように変われば安堵の息を吐く。


 この長い夜を、何も読めずに、あけるのをただただ待つだけ。


 静かに。静かに。緊張と安堵を繰り返して。無為に過ごしていると自覚があっても、この無駄をやめる術が分からない。


 待って。


 待って。


 待って。


 さえた目のまま、薪の終わりを迎えようかという時に、再び天幕の外から名を呼ばれた。


 失礼します、と兵が入ってくる。

 パトロス、シマコス、カラサンド。十人隊長を務めている三人だ。


(ああ)

 そうか、と分かってしまう。

 彼らも、マシディリと目が合うと無理をして笑顔を作ってくれた。弱弱しい笑みだ。


 それでも、決意は固いのだろう。

 翻意など不可能だ。


 此処でマシディリが心のままに泣き叫んでも、彼らは、いや、どうだろうか。


「マシディリ様」

 代表してか、パトロスが口を開く。


「申し訳ございません!」

 そして、三者が一斉に額を地面にこすりつけた。

 三人の肩が揺れる。口を開いた気配はある。だが、変な音だけで後は続かず。


 申し訳ございません、と先ほどよりも震えた声だけがやってきた。


「後任は、頼んで、参りましたっ。第三、軍団は。以前問題なく! アレッシア最強の最精鋭軍団です!」


「そうか」


 目を閉じ、こらえる。


 瞼が熱い。

 ぐ、と喉に力を入れ、鼻も堪え。三人が頭を下げている内に目元も拭う。


「忠勤、ご苦労様でした」


 やさしく言って、マシディリは立ち上がった。

 まずは、パトロスの肩に手を置く。


「イパリオン騎兵との戦闘時、盾を持ったまま味方を鼓舞していたこと、今でも鮮明に思い出せます。白のオーラ使いでも無いのに足に刺さった矢を強引に抜いて、元気ですと駆け出した姿も。パトロスがいれば、百人力です」


 次に、シマコス。


「温泉が湧き出た時のことを、覚えていますか? 皆良く分からず、ただお湯だと言って喜んで。シマコスが一番喜んでいましたね。駆け出して飛び込んで、すぐ熱いと言って出てきて。いつも、シマコスの明るさには助けられていました。苦境にこそ、シマコスは必要な人材です」


 最後に、カラサンド。


「初めて会った時も、カラサンドの後頭部を見た気がします。前方不注意でカラサンドが私にぶつかってきて。あれは、ディファ・マルティーマでの観劇の帰りで。今だから言えますが、本当に真っ青になったカラサンドが少し面白かったです。その親しみやすさと誠実さが、カラサンドを是非十人隊長に、と推薦した理由です。必ず、次も活躍できます」


「わたしだけ、思い出がひどくはありませんか?」

 カラサンドの濡れた声が、震えていた。


「ながい付き合いですからね」

 マシディリも、何度か唇を巻き込みながら答えて。

 ゆっくりと立ち上がる。


「今生の別れです。次に会う時は、戦場ですから。

 最後に少しだけ飲んでいきませんか?」


 そう言って、マシディリはりんご酒を取り出した。

 人数分の杯を探すが、一つしか見つからない。


「マシディリ様が嫌でなければ、回し飲みいたしませんか?」

 シマコスの提案にのり、少量ずつ注いでは呑み、まずは一周する。


「はは」

 笑ったのはカラサンド。

「いつもと同じ味だ。こういう時くらい、良い酒を出してくれないのですか?」


「そんなのあっても、私の元にも一口分しか回ってこないじゃないですか」

 マシディリも鼻をすすりながら笑って答える。


「不味いのじゃないだけでも嬉しいですよ。前なんて、マシディリ様が違うモノ食べているからと分けてもらったら、本当に不味くて」

 パトロスが無理に大きな声を出した。


 はは、と笑いながら、男四人で酒を空けていく。


 最後の一滴となるまで、思い出を語って。



「本当に、お世話になりました」

 三人が、また頭を下げる。


「私達の誇りと青春は此処に置いていきます。ですが、義理は連れて行かせてください。私達は、恩と義理に心中いたします」


「ええ。私も、パトロス、シマコス、カラサンドなら、自信をもって送り出せます。必ずや、第三軍団にとって強敵になると。自慢できる三人ですから」


 夜明け前に、三人が旅立つ。

 南方。マシディリ立ちより先に、アルシリビニア・ボルセラーナ線を越えるはずだ。



「アビィティロ隊、脱走者は一人もおりませんでした」

 翌朝、各高官が報告を持ってくる。

 離脱したのは、昨夜マシディリに挨拶に来た三人だけ。


「何よりも、まずは皆さんに感謝を」


 状況把握が終わると、マシディリは朗々と演説を始めた。


「私は、他ならなぬ皆さんと数多の苦難を乗り越えてきました。しかし、今回はその比ではありません。無道な方法とは言え、私は国家の敵となり、アレッシアに対して刃を向けねばならぬのですから。


 ですが、これは、父祖の誇りを守るための戦いです!


 私達が何をしましたか?

 フロン・ティリドにて、アレッシアへの抵抗勢力を屈服させる様を見に行きました。途中で反逆者スィーパスの動向も探り、手を打ち、アレッシア領となるフロン・ティリドの現状を把握しに行ったのです。


 これらすべては、アレッシアのため。


 国家の敵となる要素など何一つありません!


 イフェメラ様は何故国家の敵となったのか。最後の一押しは、アグリコーラでの武装蜂起でした。

 マルテレス様は何故国家の敵となったのか。最後の一押しは、スィーパス・オピーマに同調し、アレッシアに対して兵を集め出したことでした。


 私は何故国家の敵となったのか。最後の一押しは、クイリッタが議場で刺殺されたことです。


 イフェメラ様もマルテレス様も、武装蜂起を試みた側が国家の敵となっている。対して私は、武装蜂起を起こした側に国家の敵と言われました。


 これが許されてなるものか!


 これが許されるのなら、アレッシアの英雄は何故国家の敵となって死なねばならなかったのか。私達は、何故心を殺してまで親愛なる戦友を、親愛なる師匠を、敬愛する先達を殺さねばならなかったのか!


 これはアレッシアを守るための戦いです。

 父祖の誇りを、先達の栄誉を、神々から賜った言葉を。それらを踏みにじらせてはいけません。


 案ずるな!


 父上は、支援の無い中でもエリポス遠征を成し遂げ、その成功を罪として追放された後も戻ってまいりました。

 その父上から道を作っていただき、私が国家の敵と成ろうともついてきてくれる皆さんがいて、何故事を為せないことがありましょう。


 パトロスが。シマコスが。カラサンドが。言ってくださいました。第三軍団は最強の最精鋭軍団であると。誇りであると。


 私達は、友のためにも芯の通った軍団であり続けなければなりません。友の誇れる私達でありましょう。


 勝利は約束されました。


 輝かしいアレッシアを作り上げましょう。誇りを胸に、子々孫々に繋いでいきましょう。永遠に続く栄華の礎を築き上げるのです。私と、皆さんで!」


 す、と大きく息を吸う。

 肘を淡く曲げ、右手を頭の上に持っていった。


 何を言うか。誰もが、もう分かっている。


「アレッシアに、栄光を!」

「祖国に、永遠の繁栄を!」

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