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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十九章
1541/1590

アレッシアよりの使者

 フロン・ティリド遠征は、フロン・ティリド編入戦と名付けていた戦いである。

 即ち、支配が目的。支配とは情報の掌握もそうであり、物流もそうである。どちらにも関係するのは、道だ。


 当然、フロン・ティリドにも主要街道を作っている。いや、マシディリが直接出た遠征後の、アグニッシモを送り出す前に各部隊に命じた越冬地。それすらも道の拠点になる場所と見込んで命じた場所。


「アレッシアの港整備と言い、まさかこんな形で役立つとはね」


 アレッシアの群衆を軍団にするための訓練での行軍距離で十日。

 尤も、これはタイリーの訓練を元にしたエスピラ以来の訓練であり、副官が道々に群衆のための物資を準備する訓練でもある。即ち、物資をほとんど持たない連続行軍だ。


 その道を、七日で強引に踏破したのが、第三軍団。脱落者は一人もいない。されど、流石の第三軍団も戦闘はできそうに無い状況だ。疲労困憊のこの精鋭を守るのは、オルニー島からやってきたニベヌレス監督下の兵一千のみ。


 いや、港から聞こえるやさしい音色は、テュッレニアで聞いたような気がする。即ち、マシディリが手配した船以外にもナレティクスからの援軍が入っていると言うことだ。


 それが、マシディリがテルマディニに入ってすぐに確認したこと。


 クイリッタの死からは、既に十九日が経っている。


 その間どうなっていたのかは、マシディリには良く掴めていない。確かなのは、アレッシアは存続していると言うこと。


「脱落者が出なかったのは、ルールファルスのおかげです」


 そんな風に兵に伝えながら、百人隊長達には監督下の者達の宿舎を割り当てていく。民家に泊めてもらう者もいるため、くれぐれも粗相のないように、との念押しも忘れない。それから、街の鍛冶屋に頼み、兵の武器を見て回ってもらえるようにも伝えて置いた。


 だが、兵の中には宿舎に着くなり寝てしまう者も居るだろう。

 そう思える状況だと言うのに、マシディリの足はまだ十全に動く。頭も、動いている気がする。理由は分かっているが、向き合いたくない理由だ。


「お待たせいたしました」

「何の。お早い到着に、老体に鞭うたずに済んだと安堵しておりもす」


 皺だらけの顔をさらにしわくちゃにし、トトランテが笑った。

 アスピデアウスの被庇護者だ。御年六十四。父が生きていたとしても、父より年上の人間である。


「お世辞は要らないですよ」

「世辞、となると、マシディリ様はまさに神のようじゃ、と申さねばならぬの」

「はは」


 来る途中で表情筋を指で必死に動かしておいて良かった、とマシディリは心の底から思った。


「不躾で申し訳ありませんが、予定が詰まっていまして。用件をもう聞いても良いですか?」

「うむ」


 トトランテが頷く。

 少々緩慢な動作は、マシディリの気持ちが急いでいるからか、それともトトランテの歳か。少なくとも、歳の所為でもあると思い、マシディリも落ち着こうとするだけの気持ちを作ることができたのは事実である。


「何から話すかの」


 マシディリは、笑みの維持に気を付けた。


「儂も、来てから新たに触れる情報があっての。少しばかり混乱しておりもす」


(情報の行き来はできている、と言うことは、半島で反乱が起きてはいないと見るべきでしょうか)


 安心するには、まだ早いが。

 少なくとも、アレッシアが昔々に制圧した部族の蜂起の狼煙がクイリッタの殺害では無いようだ。


「うむ。そうだの。儂が知っている限りではになるが、べルティーナ様もご子息も生きておるようだ」


 足が、一気に重くなった気がした。足裏も痛んでいる。

 ああ、なるほど。これは、この疲労なら、兵も早く寝たくなるはずだ。


「弟妹も、少なくともクイリッタ様以外は殺されたとは聞いておりませぬ。ベネシーカ様は少々怪しい目にもあいもすたが、女傑じゃて、有名になっとる。

 まあ、一番女傑として名を挙げたのはべルティーナ様じゃが、そうだの。ウェラテヌス邸は、一種、近寄れぬ空間となっておりもす。

 シニストラ様、ヴィエレ様が入られ、ラエテル様の演説に感銘を受けた者が集まり、カウヴァッロ様が三百の兵を率いて、武装したままアレッシアに入ってしまわれたそうな」


「カウヴァッロ様が?」

 法を破るか破らないかで言えば、命令を受ければ破る、と言ったところか。

 そして、カウヴァッロに命令を下せると言えば父しかおらず、父の次はマシディリと言うことになるが、当然、マシディリは命令など下していない。下せるはずが無い。


「ほほ。流石にマシディリ様の命令ではありませぬの。ご子息も、随分と果断になられておりもすの」


「私が、信じないのも問題だとは思いますが、べルティーナやセアデラが指揮を執っているのではありませんか?」

「分からぬ。儂ら、ウェラテヌス邸には近づけんでの」


「べルティーナを、女傑と」

「うむ。それは相違ない。なれど、いち早く敢然とした声明を出したのはラエテル様じゃて」


「ラエテルが」

 頼もしさ半分、驚きが残りの多く。未だに信じられない気持ちも、少々。


 決断力に乏しいとは思わないが、どちらかと言うと融和が得意であり方針だと思っていたのだ。だが、聞く限りでは立ち向かう決断を誰よりも早くしたらしい。


(いや、サジェッツァ様への態度もラエテルが一番手か)


 思ったよりも、頭になる資質があるらしい。

 そのことが、心を久々に温かくした。


「しかし、ウェラテヌス邸に近づけないとは。包囲されているのですか?」

「警戒されておる」

「何を? まさか、凶賊がまだいるのですか? アレッシアに? 元老院の議場で凶行に走った暴徒ですよ」


 また、足に力が入る。声にも力が入った。飛んだ唾が、トトランテの足元にも落ちていく。


「落ち着いてくだされ、マシディリ様」

 ゆったりと、トトランテの手が上下に動いた。


「事態の収束のために、ティツィアーノ様が独裁官になられた。間もなくアレッシアは落ち着きを取り戻すと思いもす」

「賊徒討伐に、カウヴァッロ様の軍団を使いたいから私の許可が欲しいと言われるのですか?」


「うんな。儂はその前に来ておった。無論、そのことも含め、早急に対応策を協議したいとティツィアーノ様は言っておりもす。ついては、儂と共に今すぐアレッシアに戻ってはくださらぬかの。ティツィアーノ様も、べルティーナ様もラエテル様も待っておいでじゃ」


 ふう、とマシディリは冷たく息を吐いた。

 いやいや、と否定する心に、冷たい水をかけていく。


(指揮官とは、誰よりも情が深く冷淡であり、誰よりも自分に酔いながら自身の決断を疑い、誰よりも利を分配し己の利益に強欲でなくてはならない)


 なるほど。お爺様。どうやら、これは当主としての心得でもあったのですね。



「べルティーナとラエテルを殺しましたか? その死に際に、あっぱれであったと?」



 見下(みお)ろし、見下(みくだ)す。


 冷たい目で。


 トトランテは困り眉をして、唇を一度濡らしていた。


「そうであるなら、儂は死んで来いと命じられたようなものだの」


 それも、そうだ。

 ただし、生存の可能性が少し上がっただけ。死んだ可能性は未だに捨てきれず。


「何も後ろめたいところの無い命令であるならば、ティツィアーノ様が待っていると告げるだけで良かったはず。私の世界一愛しい妻と大事な息子をわざわざ持ち出したのは、後ろめたいことがあるから。私が来ないと思える何かがあるから。


 では、答えましょう、トトランテ。

 独裁官殿の命令には逆らいません。

 されど、私とは即ち第三軍団を含めた一つの群体。故に、軍団を伴いアレッシアに向かいます。


 そうお伝えください」


 損な役回りだの、と、トトランテがぼやいた。

 体は小さくなったように見えるが、心の火は全く衰えていない。


 だからこそ、使者に選ばれたのだろう。

 だからこそ、父も選挙のかく乱のためにトトランテの名を出したこともあるのだ。


「ティツィアーノ様は独裁官だと申しもすた。マシディリ様の軍事命令権の上に立つこともできることを、忘れてはおらぬかの」


 困ったように言うトトランテの腰は、どっかりと椅子に座ったままであった。


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