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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
1525/1587

ギジョウ Ⅳ

 サンテノの返答が無い。

 クイリッタに負かされたから、というよりも、マシディリに視線を向けてきたからだ。当のクイリッタは飄々としている。元老院議員の半分以上も、マシディリの観察に脳の大部分を割き始めたようだ。


 ただし、マシディリは視線に応えない。

 右手中指を小さく動かして、机を二度叩くだけ。音は出てこない。それでも、ボルビリは見逃さなかったようで、木槌を持ち上げていた。


「スペランツァはセルクラウスの当主だ」

 が、木槌が音を立てることは無く。

 先に、これまた沈黙が多いサジェッツァが口を開いていた。


「今のセルクラウスにかつての力はないとはいえ、私の青年期に最も力があった家門はセルクラウス。インツィーアの大敗後に、アレッシアを即座に建て直し、戦争を継続できたのもタヴォラド・セルクラウスが独裁官として存分に力を震えたが故に。


 セルクラウスは、アレッシアにとっては建国五門に次ぐ重要な家門だ。それを、王族とは言え不慮の事故で死した者への弔問へ向かわせるのは人選として適当とは言えない。


 仮に適当であるとすれば、我々は朋友であるマフソレイオを随分と軽んじていることになる」



 何故、とは聞き返さない。

 聞き返せない。

 サジェッツァの言いたいことをマシディリは理解しているし、聞き返すことは風下に立つことだとクイリッタは判断しているためだ。


「なるほど。ウェラテヌスを軽んじていると」

 代わりのクイリッタの言葉が、これ。


「違う」

 サジェッツァも能面のまま、流水のように言った。


「ズィミナソフィア三世陛下が亡くなられた時、エスピラは謹慎中だった」


「逃げ回る貴方とくそったれな元老院と屑の民会の責任を取らされる形で」

 クイリッタが毒づく。


 鋭い視線は半々か。

 クイリッタに同意するモノと、クイリッタの意見に噛みつくモノと。



「朋友の為政者の弔問に謹慎中の建国五門の当主を派遣しただけだったと言うのに、友かも怪しい国の王妹の弔問にセルクラウスの当主は使う訳にはいかない。


 ボルビリ・セルクラウス。

 彼が最も適している。


 マシディリの従兄で、使者としての年齢としても適当。家格と家門での立ち位置を鑑みれば、ズィミナソフィア三世の時と釣り合いが取れる。


 スペランツァを送るのは、ドーリス国王がお隠れになった時か、心からの賛成はしたくないが政治に良く関わっている王弟ヘルモラオス殿下の弔問のみ。あるいは、不謹慎であるがマフソレイオの両陛下に何かがあった時に建国五門の当主を向かわせ、これまでの感謝をしっかりと伝えた時。


 そうしないと、筋が通らない。

 そこを曲げるのであれば、ドーリスに頭を下げる行為と何も変わらない」



 クイリッタの顎が僅かに引かれた。喉仏が上下したのも見えてしまう。


 圧されたのだ。

 クイリッタが。サジェッツァに。


 本人は認めたがらないだろうが、やはり、サジェッツァにとってはクイリッタは親友の子供でしか無いのである。


 幾ら元老院を取り仕切り、思いのままにあらゆる裁決を下そうとも。


 サジェッツァとクイリッタが真の意味で並びきるのは難しい。難しいからこそ、極力顔を合わさずに力を削っていっていた。


 恥ずべきことでは無い。

 幼き日を思えば、立ち向かうだけで十分だ。サジェッツァが来るだけで泣き、父に縋っていた長弟が、ウェラテヌスのためにと戦っているのだから。


 とは言え、クイリッタにとっては恥ずべき事なのだろう。

 その自覚があるからこそ、決して口にはしない。愛弟はあらゆる手を使ってでも、サジェッツァの動きを封じていく。親しい者には、公的な暗殺をされた意趣返し、と嘯いて。


(親友であっても。いえ。親友だからこそ)


 時折修正は必要だが、他のことはクイリッタに任せておけば些事同然。

 大事なのは、クイリッタとサジェッツァが直接やり合う機会を減らすこと。クイリッタが余計な反感を買い過ぎないように、丁度良く抑えておくことだ。


(さて)


 ボルビリの不安げな視線を感じ、マシディリは朗らかに微笑んだ。

 今日の議事進行を褒めたつもりである。

 ボルビリもある程度は齟齬なく受け取ってくれたのか、安堵の表情で頭を下げてきた。


 鷹揚に返し、マシディリもゆっくりと動き出す。目指す背中は、もう簡単に追いつけるだけの速度しか出せていない。



「お義父様は、いつも貧乏くじを引かれる」


 サジェッツァの足が止まった。

 ゆっくりとしたサジェッツァの手の動きで、護衛の男が足を止める。マシディリはアルビタやフィロラードには指示することなく、サジェッツァの横に並んだ。


「生き延びていることに比べれば、何のことは無い」

 言葉と共に、サジェッツァが再度歩き出す。

 完全にマシディリとサジェッツァで並んで歩く形になった。


「苦悩からこぼれた言葉であっても、愛する者を失った人々には怒りの原木としかなりえませんよ」


「私だって人を選んで言っている」

 鼻を鳴らしたかのような感情の発露が見えた。


(珍しいですね)

 あるいは、子供達からも余程言われているのか。


「あえて発言しなかったな」

「何がです?」

「議場でだ。今日だけでは無い。まさか、周囲の視線に気づいていない訳では無いだろうな」


「サジェッツァ様こそ。私が周囲の視線に気づかないとでもお思いなのですか?」

「どうして発言しなかった」

「サジェッツァ様ほどの方にあえて言う必要は無いと思います」

「王にでもなるつもりか」

「なりたくありませんね」


「皆がマシディリの発言を待っていた」

「私の発言で決まることが多すぎれば、また独裁だと言われ、非難の的になるのでしょう?」

「まさかそれだけの理由ではあるまいな」

「その程度の理由で、私が発言を控えるとでも?」


 顔はにこやかに。声もおだやかに。決して荒げず、文字だけが少々の敵意を帯びる。

 対してサジェッツァは基本的に能面だ。ただし、流水のような受け流しではなく、少々の硬さを感じる。


「まあ、執政官ですからね。いつまでも無言ではいませんよ」


 話すとも言わないが。


 それを咎めるかのように、サジェッツァの目がやってきた。足の速さは変わらない。前に障害物は無く、人がいてもマシディリとサジェッツァがいれば避けていくのが基本だ。


「執政官だけでは無い。最高神祇官であり、広大な範囲に及ぶ軍事命令権保有者でもある」

「少し削がれましたよ」

「そしてカルド島とディファ・マルティーマの監督権保有者であり、フロン・ティリド南西部に点在する植民都市の実質的な監督者だ。今や議長代理を選ぶための最終決定も持っていると言っても過言では無い」


「肩書が多いですね」

 くすり、と笑う。


 サジェッツァの足が止まった。体はマシディリに向き、足を止めるようにとでも言っているかのようである。


 が、マシディリは無視をした。

 歩みは止めず、そのまま口を開く。


「肩書ですが、ウェラテヌスの当主、でひとまとめにはできませんかね」

「一人が持つには多すぎる」


 サジェッツァの歩みが再開した音がする。

 今度は、マシディリが振り向く形でサジェッツァに体を向けた。


「では、隠然たる権力ならば許されると?」


 サジェッツァの眉が微妙に変化する。



「父上はもういません。マルテレス様も。イフェメラ様、サルトゥーラ様、ディーリー様と、第二次フラシ戦争後に次のアレッシアを担うのではと噂された方々も既に露と消えました。

 全員が、サジェッツァ様よりも若くしていなくなっております。十歳以上差があったのに、先に消えたのは彼らの方。


 気を抜けば、此処に立っているのはお義父様ではありませんか?」



 自身の足元を指さし、笑いかける。ただし、目の奥では決して笑わない。


 元老院の議会で話さずとも元老院の決定が為されていくが、自分の意思も伺われるのはサジェッツァも経験済みだ。いや、サジェッツァの方が良く経験しているとも言える。


 特に、第二次フラシ戦争後半から第二次メガロバシラス戦争にかけて。


 サジェッツァの弟エスヴァンネと愛弟子サルトゥーラの二人が大きく力を発揮し、アレッシアをけん引していたのだから。

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― 新着の感想 ―
サルトゥーラの最後って、何話だったのだろう。読み飛ばしていたのか、気づかなかった。
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