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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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ギジョウ Ⅴ

「一人に力が集中しないよう身を引いただけだ。マシディリとは目的が違う」


 サジェッツァがマシディリの位置まで追いついた。

 マシディリはゆるやかな笑みを浮かべ、体を返す。


「目的は違えど、エスヴァンネ様もサルトゥーラ様もサジェッツァ様を強烈に意識していたのは事実ですよ。もちろん、父上に対する意識とは異なります。対抗心では無く、自らの意思決定に際して考えてしまう人物として、です」


 マシディリは、サジェッツァに完全に並ばれる前に歩き出した。

 歩速は先ほどまでと変わらない。即ち、普通に歩いていてはサジェッツァが完全に横に並ぶことは出来ない速度だ。


「クイリッタを幾ら引き立てようとも、マシディリと同列にはならない。結局はマシディリに影響を与えているだけだ」


「サジェッツァ様と同じく?」

「サルトゥーラはエスピラに怯むことは無かった」

「ふふっ」


 でも、勝てる想像もできなかった。

 まるでそう続きそうだ、とマシディリは笑いをこぼした。

 溢れかえらんばかりの無駄な人員は大分減り、移動も滑らかになっている。我先にと帰るのは誇りが許さないとでも思っているのか、中途半端な時間が最も混むのだ。


「今は違うでしょう」


 尤も、マシディリ達が出たのは、最後尾付近であるが。


「私が貴方を抑える。貴方が私を抑える。それで、天秤が釣り合うのです。あとは国を憂う者が多い方が流れを決めていく。アレッシアのために命を懸けられる者の数で方針が決まるだけ。


 私腹を肥やすだけの者など必要ありません。適度な褒美でやる気が出るのなら、多少は目を瞑りますが、財を得るだけ得たい、権力に浴したい者を救済するつもりはありませんから。


 永世元老院議員が国家の長期的な方針に筋を通すためであるのなら、頭を動かせなくなった時点でその役に耐えられないとして追放するだけですよ」


「私がいなくなれば、マシディリの独裁か」


「そう言って何人を見送りましたか? また、私の方が先にいなくなるかもしれませんよ。何せ、ドーリスからもアフロポリネイオからも、無論アレッシアからも私の暗殺計画が立ち上がっていましたから」


 サジェッツァにとって心地良い話では無いのは百も承知だ。

 だが、マシディリにも立場がある。ウェラテヌスの当主として、派閥の長として言わないといけないのだ。


「権力を手放した者が安全に終える例など、歴史を振り返っても数少ない稀有な例です。追放を受け入れたり、永世独裁官の地位を捨てたりできた父上が例外なだけ。ですが、アレッシアに於いては父上の行動が例外であってはいけません」


 顔を、サジェッツァに向ける。

 速度は少し落とし、横に並んであげた。


「お義父様は殺させませんよ。余程のことが無い限り、とだけ、付けさせていただきますが、ね」


 神々と父祖に誓って。

 無言で笑みを作ると、マシディリは顔を前に戻した。廊下は、もうすぐ終わる。外は晴れだ。雨の音は聞こえないし、風も吹きつけてはこない。


「私を恨んでいるのか?」

「どう答えても嘘になるとだけ言っておきます」


 サジェッツァに暗殺の意思は無かった。マシディリはそう信じている。

 一方で、父を死に追いやったのもまたサジェッツァの行動だ。そのことを否定できる材料は何も無い。


「正直に答えてくれ。王妹の死については、ウェラテヌスの情報網でも何も掴めていないのか?」

「財をせびってくる者は色々いますよ。アレッシア人だけではなく、カナロイア人やアフロポリネイオ人。軍拡狙いでメガロバシラスに財を請求する者もおりますし、ドーリス人何かは、私にも祖国にも要求するでしょうね」


「クイリッタは」

「しませんよ」

 どちらかと言えば、スペランツァの方がやりそうだ。


「アフロポリネイオに対して、航海上の安全が確保されていないとして物品の金額を上げたそうだな」

「商人の判断です。それに、詳しい内訳は私にも連絡が来ていますよ。クイリッタからも同様に」


「随分と早かったな」

「沈没の情報に接したのは、私達の方が圧倒的に早いですから」


「アフロポリネイオは買うのか」

「買いますよ。値下げ交渉の手紙も来ていましたが、熱量がありません。デオクシア様や一部の者は必死ですが、アフロポリネイオの主流派ではありませんから」


 彼らからの抗議を元に、輸出を取りやめる、と主流派を脅し、孤立を深めさせていることはサジェッツァには伝えない。


「リングアは無事か?」

「落ち込んでいますよ。私ではなくべルティーナが手紙を書けば返信は来ますがね。流石に、チアーラもそのことを詰る手紙を送ったそうです」


 裏にあるのはマシディリへの恐怖だと睨んでいる。


 リングアがべルティーナへの下心を持っている、とマシディリに判断されたくは無いのだ。だから、マシディリの手紙にも返事を書くなり、べルティーナにも書かないなり、共同での返信にしろと、最もリングアと仲の良い妹から連絡しているのである。



「父上!」


 ぴょこ、と愛娘の元気な声が聞こえた。


 ヘリアンテだ。ラエテルとリクレスもいる。兄二人は、帰宅途中の元老院議員に挨拶をしているところだ。


 そして、マシディリの方へ駆けてきたヘリアンテも、途中で足を止めてサジェッツァに丁寧なあいさつをしている。



「お疲れ様です。父上」

 家の中では聞かないような硬い声はラエテルのモノ。


 左手を腰帯に乗せ、ヘリアンテを隠すように前に出てきた。尤も、兄の心が分からないヘリアンテは文句を言いたげに、横からひょっこり顔を出している。


「心配してくれてありがとう、ラエテル。でも、此処は議場だから。その心配は要らないよ」


 祖父を睨むラエテルと、兄の豹変に気づいて足を止めている祖父を祖父と知らぬ弟妹。


「お言葉ですが父上。お爺様は書斎で親友に襲われました。劇場の帰りにも襲われたと聞いております。前者の実行犯であり、後者の首謀者として容疑が懸かっている者の一人は、父上の横に居られる方に他ありません」


「そんな怖い顔も出来たんだね、ラエテル」

「父上」


 おいで、とマシディリはしゃがみ、ヘリアンテに対して手を広げた。

 サジェッツァに上を取られている形である。しかし、ヘリアンテは無警戒に突進してきた。


「ちちうえ」

「出迎えありがとう」

 よいしょ、と抱きかかえ、立ち上がる。


「此処は言葉を交わす場だよ、ラエテル。刃を交える場所じゃない。言葉で分かり合い、時に戦う場さ。神聖なこの場で暗殺なんて、首謀者も実行犯も世捨て人じゃないとできないよ」


(本当は恥ずべきことのはずなんだけどね)

 随分とアレッシアも暗殺に慣れてきたモノだ、と、悲しくもなってしまう。


 やった数が圧倒的に多いのは父以来のウェラテヌスだとも知ってはいるが。


「もしかしてアスピデアウスのおじいさまですか?」


 リクレスが言いつつ、マシディリとサジェッツァの間に入ってきた。ぐいぐい、とマシディリを離すように少し押している。ラエテルの足は、そんなリクレスに二歩近づいていた。


「そうだ。大きくなったな、リクレス」

 サジェッツァはしゃがまない。だが、目が細くなったような気がした。声も先ほどよりは高くなっている。


「じいじは、お爺様にとって邪魔でしたか?」

「……友だった。今も、変わらず」


 マシディリへとやってきたサジェッツァの視線は、すっかりいつも通り。


「普通は元老院の帰りに子供の出迎えなど無い。尤も、エスピラにとってはよくある光景だったがな。

 それから、エスピラにも言ったことがあるが、両手を塞ぐのは良いとは言えないな」


 サジェッツァが背を向け、去っていく。即座にサジェッツァの護衛が駆け寄り、背中を隠した。


 五歩。六歩。

 完全に離れ行くまで、ラエテルが弟妹の前に立ち、短剣に指をかけ続けている。


「ラエテル」


 愛息の肩が、少し強張った。


(慕っていた二人の殺し合う姿、か)

 幼子がするには強烈すぎる体験だ。それを思えば、叱るのは違う気もしてきてしまう。


「ソルディアンナは、来ていないのかい?」


 故に、少しだけ寂しそうに方向転換した。

 ラエテルの肩の力も抜けていく。左手も、腰帯から離れていった。


「ソルディアンナは母上を一人にはしておけないと言っていました。フェリトゥナは、出かける前は寝てしまっていまして」

「フェリトゥナは仕方ないかな。いつ終わるか分からないし。三人も、長く待ったんじゃない?」


「ほめて!」

 ヘリアンテが腕の中で揺れる。

 よくできました、とマシディリは頬を寄せた。無言で近づいてきたリクレスの頭も撫で、その後にラエテルの頭も撫でる。私はもう子供では無いのですが、と言いながらも、ラエテルはマシディリの手に合わせて体を揺らしていた。


「帰ろうか。

 それから、フィロラード、アルビタ。申し訳ないけど、家の中まで護衛を頼むよ」


「かしこまりました」

 二人の返事が重なる。

 遠巻きにレグラーレ、群衆の中に手練れの被庇護者が紛れているのも見えた。


(安全なアレッシアも、目標の一つですね)

 ため息は、腕の中の愛娘に気づかれないように。

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