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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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炎碧の契り

「これが、父上の力量なのですね」

 ふんすふんす、と興奮気味にラエテルが言う。


「たまたま上手く行っただけだよ」

 マシディリは苦笑しながら返し、ラエテルが持ってきた書類に目を通した。

 ウェラテヌスの蔵の中身である。もちろん、道路整備で一気に減ったことが記載されていた。


「ですが、来た時とはまるで別人の顔つきでしたよ。応接室に来るまでよりも帰る時の方が歩幅も広く、音も少し大きかったですし」


「流石だね、ラエテル」

 観察眼がしっかりとあって誇らしいよ、とマシディリは微笑んだ。

 無論、手元の書類は微笑むことのできる物では無い。


「凱旋式どうしようかなぁ」

 アグニッシモの、だ。


 開くとなれば、もちろん盛大に行いたい。が、その支出に耐えられるだけの財があるかどうか。


 フロン・ティリドに巣くう抵抗勢力は、貧乏だ。

 フロン・ティリドの編入が目的であるため、略奪も自由には出来ていない。長期的に見れば利益の大きな戦いにはなるが、今すぐに潤う戦争では無いのだ。


「耐えられますよ?」

 ラエテルが言う。


「来年にアフロポリネイオとドーリスとの戦争が起これば?」

「二国とも富裕な国ですが」


 うーん、とラエテルが眉を寄せた。

 愛息に喉仏はもうできているが、この顔を見るとまだまだ幼い気もしてしまう。


「ウェラテヌスが軍事命令権保有者になれない、と言うことが起こりうるのですか? それとも、此処でも略奪は厳しいのですか?」


「どっちもでもあるし、他に戦争が起きたら? とかね。まあ、ウェラテヌスのお爺様とかを考えると、あまり考慮し続けるのも、ウェラテヌスとしては良く無いのかも知れないけど」


「あまり、言いたくは無いのですが、ウェラテヌスの曾祖父様は、美談にはなりますが、じいじが苦労したのも事実ですので」


「父上も必要であれば借金することに躊躇は無かったけど、借金前提では動いて欲しくないだろうしね」


 そもそも、子供達が苦労しないようにとも苦心していたのが父だ。


(とは言え)

 凱旋式を行わないと言う選択肢は、実質的は無い。

 ならば、どこかから財を調達しないといけないだろう。


「ひとまず、奴隷の居住区、なんて言ってしまったからね。一応、殿下に謝ってくるよ」

「それでは奴隷が可哀想です。彼らの仕事に対して、じいじも父上も敬意を払っているのであれば、殿下に謝すべきではありません。僕も、奴隷も家族の一つだと思っています」


「そうだね」

 去り際に、ぐい、と頭を撫でる。

 もう子供ではありません、とラエテルに言われてしまったが、払いのけられることも逃げられることも無かった。


(初陣か)

 べルティーナは、冗談交じりに「ドーリス相手が良いのではなくて?」などと言っていたが、流石にその決断がくだせるほどマシディリは割り切れない。


(いえ)

 割り切り、では無い。かも知れない。


 べルティーナはラエテルを信じているのだ。だから、最も過酷な戦場を提案できる。これまでのラエテルと、ラエテルの教師陣を信じているからこその言葉だ。


 左頬を、右の人差し指側面で撫で上げる。

 きちんとした表情を作り上げると、マシディリはフォマルハウトがいる部屋の前に立った。奴隷が合図を出し、扉を開ける。


 部屋には、寝たふりをしているフォマルハウトがいた。

 わざとらしく寝息を立て始めたのは、案外、フォマルハウトと言う人物らしさが普段の演技にも含まれていた証左かも知れない。


「お待たせいたしました」

「むにゃむにゃ」


 肩を竦め、部屋の中にいる奴隷にも出てもらう。

 残って良いのは、フォマルハウトの従者一人とアルビタ。ただし、フォマルハウトの従者も辞したので、マシディリもアルビタを下げた。


「待ち時間が長すぎて、フォマルハウトは寝てしまいました。むにゃ」

「存外、盛り上がったもので」

「ティツィアーノ・アスピデアウスの支持層には含まれていない、どちらかと言えばパラティゾ寄りの反ウェラテヌス派の男と。むにゃむにゃ」


(反ウェラテヌス派、ですか)

 それがエリポスの認識か、カナロイアが独自に入れた情報網によるモノか。


「そこまで話すのなら、そろそろ起きませんか? それとも、歩き回るサンテノ様を止めた時に『奴隷の居住区』と言ったことを寝た人に謝ったことにしても?」


「あの男は簡単に歩き回れるのに、私には監視だなんて酷くないですか?」

 フォマルハウトの上体が起き上がる。


「秘めやかに来られたので。まあ、漏れるのも時間の問題だとは思いますが。

 それから、奴隷とは言えウェラテヌスに尽くしてくれる者であり、ラエテルからすれば家族の一員だそうです。以後のお言葉にはお気を付けください」


「それは謝罪ですか?」

「謝罪ですよ?」


「まあ、いいや。贈り物の類は此の部屋に隠しておけばよいですかぁ?」

「贈り物、ねえ」


「ええ。義兄上が何より喜ぶ物です」

 笑いながら、フォマルハウトが席を立った。


 静かに歩き、部屋に積まれている布をめくる。この布も上等な絹だ。その下から出てきたのも、黄金。その表層を除けば、粘土板や羊皮紙、パピルス紙が現れた。


「エリポス諸都市の耕地面積と最新の人口分布です。尤も、推定が多い値ではありますが、お義父様が暴れた後では唯一の調査結果ですよぉ」


「これはこれは」

 息を吐きだすことしかできない。


 すさまじい価値を持つモノだ。この行為自体が、エリポス全体への裏切りと相違ない行動である。


「王位簒奪などであれば、協力はできませんよ」

「義兄上がよほどな権力の喪失をしない限り、いずれは私の手元に転がってくる地位ですよぉ。そんなこと、と、そう言えば、義兄上は簒奪に似た行為をしたことがありましたね」


「協力は、しませんよ」

「じょーだんです。ただ、これらはカナロイアからではなく、このフォマルハウトからの贈り物であると覚えておいてくださーい」


 ドーリス侵攻。

 アフロポリネイオからの宗教的主導者の地位の簒奪。

 海上交易覇権。


 あらゆる可能性は浮かぶが、受け取らないと言う選択肢はなく、報いないのも仁義にもとる行為になってしまうのだ。


「ユリアンナがこのことを知っているのなら、ですかね」

「知っていますよぉ。隠せる訳ないじゃないですか。ユリアンナも協力してくれていますしねぇ」


 ぽんぽん、とフォマルハウトが書類の山を叩いた。


「フロン・ティリド遠征の進捗も、ユリアンナ伝手でしか知る手段がありませんしぃ。おかげで、アグニッシモ様の人となりも知れましたしねぇ。エリポス遠征は、もう来年ですか?

 って、ちょちょ。そんな怖い顔しないでくださいよ。何もしませんって。ウェラテヌス兄弟に手を出すと言うことは、自分も乗っている船に大穴を空けるようなモノですから。しかも、大海のど真ん中で。それに、ユリアンナほどの才があれば、ネプトフィリアを王に擁立して私は用済みってことも可能ですからねえ」


 フォマルハウトが首の前に両の手を持っていき、何かを掴むようなふりをした。わん、とも吼えている。


「その昔、父上のエリポス遠征の折には、王太子だった頃のカクラティス陛下がエリポスの地図を持参していましたね」

 呆れつつ、告げる。


「より密接な関係を望んでいまーす」

 口調は軽く。されどフォマルハウトが手にした瓶はやや重そうに。


 机の上に置かれ、蓋が開けば発酵の進んだチーズのような独特の匂いが広がった。


 蓋を開けた瞬間は表情を一つも変えなかったくせに、マシディリと目が合うとフォマルハウトが「くさい」とでも言うように顔をしかめた。

 ため息を吐きつつ、マシディリは蜂蜜を取り出し、ぼとりと馬乳酒の中に落とす。


「美味しくなるんですかねえ」

「そうでないと困りますでしょう?」

「純粋に味が不安なんですが」


 うううう、と声をこぼしながらも、馬乳酒を混ぜ終えたフォマルハウトが短剣を手にした。ぐ、と刃先を握り、血がつぷりと現れる。


 ただし、そこで止まった。

 たらり、と血が机に落ちそうになっても、まだマシディリを待っている。


「兄となる者からいれるのが伝統らしいですよ」

「そうですね」


 マシディリも、ウェラテヌスの短剣を抜き、左手のひらを切った。血をぽとりぽとりと馬乳酒に落としていく。

 マシディリが入れ終われば、フォマルハウトも血を入れた。白色の馬乳酒は、二人の血を受け入れてもなお白いまま。


「兄弟の契りを此処に」

「兄弟の契りを此処に」

 マシディリと、フォマルハウトで声を重ねる。


「兄、マシディリは、弟フォマルハウトの面倒を見ることを誓い」

 次はマシディリだけ。


「弟、フォマルハウトは兄マシディリに尽くすことを誓います」

 フォマルハウトが後を継ぐ。


 トーハ族に伝わる儀式だ。

 普段の兄弟も行うが、族長であるカラブリアも一族の拡大に用いている儀式である。


 最後に手のひらで血を混ぜあい、落とした。

 瓶を傾け盃に馬乳酒を注ぎ、一気にの干す。

 同じ盃をフォマルハウトに渡すと、フォマルハウトも躊躇いなく瓶を傾けた。飲む際には一瞬のためらいがあったが、マシディリ以上の速度で一気に飲み干している。


 喉仏の上下が終われば、水を求めるかのようにフォマルハウトの腕が震え始めた。


「これ、ぜんぶ、のまなきゃだめですかね」

 先程までは、宣誓の言葉を除けば全部アレッシア語だったのに、今やエリポス語だ。


「どうなんでしょう。作り過ぎましたかね」

「ぅう。不味いよぉ……」

 しくしくと泣き真似をしているフォマルハウトに対し、容赦なく新しい、そして深い杯を用意する。注ぐのは並々だ。


「遊牧民族の健康の秘訣でもありますし、飲み干してしまいましょうか」

「王宮育ちの軟弱な弟に慈悲を!」

「健康になれますよ」

「ちくしょう。言葉を間違ったんだ」


 しかし、そこは王族の誇りか男としての意地か。

 フォマルハウトも、マシディリと同じだけ馬乳酒をしっかりと飲んだのであった。

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