ささえるもの Ⅲ
「元老院が要らないとは申しませんが、これだけ広大な領域を治めるのに元老院の遅々とした議論では力不足なのは私も同意しております。第二次フラシ戦争以後の元老院は、驕りと腐敗が見られていたことも事実。
ですが、マルテレス様の反乱に端を発するオピーマ派の除籍の後にアスピデアウス派がねじ込んだ者の多くは、腐っていない新鮮な大木。いずれは腐った木々を割き、代わりに根を張ると言えるような方々。クイリッタ様のビュザノンテンへの起用は、お控えください」
マシディリは下を向き、鼻からやや長く息を吐いた。
オピーマ派の後にはオピーマ派を。
そうして、オピーマ派の指示を得たマシディリではあったが、腐敗はどちらだ、と批判される状況になってきているのも事実である。後出しに他ならないのだが、結果から批判するのが大衆なのだ。こればかりは、変わることが無い。
「まずは、半島に注力します。これまでも進めてきましたが、来年の夏までに終われるように道路整備にさらに多くの人手を投入しようかと。セウヒギオの祭典に合わせたなどと言っておけば、エリポスの歓心も買えますしね」
妥協案だとはアルモニアも分かるだろう。
それでも全てを呑み込み、かしこまりました、とアルモニアは目を閉じて言ってくれた。
(憂を取り除く、と言っておいて、これですもんね)
少しばかり、自分が嫌になる。
それでも、表に出すわけにはいかなかった。
「セウヒギオの祭典と言えば、マシディリ様が選手団を率いて出席されるのですか?」
「いえ。今のところは、他の方に任せようと思っています。あれを、あまり権威付けしたくはありませんからね。今のところはエリポス諸都市をどう振り回してやろうかと考えています」
「では、クイリッタ様が名代として? あるいは、アレッシアの代表としてですか?」
「クイリッタは予定していませんが、ひとまず、サジリッオ様は入れようかと思っています」
最後がオプティマの反乱を防げず、捕まってしまった、では締まらないだろう。そう言う配慮でもあるし、祭典に強い人物であると言うのも理由だ。
「トリンクイタ様伝手でコクウィウムもありですかね。第四軍団として関わってしますし、ティツィアーノ様と仲が良いと周りから思われていますし。建国五門が必要であれば、それこそティツィアーノ様に頼んでも良いかもしれませんね」
「宗教会議にも出られないのですか?」
「いえ。今年も私だけで行っておこうと思っています」
一拍。間があく。
これまでもあったことだ。それでも、「間ができましたね」と意識してしまった間ではある。
「フロン・ティリド北部には、新たに船を作らなければ海上輸送路を作れなかったと聞いております」
関係ない話、では、無いだろう。
「マールバラの行った陸越えとは比べ物にならない距離ですからね」
「木材の消費は、多すぎたのではありませんか?」
「もとより船を造る予定だった材で作っています。冬営に使うべき木材を消費してはいませんし、これ以上使えば現地部族から反発を招く、と言うことはありませんよ」
そう言うことだろう。
アルモニアも父親だ。
子供が不安なのは、不変の事実。言い出しにくいのも、アルモニアの立場を考えれば良く分かることだ。
「ご安心ください。アルモニア様。
フロン・ティリド遠征は私が全て差配していた訳ではありません。現場での判断の方が比重の大きな遠征です。私がしていたことは、あくまでも私が作った畑に何を蒔き、どう収穫すれば良いかを示唆しただけのこと。
机上では出てこない数多の事柄に相対したのはアグニッシモを始めとする遠征軍の方々であり、解決できたのはリベラリス様を始めとする優秀な高官の力があってこそ。
私が指揮を執れる状況に無くとも、問題ありませんよ」
それに、情報に差があり過ぎますから。私が指揮を執ろうとすれば現場にそぐわないモノになり、逆に混乱を招きかねません。
マシディリはおだやかに言って、結んだ。
アルモニアも淡い笑みを浮かべている。
「どうも弱気になっていけませんね」
「仕方がありませんよ。私の立場ですら不安になるのですから。スコルピオを分散配備させることが戦術的には正しくない使い方であると知りながらも実行したことも、未だに不安が残っています」
「ウェラテヌスの秘儀と言っても差し支えないスコルピオを配備することで、アレッシアは見捨てない、とフロン・ティリド諸部族に示すのは、戦略的には素晴らしい判断だと思います」
「言わせてしまいましたね」
尤も、自ら口にすることで自信を持ってもらいたいから、であるが。
「遠征初期のアグニッシモであれば不安も残りましたが、今や自身の合戦の価値も理解している男です。それに、リベラリス様を始めとした高官の皆さんも、一度の会戦で決定的な打撃を与えないと長引くことになってしまうと考え、行動していますから。
見違える軍団になっていますよ。
信じて、待ちましょう」
「そうですね。功を持ち帰ると信じて」
アルモニアが目を閉じる。
少々の疲れが見て取れた。楽にして良いですよ、と声を掛けても、今度は断られないほどに。ただ、断らないと言っても背を寝台に預けるだけで、体を起こした状態は維持されている。
「もしも、リベラリスの功が甚だしく、ウェラテヌスとの婚姻の話が上がっても、ウェラテヌス二代に渡ってはなさらないようにお願いしてもよろしいでしょうか」
アルモニア様が直接お伝えください。
そう言えないようにするための、二代に渡って、かも知れない。
「アレッシアの二頭様と呼ばれるほどにクイリッタ様も力をつけ、良くも悪くも政敵の妻や愛人を自身の愛人とすることで多くの者の情報を抜き取っております。アグニッシモ様はフロン・ティリド遠征後はエスピラ様のように遠征に於いて第一の人となるでしょう。スペランツァ様も実力はありますから、心配はいりません。
クーシフォス様もウェラテヌスの婿。フィロラード様も能力はあります。シニストラ様、カウヴァッロ様とウェラテヌスと縁戚関係になり、アビィティロもマシディリ様の相婿。
ウェラテヌス関係者がアレッシア中枢に多すぎるとの声は、既に聞こえてしまっているのです。
それならば、せめて、インフィアネはウェラテヌスと離れつつも理想を共にしたい。そう願わずにはいられません。
ご安心ください。マシディリ様。息子は、アレッシアに栄光と繁栄をもたらすのはマシディリ様であると信じております。
どうか。くれぐれもよろしくお願いします」
掴まれた手に伝わる熱は、どの熱か。
よろしくお願いしますは、言葉に起こしたことか、それとも息子のことか。
「インフィアネには、父上の代からの多大な恩があります。それに報いなければ、神罰が下るでしょう。父祖も、私に愛想をつかしてしまいますかね」
いや。どのような意味でも構わない。構わないのだ。
全てを受け入れるだけ。
全ての願いを、受け容れ、かなえるだけ。
やがて、冬が来る。
マシディリにとっては好きでは無い季節だ。
感じる寒さを無くすように、アグニッシモからの手紙もたくさん届く。分散しての越冬。駐屯の問題も解決しつつ、迷惑を最小限に、戦闘も最小限に。ただし、確実に『食糧を奪う抵抗勢力』と『食糧を守ろうとするアレッシア軍』に見えるようにと気を配って。
今や、抵抗勢力の生きていくための行動は住民にとっては盗賊と同じ。
駐屯は、現地住民に防衛手段を教えるのと同じであり、衣食はその報酬。
現地高官につけた首輪はより強固になり、アレッシアの浸透は上下ともに進んでいく。
「クーシフォス様」
春。
マシディリは、アレッシアの美酒を駐屯に協力してくれたフロン・ティリド諸部族への礼として用意した。もちろん、アグニッシモからの提案である。
「あくまでもアレッシアの威容を示すだけで構いません。戦闘は、頼まれない限りは行わず、酒を頼みます。それから、帰りにテラノイズ様の元へ寄っていただけると幸いです」
「テラノイズ様にも、酒を?」
クーシフォスの目が船に積み込まれていく酒樽に向く。
「いいえ。ただ、スィーパスに近づきながら、何食わぬ顔をして追放解除を訴えてアレッシアにのこのこやってきた方々がいますので。確実な証拠を受け取ってきていただきたいのです」
今やメルカトルとも手を組み、ヘステイラとも手を結んでいるが、スィーパスの本来の目的は違うのだ。
父の書き遺しでは、スィーパスはメルカトルのことを『惑わされ、息子を利用して稼いだ財を貢ぐような老人』『老害』と呼んでおり、ヘステイラは『淫蕩に耽る女』『父親のはっきりとしない子を次々と産み落とした』と詰ったらしい。
そうであるのなら、昔から志を同じくする者が『クーシフォス様を守り、オピーマをマルテレス様がいた頃のような強い家門にするため』にクーシフォスに功を渡すのも、言い訳として通る話である。




