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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十九章
1535/1587

覚悟を決めろ

 いつもと同じ時間に起き、いつもと同じ時間に着替え、いつもと同じ時間に書類に目を通す。


 これらは、全て夜が白み始めたとほぼ同時刻に行われている、クイリッタの日課だ。


 兄弟が出払っているために多忙を極めているが、開始の時間は何も変えない。変わるのは他の時間。優先順位の第一位はアレッシアの平穏以外にあり得ない。そうして、出発時間の際際まで忙しなくなるのがここ最近のクイリッタだ。


 だが、今日は兄の出陣後初めて少しばかりの時間が出来た。


(丁度良い)

 赤子の泣き声は乳母に任せ、書斎からお気に入りの書をいくつも抜き取る。


 さ、とパピルス紙も取り出し、葦ペンを滑らせた。あて先は、愛息サテレス。読み終えた頃だろうから、新しく送る、と。父子の交流としての暗号も最後に添えた。あの大甘な伯父のことだから、父も冬にはそちらに行くだろう、とも書くことも忘れない。喜ぶ愛息の顔が脳裏に浮かび、クイリッタの顔がわずかに綻んだ。


 珍しくそれでも余った時間で、ディミテラへの手紙も添えて置く。似合うだろうと買っていた物を送る好機か、と包装し、ついでに幾つかの日記も用意した。


 何はともあれ、初陣までの時間が伸びることを願うばかりである。


 その一文を、愛息に読まれる可能性を考慮して消そうかと手が動く。だが、時間だ。これも運命、とクイリッタは愛しき人への手紙を一発書きで終わらせた。


「ザダル。これを、すぐに送ってくれ」

「かしこまりました」


 足の速い奴隷は、信頼できる奴隷でもある。すぐにでもアレッシアを発ち、ビュザノンテンに向かってくれるだろう。


 いつもと違う時間を少しばかり過ごせば、いつも通りの時間に来た義兄ティベルディードに護衛を任せ、元老院の議場へ。


 クイリッタが着くのは、いつも早い方だ。人はほとんどおらず、朝特有の気を引き締めるような涼しさが満ちている、神聖な議場である。うるさく愚かしい場と化す議場も、この時ばかりはクイリッタの心を落ち着かせるのだ。


 だが、今日は少し違った。


「多いな」

 思わず、そうこぼしてしまうほどに。


「多いですか?」

「いつもと比べてだ」


 義兄にもぶっきらぼうに返す。

 確かに、数で言えば全議員の三分の一にも満たない人数しか来ていない。だが、十分に多い。


(アグニッシモを執政官に、という馬鹿げた話が、馬鹿げた話じゃなくなるかもな)


 ティベルディードは、サルトゥーラを父に持つのにこれだ。他の者も、クイリッタ視線で見れば特段、アグニッシモを抑えて執政官に推薦できるほどに優れている者がいる訳では無い。


 尤も、言えば調子に乗るので弟には言うまいと心に決めているが。


(まあ、一回ぐらいは褒めてやるか)


 このままでは兄があること無いこと、いや、無いことは言わないが、誇張して受け取られてしまいそうだ。そもそも詩作の才があるのだから、お前に才が無いのがおかしいとでも言っておけば十分だろう。


「クイリッタ様」

 そう思っていれば、随分と震えを抑えているような声が聞こえてきた。

 ロエル・アステモス。セルレと同じ姓だが、血縁では無い。共にアスピデアウスと深い関係にあるだけだ。


「何か?」


 聞くだけで、老人が一瞬黙る。

 目も泳ぎ出した。


 しかし、いそいそと頭が下がり、弱気な目がクイリッタにやってくる。


「クイリッタ様に、お礼のあいさつをしたいと言う方がおりまして。紹介してもよろしいでしょうか?」


 指し示されたのは、長髪の男。長すぎる前髪で顔を隠していることから、罪人を奴隷にしているのかと思ったが、違うらしい。いや、後ろめたいことがある者である可能性は十分ある。思えば、兄の下には多くの亡命者がやってきていたはずだ。その流れかも知れない。


 そう思うと、マシディリは政務用の真顔をしっかりと長髪の男に向けた。


「ええ。会議が始まるまでの間になりますが」


「ははっ」

 男が、笑う。


(どこかで)


 記憶が繋がるのは、一瞬。

 男の顔が現れたのも同時。


「まさか忘れているとはなっ!」


 クイリッタの足が意識せずとも下がる。目の前を銀色の光が下から上へ駆け抜けた。短剣だ。手に隠し持っていたらしい。


「マレウスでしょう?」


 声は冷静に。

 目は短剣を追う。

 刃を下に、またしてもクイリッタを捉えていた。


 だが、動きは直線。腕の軌道に腕を入れるのは難しい話では無い。難しいのは、抑えきること。片手ではすぐに押され、両腕を使ってもじりじりと押し込まれる。


「サルトゥーラのっ。次に派閥を支える男と言われていた、男が。議場でっ。凶行とは。落ちぶれましたねっ!」


 渾身の蹴り。クイリッタにも痛みが走った。

「んぐぅっ」

 歯を食いしばる。肩が熱い。左腕も、切り裂かれていた。


「お覚悟っ!」


 震える大声が後ろから。右膝から崩れるようにその場を離れるが、長いトガが引っかかった。切り裂かれたトガを無視して頭を叩こうと狙うが、奇声と共に振り回された短剣に右手が切られる。ただし、男も腕を振り回しているだけ。何を言っているかも分からない。泡を吹いていると言っても差し支えのない痴態だ。


「ティ」

 義兄を呼ぼうと思ったが、護衛であるはずの義兄がいない。


「ちっ」

 眼を鋭く。


(不意打ちの癖に叫ぶ馬鹿相手に逃げたか)

 ひっ、と何人かが肩を揺らした。だが、もれなく手には短剣を持っている。何人いる? 十人、二十人。もっとか。


 いつもならもう来ているアビィティロは、遠征中。そろそろ来るグロブスも遠征中。ウルティムスも早い方だが、これまた遠征中だ。ウェラテヌスの目も入っているはずだが、伝えるべき兄もいなければ、駆け付けそうな弟達もいない。


 だが、そう経たずに人は集まり始めるはず。


 だと言うのに、短剣を持ったままの者らは我先にとはかかってこなかった。円を作り、幾重にも包囲している。道には荷物も投げ捨てていることから逃がす気は無いのだろうが、短剣を抜くだけでやってはこない。覚悟が無いようだ。


 恐らくは、計画的であるが、今日起こしたのは突発的。


 誰かから漏れるところだったのか、あるいは、気まぐれか。ティベルディードは計画を知っていて、逃げたか。いや、加担したのなら、表情に出ないはずが無い。否定したと言ったところか。それとも、ティベルディードに話し、断られたから事を起こしたのか。だとすれば、殺されると思い逃げたのも合点がいく。


(このような者達に)

 クイリッタも短剣に手を伸ばす。


 が、痛みが予想以上だ。布もすぐに赤くなった。家族から貰ったマティが零れ落ちないように、位置を変える。ただ、手は離せない。

 これだから、父や兄は信頼できる白のオーラ使いを常に傍に置いていたのだ。今日のことは、自分の所為。


「政治力が無いとばかり言ってきたが、私の方こそ戦闘力が無さすぎたな」


 兄や、弟なら。この包囲を前にしても、もしかしたらがあった。

 が、自分には無理だと悟れてしまう。

 兄の言うことをもっと素直に聞いておけば、との後悔も頭をもたげる。


(すまない、サテレス)

 少しの間目を閉じ。

(悪いな、ディミテラ)

 遠くにいる愛しい者達を思い浮かべ、短く息を吐き捨てた。


 愛しい人から貰ったマティから、手を離す。



「聞け!」


 一喝。

 今まさに逃げようとしていた者達も、足が止まったような気がした。



「議場にてのこのような凶行。アレッシアの神々も許さなければ、二度と父祖に会うことも叶わぬ愚挙である。だが、しかし、諸君は為された。


 ならば覚悟を持って事を為さんか!


 建国五門が一つ、ウェラテヌスの子。エスピラ・ウェラテヌスを父に持ちマシディリ・ウェラテヌスを兄に持つクイリッタ・ウェラテヌスを討とうと決めたくせに、何を躊躇う。アレッシアの二頭様だぞ。仕損じれば、死ぬのは諸君の妻子を含めた一族諸共だと、何故理解していない。


 そのような愚図が元老院に巣くっているからこそ、この国が腐っていくと言うのがわからんのか!


 諸君に未来はない。

 必ず神罰が下されよう。


 ただし、忘れるな。


 諸君が恨むクイリッタ・ウェラテヌスは、神罰では無く人罰によって裁かれたのだと。我が最期をしかと見届けるが良い。そして、震えて待て。諸君には、私よりも酷い末路が訪れる」



 しっかりと、衣服を整えた。

 声もしっかりと張り続けられた。

 痛む肩も手も、血以外は隠し通せている。


「これは、神罰だ!」

 マレウスの叫びが聞こえる。

 ぐ、と熱が背中の右から走ってきた。


「追放への答えが暗殺とは。妹を娶ったティツィアーノに悪いと思わないのか、お前は」


 突進を受けて崩れた衣服を、再度整えていれば今度は正面から浅く短剣が刺さった。血は多い。クイリッタのモノでは無い。刺してきた男が、勢いがあり過ぎたのか手が滑り、自身の親指を切り落としている。


「戦場に立ったことがあるのは嘘か、ロエル」

 嘲笑しながら、再び服を整え。


「ゥヴウアアア!」

 訳の分からない叫びと共に、また、短剣がやってくる。


「元老院議員なら、立候補した瞬間に死ぬ覚悟をしておけ」


 クイリッタの憎まれ口が終わったのは、まだまだ、時間を要した後のことであった。

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