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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十九章
1545/1588

あと一歩を授けたまえ

「アルシリビニアであれば、陸海同時攻撃で即時に陥落させられます」

 クーシフォスが吼える。


「却下。腹が減る」

 誰よりも早い否定はアピスから。


 実際、フロン・ティリドへ援軍に行くにあたってアルシリビニアの物資の多くは使用している。万を超える大軍を養うには、狙うべきはボルセラーナの物資だ。

 海を攻撃する船団も、アグニッシモのためにもテルマディニに返さねばならない船団である。


「マールバラは湿地帯を越えて北からアレッシアに攻めてきました。アルシリビニアを責めると言うことは、その進軍路を採るのと同じこと。

 クイリッタ様の戦略をティツィアーノ様が採用、改良して挑んできているとなると、当然、その喧伝も行い、我らをアレッシアの敵だと刷り込んでくるでしょう。お二人にはエスピラ様の弟子と言う共通点もございますし、ルカッチャーノ様も似た作戦を展開するはずでは?」


 グロブスもアピスに同調する。

 ぐ、とクーシフォスが下唇を噛みしめた。


 クーシフォスの視線を辿れば、地図上の海路を行っている。オピーマとして、守るべき人々がいるのはやはり海側。時間を考えても、アルシリビニアを奪い、海路で行く方が速いのは確かだ。


「タルキウスは?」

「入った可能性がある、としか、ナレティクスでは掴めませんでした」

「敵か味方か不明、と」

 質問したウルティムスが、再び口を閉じる。


「タヴォラド様がマールバラに進路変更を考えさせた防衛線も復興させているようではありましたが、これもクイリッタ様が既に準備されていたこと。ただ、五千から六千の見慣れない部隊が陣取った、とも聞いています」


「準備が早いですね」

「相手がマシディリ様であれば、かと思われます」

「嫌な警戒ですね」


 でも、少なくとも先ほどの使者はティツィアーノの意思を理解していなかった。

 クイリッタの用意していた防衛線を利用するのなら、彼らの戦意を下げることも可能。問題はアレッシア北方に於ける最終防衛線に入ったと言う見慣れない部隊。

 それから、コクウィウム。


「ただ、軍団を招集しようとした命令は確保しました。マシディリ様の帰還を、あと二か月は先だと睨んでいる可能性は十分にあります」


 ノルドロが血の付いた木の板を取り出す。

 端はかけているところもあったが、確かに徴兵のための文章が並んでいた。もう一枚、新しい最高神祇官を決めるための選挙を行うための根回しの手紙も。


「アレッシアへの帰還以外あり得ないね。例え、武力制圧になったとしても」

 息を吐いたのはパラティゾ。

 ティツィアーノの兄である以上、彼だけは宣言せざるを得ないだろう。

 だが、高官の多くも目が血走っていた。


「兵には、まだ、内緒で」

 その中で、マシディリは途切れ途切れに言う。


 なるほど。確かに高官は憤りを感じ、戦う決意をしてくれただろう。

 だが、兵としてはどうか。


 軍事命令権保有者が国家の敵と認定され、しかもその一線を越えるのは自分達の行動によってかも知れない。例え軍事命令権を有し続けていても、独裁官は全ての官職の上に来る役職だ。その上で、最高神祇官の没収も始めようとしている。


 離脱者は、多くなりかねない。

 マシディリの私財の多くがアレッシア以南にあることも含めれば、恩賞も即座には期待できないのだから。


「マシディリ様」

 ノルドロが、急に緊張したような声を出した。

 同じような年ごろの被庇護者に合図を出し、被庇護者が外に出ていく。


「ナレティクスには外からのことしか分かりません。ですが、内側のことが、コクウィウム様の出陣までの動きが簡易的に記された物は受け取っております」


 ナレティクスの被庇護者が戻ってくる。

 白木の板に絹を敷き、その上にパピルス紙が乗っかっていた。


(誰から?)


 ナレティクスの次期当主が敬意を払わざるを得ない相手であり、アレッシア内部の情報が分かる者。


 サジェッツァ・アスピデアウスか、ルカッチャーノ・タルキウスか。


 どちらかが味方と判明するのなら、この上なく嬉しいことだ。いや、調略の手紙かも知れない。


「ラエテル様が、父上がその内テュッレニアに着くであろうから、と作っていた書き留めになります。アレッシアの周囲を軍団が固め始めたため、今の内にと送ってこられました」


「ラエテルが」

 喜び、手に取る。


『一日目。叔父上死亡。ウェラテヌス邸防衛準備。シニストラ様、ヴィエレ様、駆け付け。カッサリア邸焼き討ち、当主ティベルディード様に変更。叔父上の妻子死去。

 アスピデアウスの当主夫婦来訪。軟禁決定。その他のウェラテヌス関係者無事。

 深夜。叔父上帰還。傷だらけ。穴だらけ』


 確かにラエテルの文字だ。じいじ、と書こうとしたのか、一部書きつぶされた文字もある。


「二日目に、ティツィアーノ様が独裁官と言うことは混乱の内に担ぎ上げられたのでしょうね」

 他の高官にも伝えるために、声に出す。


「ベネシーカ様演説。ひいじいじからの恩を未だに返せていないと思う者、恩義に思う者は元老院に出仕するな。これを受けて暴徒、セルクラウス邸を包囲。大将マレウス様。どなた?」


 ちなみに、小さくベネシーカの叔母上格好良い、と書き足されている。

 次の文章に、これか、とマシディリは笑みがこぼれた。


「何と?」

 アビィティロが小さく聞いてくる。


「『三日目。暴徒襲来。ウェラテヌスの被庇護者の一部。母上の排除訴え。母上、出陣。母上一喝。


 父上のためになるなら殺されても良いが、父上は必ず復讐をする。それを承知で命を捨てる覚悟なら、喜んで殺される。ただ、その覚悟があるのなら、何故叔父上の遺体を回収しなかったのか。本当に命を捨てられるなら、やるべきことはウェラテヌス邸の襲撃では無い。

 今のままでは、自分達にとって不都合な者を父上の名に於いて排除したいだけ。誇り無き行動。恩あるウェラテヌスに刃を向けるも同義。


 命を捨てる覚悟があるのなら、父上を出迎えに行くべき。

 命を捨てる覚悟を持つのなら、議場を言葉で変える場に戻すべき。

 命を捨てる覚悟があったのなら、この三日間の沈黙をまずは叔父上に謝すべき。


 父上のために今できることは、父上の愛する妻である私を殺すことが最優先なのか。何が父上を喜ばせるのか。しっかりと考えろ。


 暴徒、号泣』

 ふふ。演説を概要だけじゃなくて生で聞きたかったね」


「全アレッシア人羨望の奥方ですね」

 アビィティロも微笑む。

 ノルドロの顔がすごくぎこちない笑みになっていた。ウェラテヌスがどう見られているか、良く分かる顔である。


「ジャンパオロ様はクイリッタの死から八日目にアレッシアに入って、十日目にラエテルと会ったようだね。

 そして、カウヴァッロ様も十日目に兵を連れて入っているから、そこでセルクラウスの包囲も解けた、と。

 この時点での主な元老院出仕者には、トリンクイタ様やファリチェも含まれている、ね」


(ファリチェ、か)

 すぐに目を動かす。


「十二日目。メクウリオ様再編第二軍団と共に北上との情報。元老院、国家の敵宣言をちらつかせる。

 で、十六日目行軍停止の狼煙が届く、と」


 その成功体験から来たのだろうか。

 それにしても、決定が早い。最速移動のための道は、もう元老院が抑えていると見るべきか。


「ティツィアーノ様の意思がどれだけ反映されるのか、いまいち良く分かりませんね」


 言いながら、地図の上に手紙を広げる。

 他の高官も覗き込み始めた。


「マレウスを始めとする暴徒達の精神が安定していない可能性もありかと思います。やる気がある時は積極的に自分の色を出し、弱気な時はティツィアーノ様の陰に隠れる。故に日によってまちまちで安定せず、アレッシアの混乱は収束しきっていない。

 ただ、希望的な観測に立っていますので、作戦立案の土台にするべきでは無いかとも思います」


「アビィティロの言うことも尤もですね」

 上を向き、息を吐きだす。


 紙はかなり綺麗だ。文字の乱れも、日によって多少の違いはあれども安定している。特に後半は文字の大小の変化も文字列の揺れも無い。


 その一方で、誰の出陣であったかまでは把握できておらず、個人名に関しては実際にラエテルが会った人物以外は完全に信じると失敗する可能性があるのも確か。


 なるほど。トトランテが言っていた通り、一種の隔離地域らしい。

 ならば、元老院はアレッシア内部に危険分子を抱えたまま、外に向かっていることになる。諸外国からの介入があれば、アレッシアは割れてしまうような状態だ。


「一か月以内に、私が独裁官につきます」

 高官には、強く宣言を。


「ひとまずは軍団を東へ。アルシリビニア・ボルセラーナ線に触れず、ゆるゆると動いていきましょう」


 悩んでいるようにも見える動きだ。

 そして、ボルセラーナより東から南下すれば良いと言うとんちを聞かせようとしたようにも見えるはず。その場合、動くのはティツィアーノか。それとも、ティツィアーノの前に現地の者が独断で人を寄こしてくるか。


(神よ。私に、天運を。フォチューナ神よ。私に好機を。父上、母上、私に勇気を)


 神牛の革手袋を取り出し、口づけを。

 軍団兵を納得させられるかは、そこで、決まる。

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