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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
1531/1588

望外、ね

「にぎやかですみません」


 喧騒から完全に離れた、とは言えないが、静かな応接室で椅子に腰かけ、マシディリは謝した。同席したいと言ったラエテルは椅子に座らずに右側に立っている。アルビタは左後ろに移動する形だ。

 対して、正面、サンテノは一人である。


「カリアダは夜泣きもしますし、フェリトゥナは元気に遊び回っていますし、ヘリアンテもまだまだ遊びたい年頃。交代制にしているとはいえ、乳母たちの負担も軽く流せるものではありません。

 ですので、あれより先には行って欲しくなかったのです。折角休んでいる奴隷に、緊張を強いては可哀想でしょう?」


「こちらこそ、申し訳ございませんでした。それから、決してマシディリ様を狙った訳ではありません。そのような差し金も致しません。私は信じていただけないかも知れませんが、アレッシアの法であれば信じていただけるはず。

 妻子に関しましても」


 そこで、サンテノの言葉が一度途切れる。


「私も」


 紡がれる言葉はゆっくり。やや言い辛そうに。


「妻子がおりますので」


 そうして、サンテノの言葉が終わる。


 用件は妻子に関して。そうなると。

「クイリッタについて、何か訴えでもあるのですか?」


 サンテノの眉が上がった。目も大きく。されど、すぐに苦笑へと変わり、目の大きさも細くなった。


「お見通しでしたか」

 そんな訳はない。

 だが、言うべきでは無いのも確か。


「セウヒギオの祭典につきまして、マシディリ様の真意を伺いたく参上いたしました」


「真意も何も。エリポスに認められるには必要な儀式でしょう。認められる、というのが癪ではありますが、広大なアレッシアの領域支配にも役立つと思ったので参加を認めさせた面もありますね」


「それは、我々も承知しております。エスピラ様ですら為しえなかった祭典への参加を認めさせたのは、まさしくマシディリ様の手柄であると」


(為しえなかったと言いますか、父上は興味が無かった、という可能性の方が高いですが)


 セウヒギオの祭典は、縛りにもなりうるのだ。

 時のドーリス国王達ですら、その間は戦わないと選択せざるを得ないほどの、強大な神事。下手な手出しが危険なのは、承知のうえである。


「そのセウヒギオの祭典を、今や主導しているのはクイリッタ様です。よろしいのですか?」


 んー、とマシディリは唇を閉ざしたまま思案しているような声を出した。

 口に手を当て、首をかしげる。警戒を解くために膝は開いたままだ。


「最高神祇官として宗教会議の場で参加の承諾を取り、執政官として実務的な面を進めていただけですからね。執政官でもなくなった以上は、私が関わることは快く思われないでしょう。半島を周るためにアレッシアを空ける時間も長かったですから」


 そんな殊勝な態度を貫き続けたウェラテヌスでは無い。

 それほど殊勝な態度であれと批判し続けたのはアスピデアウス派である。


 故に、踏み込むのは難しいはずだ。


「でしたら、今の執政官であるティツィアーノ様が主導した方が良いとは思いませんか?」


「ティツィアーノ様も主導者の一人ですよ。当然、クイリッタの方が詳しいですから、クイリッタの補助も妥当だと私は思っています」


「ティツィアーノ様が仰るには、スペランツァ様は元々セウヒギオの祭典に出席予定では無かったとのことですが」


「ええ。そのつもりではありませんでしたが、スペランツァもセルクラウスの当主です。そして、お爺様、タイリー・セルクラウスの代にはセルクラウスが最もエリポスと交流を持っていた家門ですからね。父上がエリポス遠征の軍事命令権保有者ん五選ばれたのには、お爺様の力も関係していると聞いています。


 今回も、人選としては分からなくもありませんよ。


 最初はスペランツァが圧倒的に速く駆け昇っていたのに、今やフロン・ティリド遠征でアグニッシモが追い抜いてしまいましたからね。派閥の力を調整するためにも任じた方が良いとクイリッタが判断して、ティツィアーノ様も同意されたのでしょう」


 スペランツァが当初よりもセルクラウスを優先するようになったのは事実だ。

 だが、ウェラテヌスを蔑ろにしている訳では無い。むしろ、他家門の当主にしては身を粉にしてウェラテヌスに尽くしてくれている。


 それでも、サンテノあたりには誤解されていた方がクイリッタの支援にもなり、スペランツァへの悪影響も無いと判断したのだ。


 ぐ、とサンテノが唇を巻き込んだ。

 ラエテルを見て、眉を寄せ、それでもと前ににじり寄ってくる。明らかに警戒態勢を取っていたラエテルだが、今のサンテノの動作には反応を示していなかった。


 サンテノの口が開く。

「マシディリ様に対抗する準備では?」

 落とした声で。

 しっかりとマシディリを覗き込んでくる。


「クイリッタが?」

 敢えて、しっかりと名前を出した。


 対抗準備な訳がない。マシディリが誰よりも信頼して内政を任せられるのはクイリッタだ。クイリッタも、マシディリに反する気など微塵も無いのはよく理解している。


「私は、正直、今日はマシディリ様に会えないと考えておりました。これほど簡単にお会いできるのかと驚いてもおります」

「アレッシアにいないこともありますからね」

「そうではありません」


「今日も人が多く来ていますからね。一人一人に会うのは難しくもなってきているのが実情ではありますが」


 本音でもある。

 フィチリタがいた頃はフィチリタも応対してくれたが、今はいない。初陣の済んでいないセアデラとラエテルはいるが、やはり初陣の有無は安心感にも違いがあるのだ。



「マシディリ様の望外の人気は、私も良く見知っているつもりです。これでも元老院議員の端くれですから。これほど慕われる方はそう多くはありません。


 入り口で、カナロイアのより王太子に近い侍従を見ました。エスピラ様の時に反乱を起こしたサンヌスも、今やマシディリ様に忠実な部族の一つ。率先してウェラテヌスの私財をはたいて半島の道路整備を進めたことで、アレッシアの街改造を進めようとしない者達が非難もされています。


 だからこそ、現状について、マシディリ様に伺っておかねばならないと思ったのです。


 マシディリ様。現在、マシディリ様への挨拶をするためにクイリッタ様を頼られる方も多くおります。議場ではあまりお話になれませんので、直接意思を伺いたいと、クイリッタ様を通して予定を合わせたい者もいるのです。


 しかしながら、そのクイリッタ様にも人を通さねば中々会えない状況が出来ております。通す人も、愛人や、娘や、妻、でして」


 サンテノの拳が強く握りしめられた。

 心地良くはないだろう。


「父上」

 ラエテルも、懇願するような声を出している。


「私も、仮にソルディアンナを通じてしか話す予定を立てられないとなれば、心が黒くなってしまいますし、仮に母上を通じてしか話ができない人がいたとすれば父上は即座に排除してしまうでしょうね」


 べルティーナだったら、と言わなかったのは口にもしたくないから。

 怒りの視線も、サンテノから外しつつ、サンテノから確認できるようにしておく。


「あまりクイリッタに干渉しすぎるのも問題だとは思いますが、クイリッタには私から苦言を呈しておきます。それから、ラエテルやセアデラの初陣が終わり次第、私への用事は二人を通じてでも構わないとサンテノ様の口からも広げておいてください。


 尤も、アグニッシモが帰ってくる方が早いかもしれませんが。


 まあ、兎も角、クイリッタと皆さんの会談の場も作るとお約束いたします。セウヒギオの祭典があるので今すぐは難しいですが、秋口には、如何でしょうか」


 内政でアグニッシモがクイリッタに並ぶことは無い。

 だが、マシディリと共に戦い続けた遠征と今回の功で、ウェラテヌスの両輪の立場にはなるはずだ。


「ラエテル様の初陣は、マシディリ様が?」


「いえ。北方諸部族が怪しいとの話も入ってきていますからね。今のところはティツィアーノ様と第四軍団の遠征に入れてもらおうかと思っています。

 特別扱いせずただ一人の兵士として扱ってほしいとは伝えますが、まあ、意識はしてしまうとは諦めています。ですが、ティツィアーノ様ならそこまで気にせず、他の兵と同じように扱ってくれると信じていますから」


 ラエテルにも、聞かせるように。


 親としては心配だ。兄として、父母のために末弟を守りたいとも思っている。


 が、それはそれ。これはこれ。

 楽な戦場で簡単な初陣で済ませるつもりは無い。


 将来上に立つ者としても、最低でも一度は最前線で戦う兵の境遇を体験してもらわないといけないのだ。そこに、命の保証は無い。兵にだって無いのだから。あって良いはずが無い。


「正直、マシディリ様がそのような覚悟を固めているとは思いませんでした。その、マシディリ様もエスピラ様に似て、子供達を溺愛されておりますので」


 サンテノが茶を手元に寄せながらぼそぼそと言う。


「折角なら、もう少しお話ししましょうか?」

 微笑み、マシディリはラエテルにも隣に座るようにと言ったのだった。

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