混乱の中で灯る光 Ⅱ
「シニストラ様」
腰帯から剣を下げた状態で、ラエテルは玄関まで急いだ。
「ラエテル様」
シニストラが膝を曲げ、父にするような礼をラエテルにもとってくれる。
「早朝から議場に居た者が全て殺されたとか、アレッシアの中枢を担う者達が襲われているとか、既に建国五門が根絶やしにされたなどと言う話を聞きまして、急ぎ、駆け付けて参った次第にございます」
「此処に、アレッシアのウェラテヌス邸には、まだ暴徒の類は来ていません。それに、セアデラも、弟達も、母上も無事です」
「クイリッタ様は?」
言葉が詰まる。
シニストラの沈痛な顔は、ラエテルの回答はそれで十分だと言う返答でもあった。
「僕達は、此処で守りを固めることに決めました。シニストラ様も、ご対応を。暴徒は何を目的としているかすら分かりませんから。レピナの叔母上をお頼みいたします」
「いえ。私もこちらに残ります」
「お言葉はありがたいのですが……」
「アルグレヒト邸には人を走らせております。レピナ様は、フィロラードがいれば問題ありません。アルグレヒト邸の指揮もカンクロが取ります。サジリッオがセウヒギオの祭典に行っているので人は減っていますが、遠征には従軍していませんので、ウェラテヌス邸よりは守りは硬いでしょう。
それに、二度目の陥落が起こってしまえば、私はエスピラ様に合わせる顔がありません」
真っ直ぐな視線がラエテルに向けられる。
ラエテルを越えて、先に祖父を見ているような目だ。だが、しっかりとラエテルを見ているとも分かる目である。
「実は、私もシニストラ様がいらっしゃればこの上なく頼もしいのに、と、神々に祈る気持ちでおりました」
そこまで思考が回っていなかったのが事実。
「直線をご用意ください。その一本道は、誰一人として通すことは無いと、アレッシアの神々とアルグレヒトの父祖と、エスピラ様に誓います。何よりも硬い鉄の誓いとして」
ウェルカトラ神は、シニストラが信奉する鉄と武具の神。
ラエテルが祈る暇など無かったことは見抜かれてしまっているようだが、祖父の剣はラエテルの気持ちを受け取ってくれた。
「勿体ないですが、潰れやすい野菜も投擲武器として使うつもりです。戦場で見ることのない武器となりますから、歴戦の兵でも多少は動揺するのでは、と」
ラエテルも自ら木箱や石を運びながら、シニストラに話しかける。
「良いお考えだと思います。しかしながら、蜂の巣や馬糞が飛び交う戦場を駆けた者達であれば動揺しない可能性もあると考え、油断なされないように願います」
こくり、とラエテルは頷いた。
女の奴隷も老人の奴隷も働いている。休みの番だった乳母も全員が起きていた。
子供の奴隷は働く者達に薄めた酒を配り歩き、足の速い者は近くの偵察に出向き、力のある奴隷は空の箱や袋に土を詰めている。
ウェラテヌス邸は、元々攻撃に備えた家では無い。
それでも、「父上が全く想定していなかったとは思えない」と当主の書斎に入り込み、家の間取りを探し出したのはセアデラだ。そのセアデラが、急いで陣を考え、ラエテルからの命令として指示を出している。
抜け目のない叔父だ。
時間短縮なのだし、セアデラの提案だからセアデラの功で良いはずなのに、必ずラエテルの名を出してラエテルが上であると周囲に知らしめているのである。
「一団接近! 数、十一!」
緊張が走ったのは、応急措置がそろそろ完了するかという頃。
「ヴィエレ様です」
安堵の息は、ラエテルから。
シニストラも笑みを浮かべているが、ラエテルと外との間に足を入れているのは、歴戦の警戒心と言う奴だろう。
「マシディリ様! じゃない!」
ただし、飛び込んできたヴィエレの第一声に、シニストラの足が静かに引いて行った。
多分、ヴィエレは気づかなかったはずだ。警戒された瞬間があるとは、夢にも思わないかも知れない。
「えっと。どちらに? 御無事ですか? シニストラ様が指示を? 他の奴らは?」
「いっぺんに言うな」
シニストラの上位者然とした声に、ヴィエレが背を伸ばした。乱れていた衣服も手で慌てて整えており、後ろの男達も髪や腰帯を直していた。
「指揮官と言う意味では、僕が務めることになりました。父上が出立前に決めていましたので」
嘘だ。
それでも、効果は覿面である。
「この家に住んでいる人々も全員無事です。陣の作成はセアデラが急いで組み立て、シニストラ様には防衛の要を依頼しています。他の方は、どうなっているのか、分かりません。分かっているのは、この一帯にはまだ暴徒は侵入していないことと多くの者が戸を閉ざしていることです」
「ファリチェの奴は大事な時に何をしているんだっ」
ヴィエレの手は、ぐわ、と指を広げ、第一関節から曲げた形になっている。
「何を差し置いても駆けつけてくださったヴィエレ様に感謝することはあれども、来られない方を責めるつもりは毛頭ありません。大事なモノはたくさんありますし、守らねば命を繋いでも困ったままになってしまうモノもアレッシアにはたくさんあります。何より、当人が無事かも、まだ、分かりませんから」
ラエテルは語尾を弱め、淡く哀しく微笑んだ。
あ、とヴィエレが申し訳なさそうな顔をする。後ろの者達も、何人かが隣の者を小突いていた。
「父上がウェラテヌス邸の増改築を行い、アレッシアでも有数の大きさを誇る邸宅に変えましたが、物資は無限ではありません。多くの者が一気に詰めかけるよりも物資を纏めてから向かおうと考えている可能性もあります」
家の中から現れたセアデラが、ともすれば非難と聞こえてしまいかねないことを言ってくれた。
(セアデラ)
父にとっての叔父とは、このような存在だったのだろうか。
だとすれば、これは、今日の事件は。
「確かに、ファリチェの奴なら色々考えていそうだよな。ピエトロ様がまた夢枕に立ちそうだ。お前は何を見ていたのだってな」
ピエトロは、祖父のエリポス遠征時最高齢の高官だった男である。陣地構築や防衛に優れ、晩年はヴィエレと組むことも多かった。父の高位高官就任に尽力したとも聞いている。
「何を見ていたのですか?」
セアデラが悪戯っぽく聞く。
ヴィエレがなんとも言えない顔をして、口を開いた。
「クイリッタ様を討った、と喧伝している奴等ですよ。四十人くらいはいましたかね。アレッシアを巣食う大悪を殺した、アレッシアは元の姿を取り戻す、と言っていましたけど、誰もいない大通りで声を張り上げながら言って回る様は滑稽でしたよ。静かな街で、馬鹿みたいに。誰も聞いていないのに大声で。
ただ、一番滑稽なのは、大恩あるお方のご子息の仇を前に、撤退を決断した俺ですが」
ヴィエレの拳が、震えだす。
血も流れ出していた。
「四十人で一人を襲撃するとも思えませんし、喧伝だけに四十人なら他にもいると見た方が良いでしょう。ですから、悔しいでしょうが、英断だと思います。ティベルディード様も勇ある方ですからね。ティベルディード様も殺して、叔父上も殺して、ですと、勢いのままでは為せることも為せませんから」
ヴィエレが、頷く。
しかし、表情は垂れている前髪で全く見えなかった。
「……けが人や、返り血は?」
セアデラが静かに言う。目は、やけに鋭い。
「見たところは誰も。あまり血まみれの奴もいなかったですね。早朝からいた元老院議員は皆逃げたとか、殺されたとか、色々噂は耳にしたので議場に行けばもっとわかるかも知れませんが。見てきますか?」
「行ってはなりません」
「いえ」
シニストラの言葉と重なる形でラエテルは否定しつつ、ん? と、引っ掛かりを覚えた。
四十人で喧伝。
短剣か剣か槍かは分からないが、武器を持ち出しての刺殺とも聞いている。叔父も短剣は帯びているし、護衛のティベルディードは木の束を持っているのだ。
抵抗していれば、返り血が少ないのは考えにくい。
何人かを道連れにしているのなら、それも議場での凶行を隠す要素になり得るはずだ。自分達は抵抗されたのだとか、相手から攻撃を受けたと言い出す者も居るかもしれない。推測と言う噂は立つはずだ。
しないのは、頭が回らないからか、それとも、彼らが殺した者達以外死んでいないからか。
そして、街が、静かなのは。
「計画的な、凶行、では無い?」
ラエテルも、一つの真実にたどり着く。
クイリッタが見抜いた、真実に。




