最後の車輪がまわる
フオルトゥードが、どこかで聞いたことのあるような演説を行う。
少しぎこちないそれは、ただ、アグニッシモが苦境には無いことを伝えるには十分な効果があった。
質問の類も、元となった演説の主であるトクティソスに気を遣いつつと言ったモノ。アグニッシモの悪友として戦場経験豊富だが、弁舌の経験は些か足りないフオルトゥードにとっては良い練習となるモノたちだ。
(そこまで考えていたかは分かりませんが)
ほどほどの所で、マシディリが援軍に行くことを告げれば、全ての質問が終わりを迎える。
援軍の認可は、あっけなく降りた。
神に祈りを捧げ、物資の調整を行う。そうしているうちに第三軍団はあっと言う間に揃った。訓練も十日ほど行えば、完璧な隊形変化を思い出すほど。
「閲兵式でも行いましょうか」
紫のペリースを風でなびかせながら、左手に神牛の革手袋をはめ、マシディリは提案した。
場所は森。
不思議がる声をのらりくらりと宥めて、全軍で円を描くように兵を並べる。向かう先は、中央。隊列を崩さずに、円の形を維持してひたすらに小さくしていく。
そうすれば、追い立てられた動物たちが中央に集まってきた。
「今夜は、宴ですね」
弓に矢をつがえ、一射。
鹿への命中を以て、狩りの開始とする。
そうして手に入れた肉を、軍団兵はもちろんのこと、見に来た者達にも振る舞い、豪勢な食事と活気を第三軍団の成果へと変える。目に見える実績だ。感謝の気持ちも兵に良く伝わる。
「流石は兄上」
活気から外れたところで、クイリッタが言った。手には二つの肉塊。その内の一つを、マシディリに差し出してくれた。
「喜んで良いのか分からないけどね。結局は、私財の節約だから」
「これだけの人に認められると、人は嬉しいものですよ。言葉ではなく、空気感で伝わりますから。いつもの褒め方になれた者も喜んでいるかと。それに、兵と民との繋がりは臨時給金以上のモノがありますから」
「なら良かった。援軍とは言え、何もすることは無いだろうからね。褒美は考えないといけなかった、と言うと、アグニッシモに申し訳ないかな」
「アグニッシモもアグニッシモで、流石に何か用意しているでしょう。マルテレスとは違いますから」
「マルテレス様も良い大将だったよ」
「これは失敬」
「あまり思っていないね」
「総合力で兄上に勝る者はおりません。戦術で言えばイフェメラ、個人武勇ならアグニッシモ、突撃能力で言えばマルテレス、内政ならサジェッツァ、交渉は父上。私なら、顔。
皆、どこかでは兄上に明確に勝っていますが、多くの要因が混ざっていく現実では兄上が最も能力が高いと信じていますから」
「顔」
「顔は私の方が良いですよ」
「兄弟だよ」
「私は母上の容姿と父上の声をしっかりと受け継いでいますから」
「そうかい」
「適当ですね」
「妹たちの方が容姿と言う点では、と思わないことも無いからね」
雰囲気なら、レピナだろうか。
いや、怒った姿ならユリアンナが一番似ているかも知れない。そう考えると、頭の中のユリアンナが「は?」と怒り出してしまったが。うん。やはり、機嫌が悪い時の母上に似ている。
「少なくともフィチリタよりは私の方が似ていますね。フィチリタは、元気すぎる」
クイリッタの視線を辿ると、マルテレスの子供達とすっかりと打ち解け、一緒にはしゃいでいるフィチリタがいた。近くでは狩りに参加していたクーシフォスも笑っている。
「絶妙に怒られそうなところを」
「事実でしょう」
「まあ、それでもレピナの方が似ていると思うよ」
末妹は、フィロラードが持ってきた肉を不機嫌そうに見つめている。だが、離れようとしたらさらに不機嫌になっていたのだ。多分、食べさせようとすればさらに不機嫌な顔をするが、行動は収まるのだろう。
「母上はきっと弟に不当に当たりませんよ」
「容姿の話をしていたよね?」
セアデラは、第三軍団の百人隊長やシニストラなどの古参の者達と会話して回っているようだ。
その流れで自身の家族へとマシディリが目を向ければ、愛妻と目が合った。その愛妻が子供達に教えると、子供達もこちらを見てくれる。マシディリも手を振り返した。隣にクイリッタがいるから仕事の話だと思われているのか、上の子供達は足を止め、ヘリアンテは乳母に手を引かれ、止められている。
「家族との時間は大事に、ですよ」
「クイリッタもね」
「兄上は私に気を遣い過ぎです。こんな高頻度でエリポスに行っていたら、それこそ財が幾らあっても足りませんよ」
「私の家族、という意味だよ」
「どちらでも良いように言ったでしょう? それなら孤児院に顔を出すとか言っておけば良かったですね」
「はは」
笑い、大きく手を挙げ子供達と愛妻の下へと歩き出す。
楽しい時間は、あっという間だ。
すぐに出立の時となる。
「じゃあ、後を頼むよ、クイリッタ。帰ってきたら、また旅行にでも行くかい?」
「兄上」
「ディミテラとサテレスの元の方が良いか」
「兄上」
先よりも、声は低く。
「感謝の態度だから。気を遣っている訳じゃないと思って欲しいかな」
はは、と笑い、マシディリは愛弟に手を振った。呆れたような顔を作り続けているクイリッタは、マシディリの振り向きざまにマティを取り出している。ディミテラからの贈り物だ。
(会談と言う憂鬱なことをやってもらってから、休暇、かな)
その前に何か用件でも作ろうか。
そんなことを考えながら、陸路を進む。
アルシリビニアの物資は、船で一気にテルマディニまで運び込んだ。後は、道中に北方諸部族などから支援してもらうだけ。
その中でも、北方諸部族を監視しているウルバーニからの物資が最も早かった。クイリッタに苦言を呈されたことが効いているのかもしれないと思ったのは、その速度に。確信に変わったのは、使者の歯切れの悪さで。
(まったく)
そう思いながら、フロン・ティリドに入る。
二年ぶりだ。
第三軍団の大部分は、初めて。
住まう者達の顔は明るく、アレッシアの支配が確立されているところは畑の被害が少ない。各地にアレッシア式の都市も見られた。そこを拠点に生活している現地部族の者も見受けられ、雑多な部族の者達も見られる。道も整っており、随所にウェラテヌスの奴隷も居を構えていた。
文面で見るよりも、上手く行っているようだ。アグニッシモや他の高官の頑張りによるモノである。こうなれば、凱旋式は行わねばならないと、マシディリは決意を固くした。
そうしているうちに、目的地が見える。
高い壁で覆われた、中規模な集落。川は途中でねじ曲がり、僅かな水しか入り込まないその場所に、女子供老人を含めた五万以上の者が閉じ込められていると言う。
「兄上!」
その目の前。
整然とした者達が並ぶアレッシア軍団の前で、アグニッシモがぴょこりと跳ねた。
それから、すぐに罰が悪そうな顔になる。
「あ、兄上。その、ね。兄上」
後ろの者達の顔は、暗くない。むしろアグニッシモに対して応援の意識ややはりかというようなため息、苦笑が見て取れる。
「どうしたんだい、アグニッシモ」
「あの、ね」
「怒らないから言ってみて」
「その、ですね。兄上。兄上に来てもらって申し訳ないのですが、兄上は見ててもらうだけで大丈夫ですと言いますか、既にもう終わりそうと言いますか。兄上が来てくれたからもう敵は戦意喪失しちゃって。そう。兄上が来るってわかってさ、降伏しますって。首領の首を差し上げますから助けてーって言ってて。あー、兄上はすごいなー」
「やっぱり?」
アグニッシモに笑い、それからアグニッシモの高官達に笑いかける。
「やっぱりお見通しだったじゃないですか」
アグニッシモを小突いたのはヴィルフェット。リベラリスも頷き、第七軍団の面々も笑みを浮かべている。
「へへ」
アグニッシモも、小さく笑った。
「成長したね、アグニッシモ。形はどうあれ、気遣いは本当に嬉しいよ。
クイリッタも褒めていたしね」
「兄貴がぁ?」
まさかあ、という響きが多分に含まれている。
開いた口も波打ち、歯が見えていた。
「本当だよ。『まあ、、成長したな』とか『ようやく一人前になったな』って言う、素直じゃない言葉だけどね」
「ぉぉ。兄貴が」
アグニッシモの目が丸く、そして幼く光り輝く。
クイリッタの憎まれ口を正確に理解できるのは、やはり家族ぐらいなものだ。だからこそ、クイリッタにも甘えないでほしいモノではあるが、最も頼りになる弟もクイリッタ。
「うしうし。ちゃちゃっと片付けて、兄貴に「どうだ」って言って、その面拝んでやりたいもんだ!」
アグニッシモが拳を突き上げた。
「軽く流されるのが良いとこですよ」とは、ヴィルフェットの言葉。他の高官もありありと想像できたらしく、アグニッシモがムキになって反論している。
(これは、予想以上だね)
アグニッシモと共に戦える、強力な軍団。
これ以上嬉しいことは無い。
スペランツァの赴いているセウヒギオの祭典も、無事に進んでいるとの報告も届いていた。二頭様と呼ばれているクイリッタがいれば、離れることがあっても安泰だ。
全てが、良い方向へと進んでいる。
そして、落とし穴は、そう言う時にこそ現れるモノ。
運命の女神は、気まぐれだ。
「マシディリ様」
息も絶え絶えな奴隷が駆け込んできたのは、いよいよ明日、最後と目した交渉が行われると言う日の夜。
「クイリッタ様が、議場で、刺殺されました」
次の音が何だったのか。
マシディリは、良く、分からなかった。




