薪は、投じられた
「撤退はしない」
夜。
寝ようとしていた高官をも全員たたき起こし、変事を告げる。
ただならぬ雰囲気は、どうしても漏れてしまうモノだ。例え、マシディリが無表情を貫こうと必要以上に感情を排しても。何が起こったかを、説明するより前に察してしまった者も居るはずである。
「目の前のフロン・ティリド遠征を完遂させ、その後に第三軍団だけでまずは退く」
「兄上!」
真っ先の声は、やはりアグニッシモの涙声。
目も真っ赤にして、鼻もすすり上げている。
「兄貴の仇を! あんな、議場で殺すなんて。そんな誇りもへったくれも無いくそったれな奴らが生きているなんて。一秒たりとて許せません!」
「私も同じだよ、アグニッシモ」
ぐ、と握った拳で、手の中の棒を砕き切る。もちろん、赤のオーラを手の中に出し、怪我しないように破壊した上で、だ。
「どう殺してやろうかと。今でも考えてしまっているほどに、私も怒っているよ」
ただし、声は努めて冷静に。
速度をやや落とし、一音ずつはっきりと。
「なら! 今すぐに!」
「撤退してどうする」
「殺しに行く!」
龍哮した愛弟に、右手を向けた。
指を閉じながら手を右へ。染みついた動作だ。怒りに溢れている弟も、口を閉じる。
「アレッシアでは、変事から既に八日も経っている。計画的であれば、もう防衛線が敷かれているはずだよ。フロン・ティリド諸部族やスィーパスが黙っている道理は無いからね。挟み撃ちにあって終わりさ。
仮に、突発的であったのなら、もっとひどいだろうね。怒りに身を任せて反撃を試みる者達も出ているはずさ。なお悪いことに、べルティーナはアスピデアウスの娘だから。もう、生きて会うことは無いかもしれないね。子供達も。暴走すれば、フィチリタ、レピナ、セアデラも襲われているかもしれない。
アグニッシモ。
生き残ったウェラテヌスは私とアグニッシモだけとの覚悟は決めておいてくれ。だからこそ、私達が二人とも同じ場所で討たれるわけにはいかないとも」
兵の前では決して言えないことだ。
士気としても、特別扱いであると言うことを考えても。
「二人だけって。すぺらんつぁは? 姉上は? チア姉は?」
「…………ユリアンナは、無事だろうな」
アグニッシモの口が、二度、動く。しかし音は出てこない。
マシディリは、両手を握る指に力を籠めると、誰とも目を合わせないまま顔を上げた。
「アレッシアの敵は目の前にいる。あの抵抗勢力を討てるのは、現時点では我々だけだ。
何はともあれ、目の前の敵を打ち負かさねばならないのが現状だ。
それがアレッシアのためになる。祖国で暮らす者のため、兵のため、アレッシアのために散っていった英霊のためにも。私達がするべきは、目の前の敵を倒すこと。
全てはアレッシアのために。
話しは、それからだ」
ようやく目を高官に向けた。
全員の顔を見てから、アグニッシモに。アグニッシモからヴィルフェットとリベラリスに対して、作戦説明を求めようと目を動かす。
「もしも計画的だった場合」
だが、話は戻る。
戻したのはアビィティロ。マシディリが頼りにする側近中の側近だ。
「テラノイズ様達、プラントゥム駐屯軍が帰り道を塞ぐ可能性があります。目の前の敵を放置して帰れば挟み撃ちになるでしょうし、大構想があるのなら、背後にはスィーパスの大軍が残っているはず。
時間をかければ、半島からも逆賊が北上してきます。
戦略的に見ても、まずはフロン・ティリド平定。そののちにプラントゥムの様子を見て、実利だけを考えるのなら、プラントゥムも抑えてフラシを抑え、基盤を固めるのが最善でしょう。
ですが、マシディリ様はそう為されない。そして、我々もそれを望んでいる。
そうですよね」
最初から最後まで、マシディリやアグニッシモに言うと言うよりは、他の高官達に言うように。
「エスピラ様もそう為されでしょう。ヴィンド様やグライオ様も、エスピラ様の窮地にはいち早く駆け付けたでしょうが、事が為された後では、まずは目の前を潰すと思われます」
同意の一番手はグロブス。
「議場を穢したことをアレッシアの神々がお怒りなら、必ずや我らの前に道が拓けるはず」
次に、マンティンディ。
「犯人、不明。情報、少量」
「私はマシディリ様の命令に従うだけ。ただ、如何なる道も切り開く覚悟ではおります」
アピス、ルカンダニエと第三軍団の高官が続く。
場の雰囲気に流されて、というのもあるだろうが、アグニッシモ以外の高官が次々と同意を表明してくれた。いや、第三軍団の面々が、この雰囲気を作ったのだ。
「アグニッシモ。何日で決着がつく?」
「明日にも!」
随分と涙に濡れた声で、アグニッシモが叫ぶ。
「三日渡すよ。焦らず、しっかりと、確実に得物を仕留めてくれ。その間に、私は取って返す準備を進めるから」
アグニッシモには、安心させるようにゆっくりと。
「リベラリス。戦後処理を任せます。パライナは軍事方面でリベラリスの補助を。
スペンレセ。第七軍団を率いて、テラノイズ様の動向に注視しつつスィーパスの動きの封鎖と何かあればリベラリスとパライナの援護を。
そのほかの部隊はアグニッシモと一緒にアレッシアへの帰還を許可します。ただし、帰還の可否はリベラリスの判断であり、リベラリスはヴィルフェットと良く相談するように。
戦後処理のために連れてきた者達の多くも連れて帰ります。
それから、全軍に通達。
まだ第一報です。これが、敵の虚報では無いとも限りません。その観点からも、フロン・ティリド遠征の総仕上げが最優先順位であることを忘れずに」
どこか、嘘では無いと言う確信があるのも事実だ。
それが根拠に、フロン・ティリド遠征の総仕上げを優先する理由を切り離して伝えてしまっている。
「あと、そうですね」
さも今考えましたと言うように。
全軍に伝えるまでの間に考えていたことを口にする。
「明日、閲兵式を行いましょうか。兵にも何かがあったとは伝わっているはずです。なので、盛大な閲兵式を。軍団の勇姿を見せつけてください。私と、そしてフロン・ティリド諸部族に。その威圧も作戦の助けになると思いましたが、アグニッシモ、どうだい?」
「なる。なります!」
「アグニッシモ」
窘めるように、一つ。
「問われているのは、軍団指揮官としての資質だよ。そして、先に帰る私が完全に罠に嵌った際にウェラテヌスを再興させるのは、アグニッシモ、私の愛する弟の役目だ。もちろん、辛いことを押し付けるつもりは毛頭ないけどね」
アグニッシモが、ぎこちなく、そして大きく顔を上下させた。
少しだけ考えた様子があり、口が開く。
「問題ありません。元より、兄上の威光で以てフロン・ティリド諸部族の頭を垂らす作戦でもありましたので、作戦通りとも言えます」
「うん。頼んだよ」
おだやかに声を掛け、いつもより丁寧に口を動かすように気を配りつつ、動作も大きくゆったりと。そうして全ての作戦を聞き、マシディリの思ったことを伝え、最終的な作戦を決定してから、マシディリは高官を帰らせた。同時に、第七軍団の高官には軍団全体を落ち着かせるようにとの宿題も課す。
(あとは)
ある程度の裁量を任せられ、それでいて、欠けてもどの軍団も困らない、そんな人物は。
「ピラストロ」
共に学んだこともある、被庇護者の友しかいない。
「はい」
ピラストロの顔に、もう涙の痕は見えない。
しっかりと鎧を着こみ、背筋を伸ばしている。
「ディファ・マルティーマに向かってください。今から」
「はい。今から向かい、今から?」
「ええ。今から」
ピラストロが首を動かし、天幕の外を見るような動きをした。顔はおおげさに上に。夜中も夜中。真っ暗だ、と言いたいらしい。
「ディファ・マルティーマに匿っている亡命者達や亡霊を奪われれば、外交政策の大きな転換を迫られてしまいます。此処は、守らねばなりませんが、任せられるのはピラストロしかおらず」
少し語尾を伸ばし、声を途切れさせる。
それから背筋をもう一度伸ばし、ピラストロをしっかりと見据えた。
「ウェラテヌスの秘宝を頼みます。防御陣地群を復活させてください。私が元老院に戻れば、罪には問われませんから。それから、父上と私で考えた防御陣地群の復活構想は叔母上に預けています。叔母上から受け取ってください。
『九番目の月の十七日』『十四年と二年』『九の六』
これを忘れずに」
上から、母の誕生日。父と母が出会ってから結婚までの月日と結婚からマシディリ誕生までの月日。祖父から見た母の誕生順と祖母からみた母の誕生順だ。
ごくり、とピラストロの喉仏が大きく動く。
「もしも、もしですよ、もしもカリヨ様が既にお隠れになっていたら」
「出来る限りの復刻を。多分、スペランツァが生きていたらスペランツァがディファ・マルティーマに向かう可能性もあるから」
頼んだよ、と足下部隊長に任じたことのある被庇護者を送り出す。
翌日。閲兵式は盛大に執り行われ、戦場のすぐ傍だと言うのにフロン・ティリドの者達が見学に来るほどでもあった。
マシディリは、彼らに対してもいように気前よく振る舞い、アレッシアの印象を上げていく。
その後に行われた戦いは、なるほど、アグニッシモがマシディリを援軍として呼んだ理由の良く分かる戦いとなった。
即ち、負けようがない戦い。
数多の手札と圧倒的な質と量で戦闘を優位に進め、交渉でもしっかりと主導権を維持したまま最後の抵抗拠点から頭目を引きずり出すモノ。
「成長したね、アグニッシモ。
父上も誇りに思っているし、母上も褒めてくださるよ」
はにかむ愛弟の頭も思いっきり撫で、最後に抱きしめる。
翌日に開始するのは、第三軍団の撤退。
それは、クイリッタ死亡の第一報を受けてから四日目の朝。既に第二報は、届いていた。
『クイリッタ様は、夜半に、ようやく、ウェラテヌス邸にご帰還なされました』。
そんな、奴隷の嗚咽交じりの報告。
即ち、クイリッタは、最も頼りにしていた長弟は、一日近く議場に捨て置かれていたのだ。




