混乱の中で灯る光 Ⅳ
「ラエテル様」
呼ばれ、ラエテルはすぐに目を覚ました。同時に、これまでが夢では無かったとも悟る。
警戒態勢の維持が決まるなり、母に寝られるうちに寝るように、と言われていたのだ。その前の慌ただしさが残った空気のまま、呼びに来た被庇護者の顔にも緊張が見て取れる。
「サジェッツァ様がお見えになりました」
「アスピデアウスの」
寝起きの頭と言う言い訳があっても、続きの言葉は「当主が」と変わる。
「今は、玄関で留め置いております」
「向かいます」
礼も告げ、すぐに歩き出す。歩きながらも手で髪の毛を確認し、衣服も確認した。特に問題は無い。寝る前は聞こえていた弟妹の泣き声も聞こえない。フェリトゥナとカリアダは疲れて寝ているのだろうか。
深呼吸、一つ。
口元を引き締めると、ラエテルは玄関が見える廊下へと出た。
右手にシニストラ。左手にはセアデラ。そうして屋根の下に入れないようにしながら、外にサジェッツァ夫妻を留め置いている。無論、屋根の下では無いだけでしっかりとウェラテヌス邸の敷地内だ。
「しっかりと防衛体制が敷けているな」
サジェッツァが言う。
後ろに他の者、例えばアスピデアウスの孫などは見受けられなかった。ラエテルの知るサジェッツァの性格を考慮しても、子供達は置いていくかもしれないが孫を敷地外に置き去りにはしないだろう。
「何の用ですか」
腰帯に手を伸ばし、短剣の近くに左手を置く。
サジェッツァの表情も重心も、何も変わらない。
「一時的な庇護を求めに来た」
「庇護ですか? アスピデアウスが?」
「ティベルディードが名実ともにカッサリアの当主になるとの宣言が先ほど行われた」
目をセアデラに向ける。セアデラは右目だけを素早く閉じた。聞いていないらしい。少なくとも、ウェラテヌスはまだ把握できていない情報だ。
「暴徒が擁立したと言うことですか。だから、連携が寸断される前にウェラテヌスとアスピデアウスがある程度まとまっていた方が良いと」
少なくとも、ティベルディードにクイリッタを殺して当主になる気があるのなら、議場でやらずとも別の場所でやった方が良い。機会も多かった。
ラエテルのみならず、セアデラや恐らくシニストラも同じことを思っているはずである。
「それだけか」
サジェッツァが淡々と言う。
む、とラエテルの頬が膨らんだ。
慌てて感情を引っ込め、真剣な顔を作り上げる。
「僕らがアスピデアウス邸に行くはずが無いからですか? それとも、アスピデアウス邸は防御を全く意識していなかったのですか? それは、やっぱりじいじの方が凄かったと言う話ですよね。来たのもじいじには勝てなかったと言う降伏ですか?」
サジェッツァの表情は、やはり変わらない。
対照的にラエテルは、ぐるむ、と歯を外気に晒しながら前のめりになってしまう。
「まだ小粒だな」
一瞬で重心が前に行く。
が、抜きかけた膝を慌てて戻し、重心を踵にやる。気づかれないように深呼吸もした。
「アスピデアウスの方が関係者が多いから、当主自ら来たと言うことですよね。それに、何かあってもティツィアーノの伯父上が動けますし、パラティゾの伯父上は今回の動乱にしばらくは巻き込まれない。あるいは、凶事を聞いた遠征軍がパラティゾの伯父上に危害を加えそうになる前に自分達が人質の役割を果たすと言うことですか?」
「アレッシアは人質を認めない。最後に関してはほとんど意味はないはずだ」
んんんん! と叫びたい衝動を必死に抑えた。
「じいじだったら褒めてくれたのに!」
代わりの言葉が、絶叫となる。
ラエテル、と諫める冷静な声は、セアデラのモノ。
「受け入れるか受け入れないか、だ。にわかには整理がつかないかも知れないけど、アスピデアウスの当主を受け入れておくことは強力な札になる。
それに、義姉上にとっては父母だ。気丈な方だけど、義姉上は何でも自分でやろうとしてしまう人である以上、義姉上にとって頼れる人は少しでもいた方が良いはずじゃないか?」
(母上)
尊敬できる母親だ。
たまに父にいじられ、その度にラエテルから見てもいじりたくなるような反応を返してしまっているが、建国五門の人間の理想像と言えば、母の在り方である。
その母の助けになるのなら。
「私のことは考えなくて良いわ、ラエテル」
凛とした声が耳に届いた。
母にとっての父母に向けた、お久しぶりです、という言葉にも芯と先程までとはまた違う親しみが込められている。それでも、自分への声の方がやわらかかった、とラエテルは思った。
「貴方がいてくれるだけで十分に頼もしいもの」
やさしい目のあとに、サジェッツァに向かっていく凛々しい目。
ラエテルも、一つ、深呼吸を行った。
暴徒の中核は未だに不明。であるならば、アレッシアの二大派閥を両方とも抑えられるのは大きな利点だ。マシディリの傍にいるパラティゾは、どちらかと言えばマシディリが上だと見られている。そして、サジェッツァがマシディリと同格。そのサジェッツァがウェラテヌスに庇護を求めたとなれば、どのような者でも簡単には手出しができないはずだ。
問題はラエテルとセアデラに実績が少なく、サジェッツァが指示をしているとみられること。功績が欲しいとは、ラエテルもあまり思わない。欲しいには欲しいが、絶対では無いのだ。とはいえ、ウェラテヌスの功を他家門に盗られるのは、口惜しい。
では、逆に拒否する利点は何か。
(ない、かも)
受け容れ拒否で起こるのは、味方の先鋭化かも知れないのだ。
その矛先が、アスピデアウスの娘である母に向かうのは想像に難くない。アスピデアウスの血も流れている自分達にも来る可能性はある。そして、ラエテルを立てたセアデラやシニストラ、ヴィエレと言った面々も危うくなる未来も、否定できるモノでは無かった。
(そこまで考えて?)
ただし、迷っている時間はもう無い。
「じいじや父上であれば、助けを求めてきた者を拒みませんでした。僕も、そうありたいと常々思っております」
まあ、とアスピデアウスの祖母ジネーヴラが上品に両手を合わせた。
母にも面影が見える動作であるが、祖母の場合はかわいらしい、という印象が生まれてくる。
「サジェッツァのことは私がしっかりと見張っておくから、ラエテルは安心してくださる? 大丈夫よ。この人、適当に歩かせるの怖いでしょ? 私は怖いもの」
あまりにもにこにこな笑顔に、ラエテルは毒気が抜かれてしまった。
セアデラも重心が先ほどよりも浮いている。警戒を解いていないのは、シニストラだけだ。
「勝手に決めるな」
サジェッツァが低い声を出す。
しかし、表情は能面から変わっていた。渋面と言うか、押されている顔だ。
「誓紙まで用意したのはどなたでしたっけ? ほら、ほら、行くわよ。貴方、年寄と言っても男なんだから、部屋ぐらい自分で誂えないと。べルティーナ。案内してくださる?」
「ラエテル」
母の目が、どうする? と聞くようにやってきた。
「お願いします」
「父上はこちらに」
「ふふ。すっかり立派な母親ね」
母の言葉を、やや強引に祖母の言葉が包み隠した。
その少々の強引さで、祖父の背を押し切り遠くにやる。シニストラがラエテルに頭を下げ、サジェッツァの背後を取りに行った。
「あの人、昔から口下手なのよ」
くすくすと祖母が笑う。
「特に親しい人だと甘えるのか、余計に足りなくなって。ラエテルのじいじに対してなんて、それもう輪をかけて下手だったわ。
ごめんなさいね。ラエテルにとっては、大好きな祖父を殺した憎い相手でしょうけど。
でも、あの人も褒めていたのよ。ラエテルも決定が早いって。最初は浮いていた腰を、いつの間にかしっかりと落ち着かせていてね。決定の早さはエスピラ以来のウェラテヌスの特徴だなんて言っていたけど、ふふ、どういう意味かしらね」
祖母、ジネーヴラの顔を、久々にまじまじと見る。
やさしそうな人だ。顔の皺は、そのまま包容力にも思えてくる。
「父上は、刻限まで考えて決断を下す者と、即座に決断を下してまずは動かす者と二通りあると仰っていました。前者が、アスピデアウスの、当主であるとも」
「良く言ってくれて嬉しいわ。でも、貴方も立派よ、ラエテル。これだけの難事ですもの。あの人でさえウェラテヌス邸に逃げ込む判断はようやく下したばかりだと言うのに、貴方はウェラテヌス邸の防備を固めて、演説も行って立場を表明したわ。
そんな人に、あの人が説教染みた言い方するんですもの。
もう、本当におかしくておかしくて。そんな場合じゃないのだけど」
ふふ、と笑いながら、祖母が手を前に出す。
きょとん、としたラエテルだが、すぐに気づくと祖母の手を取り、案内するように一歩引いた。
「頼りにさせてもらうわね。よろしくね、ラエテル」
「何分緊急事態ですのでお見苦しいところも見せることになるかと思いますが、アスピデアウスのばあばが安心して過ごせる場所であると自負しています」
今回の演技は、気恥ずかしさを隠すためのモノでもあって。
ラエテルも、ようやく人心地つけた気がしたのであった。




