ギジョウ Ⅲ
スペランツァの顔が動く。
「『元老院』の望むままに」
スペランツァの視線がマシディリへ。
マシディリは、表情を一つも変えずに弟と視線を交えた。
眼には弟を映しつつも周囲の観察は止めない。むしろ、此処からがしっかりと確認しないといけない場面だ。
「スペランツァの派遣は、ウェラテヌスの犯行であるとの自白と受け止められないと思うが」
ティツィアーノが立ち上がる。
ボルビリの唇が、またか、と言わんばかりに引き締められた。原因の片割れであるクイリッタは、挑戦を受け入れるかのように口角を上げている。
「やってもいないことの自白ですか」
「見られ方の問題だ。そう見られては終わりだと、師匠は良く口にしていたと思ったが」
クイリッタもティツィアーノも、マシディリを見てはこない。
それでもなお僅かに感じる視線を無視しながら、マシディリはゆったりと重心を後ろにやった。
「第四軍団の誰かを、と言いたいのかもしれませんが、弱腰に思われる方がアレッシアにとって不利益になると思っただけのこと。その点、小エスピラと言われたことのあるスペランツァならば安心だと思いましたが、違いますかね」
「今のドーリスの対応って、言われたからやってやった感が強くなってきていて好きじゃないんですよね」
スペランツァが呆けたような声で援護射撃を行う。
対して、ティツィアーノの応手は一瞥しただけ。視界の中心はクイリッタのままだ。
「アレッシアとして、一貫した政策の下で行われていると示すなら第四軍団から出すのが筋だ。ウェラテヌスとの近しい者が良いのであれば、コクウィウムやサッピトルム。交渉能力に保証を付けるのなら、彼らの父親であるトリンクイタ様でも良い。
アレッシアの要人でありエスピラ様の弟子と言う付加価値を付けられるルカッチャーノ様も適任の一人だ。
私には、ルカッチャーノ様が簡単に頭を下げるような人物には思えませんが、違いますかね」
ティツィアーノがクイリッタの問いかけを真似た。
僅かに争点がずらされている。
「ドーリスとアフロポリネイオが謀議を重ねていたのは兄上に対して。ドーリスが謝罪をしてきたのも、兄上に対して。っと、失礼。あれはチアーラの安産祈願でしたね。そう言った方が、アスピデアウスやタルキウスにとっても都合がよろしかったでしょうか?」
無論、簡単に乗るようなクイリッタでは無い。
そして、ボルビリもまた議題からずれていくことに懸念を抱いたようだ。視線を、マシディリに送ってきている。そんな議長の態度は、クイリッタもティツィアーノも把握しているらしい。
「ウェラテヌスの諜報能力が全ての家門にあると思われては困る」
空気を裂く声を発したのは、ルカッチャーノ。
「エスピラ様の時はソルプレーサ様が全てを管理されていたが、今は何人かに別れたのだろう。レグラーレと、リャトリーチと、アミクスと。他にもいるのか」
やってきた視線に対し、ボルビリが見ていることを確認してからマシディリは目を閉じた。
マシディリ直属の最側近としてレグラーレがいる。
外付けの家門であり、調査よりも心を開かせる者としてアミクス。ソルプレーサ以来の、正確には祖父タイリー以来の伝統的情報機関の統括としてリャトリーチ。
そして、内偵部隊としてイーシグニス。
アミクスとイーシグニスに関しては、仕事ぶりから抜擢している人選だ。
情報と言う権力に最も結びつきやすい場所は、しっかりと扱う側が手綱を握れていないと駄目なのである。
「弔問使の候補は、元老院議員であればスペランツァ様とルカッチャーノ様、コクウィウム様。元老院議員以外からであれば、トリンクイタ様にサッピトルム様。他に意見はございませんか?」
ボルビリが力強い声で修正をかける。
声の方向的に、マシディリに背を預けるような向きで立っているのだろう。
「シニストラ様も適任だ」
ティツィアーノが言った。
目を開ければ、ティツィアーノがクイリッタだけを見据えながら言っている様子が見える。
「シニストラ様はエスピラ様のエリポス遠征時、詩作の才によってエリポス人に認められている上に、エスピラ様の最も近くにいた方。今やアルグレヒトの当主であり、レピナの義父。元老院議員ではあるが、政治的な事柄には積極的に関わらない。
弔問の意図を伝えつつも政治的な話に入ることは無く、いわれなき事柄に関してはその態度を貫けるとあれば、クイリッタの口から出ないことの方が驚きだ。
両執政官も当然検討に入るべきであり、交渉と言う観点に絞ればフィルム様やリャトリーチ様と言った師匠子飼いの者達、完全に元老院と切り離すのであればカリヨ様、元老院に寄せるとしてもフィルノルドもいる。スクトゥム様やメクウリオ様と言った武人もドーリスの好みだ。ジャンパオロ様であれば、家格も問題ない。
それから、兄上も東方諸部族を始めとした交渉に精通していて、マシディリ様の義兄に当たる。監察官であるため離れるのは厳しいかもしれないが、候補として忘れてはいけない存在だ。
その検討が終われば、初めてより若い人材へと目を向けることになる。コクウィウムやサッピトルム、スペランツァ。当然、その年齢になれば第三軍団も候補者に入れて良いだろうな。
しっかりと検討を重ね、その上で決定するべきだ」
「ご自身の息のかかった者を推薦しなくても良いのですか?」
クイリッタが挑発した。
「ウェラテヌスの問題だと言うから気を配っただけ。そうでないのなら、昨年からの引き続きで私が最も発言権があると思うが、違ったかな」
「こそこそと卑劣な手を使いやがって舐めてんのか、というだけの話ですよ。その意識を元老院が共有してくださるのなら嬉しい限りではありますが、如何せん、エリポス計略については元老院に任せておくと困ったことにしかなりませんからねえ」
「聞き捨てならないな。元老院を軽んじていると言っているように聞こえたが」
「ウェラテヌスを軽んじたのが先でしょう」
嘲笑。
その先は、当然、長らくこの椅子に座って来た者達に対してだ。
「父上にエリポス遠征を命じておきながら、成功したらしたで補給を打ち切ると言うあるまじき行為をしてきたのが元老院です。父上が稀代の英雄であったからこそ乗り越えられただけで、普通であれば仲間を切り捨てる残虐な行いだ。
その次が、第二次メガロバシラス戦争。父上を追放して関わらせないようにした状況で、アスピデアウスが手柄を得ようとして失敗した戦いです。結局、手柄を手にしたのはディーリー・レンドとイフェメラ・イロリウス。両名を反逆者と認めた時の元老院を取り仕切っていたのは、どなたでしたかね」
クイリッタがサジェッツァを見る。
時間にしては二秒にも満たない時間だ。だが、随分と長く感じてしまう。それほどの緊張感が元老院を包んだ。多くの者の喉が渇き、上下の唇の皮がくっついてしまったかもしれないほどの時間だ。
そして、先に視線を外したのもクイリッタ。
「父上が手にした軍事命令権は、エリポスでの軍事行動も認められていました。兄上はその軍事命令権を引き継いだはず。だと言うのに、この男は何と言いましたか?
『昨年からの引き続きで私が最も発言権があると思う』
私物化ここに極まれり、だな、アスピデアウス」
「詭弁だ」
短い一言。
ティツィアーノから以後の言葉は無い。
代わりに立ち上がったのは、サンテノ・ラクテウス。オピーマ派の椅子に座った、四十三歳の男。元老院議員としては若手の財務官だ。
「マシディリ様が保有されている軍事命令権は、エスピラ様が保有されている時から制限があったはず。私の記憶が正しければ、それは、マルテレス系列の反逆者と結びついている時であり、その点に限れば、昨年の元老院の決定は随分とウェラテヌスに寄り添ったものであったと記憶しておりますが、クイリッタ様は如何お考えでしょうか」
「戦場にも来ていない。現場にも入っていない。全ては人から聞いただけ。それで証拠がない、出るはずが無いとは、記録を抹消した者にしか分からないことでは?」
マシディリの口からため息が漏れる。
いけ好かない夫や目障りな父親を言い負かすクイリッタ。その姿が、一種の痛快さを伴ってクイリッタの女性人気を形成している。だが、正直に言ってマシディリが望む姿でも無いのは確かであった。




