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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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ギジョウ Ⅱ

 セルレが頭を下げ、席に戻っていった。


 サジェッツァがああ言ってしまえば、もう粘れないのは当然である。クイリッタが口を閉じたのも、自身にも益があってのこと。ティツィアーノも口を開かないのは、アスピデアウスを考えての行動のはずだ。


「では、アグニッシモ・ウェラテヌスのフロン・ティリド遠征につきましては、ファリチェ様の報告通り、そしてマシディリ様の五か年計画に従い、アグニッシモ様からの提案を許諾する形でよろしいでしょうか」


 議長代理に任じたポルビリ・セルクラウスが、マシディリに聞くように言う。無論、彼の声は議場全体に伝えるべき声だ。


 夏の間は復帰していたアルモニアだが、暑さが峠を越えたあたりで再び休養に戻ってしまったのである。戦闘が本格化したことによる息子への不安が心労となってしまったのなら、申し訳ない限りだ。

 手紙で伝えてはいるが、アグニッシモからリベラリスへと振られる仕事量は、やはり多いままなのだから。マシディリへこぼす愚痴は減っているが、もしもアルモニアの耳に届いていれば不安は増大してしまうだろう。


 本来であれば、もっとウェラテヌスが気を遣ってやるべきだ。だと言うのに、議長代理を『アルモニアの仕事を手伝ったことがあるから』という理由でボルビリにしてくれたことにも感謝しかない。


「続きましては、ドーリスへの弔問使の派遣について、に移りたいと思います」


 そして、ボルビリも決して無能では無い。

 父であるティミドが言葉が悪い影響でタイリーの死後に罰を受けたのを目の当たりにしているのだ。マシディリは記録でしか覚えていないが、ボルビリは感情と共に目に焼き付いているはずなのである。そして、今は事あるごとにクイリッタとティツィアーノが喧嘩をしている。


 そのような状況の中で滞りなく進めなければならないと言う圧は、半端なモノなはずが無い。


「重鎮」

 クイリッタが席をゆるりと立ち、前に出てきている中でフィロラードが呟いた。


 クイリッタの様子、では無く、マシディリに向けられた視線の増えた分が、だろうか。確かに、先ほどまでとは違い、長らく元老院議員を務めている者達がマシディリの様子を観察してきている。


 無論、クイリッタの動きも、重鎮そのものであるのだが。


「元老院議員である皆様であれば既にご存知だとは思いますが」


 慇懃無礼に、クイリッタが入る。

 多くの視線が巻き取られるようにクイリッタに吸い寄せられていった。


「ドーリスの船が、アレッシアに来る途中で難破し、王女二名を含む多くの方が亡くなられました。誠に、悲しい出来事です」


 言い方は完全に業務的だ。

 いや、これがクイリッタの義父であるサルトゥーラぐらい業務であればまだ良かったかもしれない。変に感情を入れているのが、聞く者の神経を逆なでしているのだ。


 もちろん、わざとやったとはマシディリは理解している。

 それでも、心地良くはない。どちらかと言えば、愛弟のその真意が。


「しかしながら、私にとっては卑劣な罠にしか思えないのです。


 少なくとも、私は再三主張してまいりました。必要無いと。欲しいのは、首か指輪。口にするのもはばかられる謀議をした者がドーリスに逃げ込んでいるのは白日の下に晒されていると言うのに、白を切るばかりか金食い虫を二匹も送り込んでくるとは挑発に他ならないと。


 私でなくとも思ったことでしょう。

 兄上も私の意見に同意であると思った者も多いはず。

 

 私だけではなく他の者も思うと信じるからこそ、王女二人が死んで得をするのはウェラテヌスだと思う者も、多い。アレッシアにも、ドーリスにも。故に、裏にいるのはウェラテヌスだと嘯く者も居るのが現実だ。貴方の隣の者も、そうではありませんか? 隣の者は思っていないと強く否定できますか?


 酷い言い草だ。


 此の侮辱は許せることではありません。


 故に、弔問使には、ドーリスへの厳しい態度を要求し、その態度を貫ける者を就けるべきであると、此処に提案させていただきます」


 凛、と。

 クイリッタが、両手を広げた。


「戦争をするつもりか」

 反論は、やはりティツィアーノから。


「ドーリスにお聞きください。それとも、貴方なら答えられると? ええ、今、最もドーリスに近しいアレッシア人でしょうからね」

 クイリッタも当然引きはしない。


「余計な懐疑を生むだけだ。詰問をする必要は無い。儀礼的に弔辞を述べれば、それで済む」


「ウェラテヌスが貶められてもよろしいと」

 クイリッタの声が大きくなった。

 速度はややゆっくり。全体に撫でつけるように馴染ませ、聞かせるような声だ。


「強硬な姿勢が余計な反発を招くと言っているだけだ。少なくとも、マシディリ様が手を下す理由はなく、アグニッシモ様にこのような策謀は出来るはずが無い」


「おや。まるで私ならやりかねない。私がやったとでも言いたげですね」

「ドーリスとやり合わせて得するのは他にもいる。誤解を恐れずに言えば、私もその一人に数えられるはずだ」


「兄上とドーリスの蜜月が終わり、代わりにティツィアーノとドーリスの蜜月が始まる。なるほど。兄上とドーリスの終焉は、父上の死に端を発しているのであれば、原因は誰にあるかはっきりいたしますね。その上で、まさか、この絵を描けなかったとは、言いませんよね」


 一度、ティツィアーノの顔が下がる。


「アスピデアウスを愚弄する気か」


 低い声と、突き刺さんばかりに見開かれた隻眼。

 そんなティツィアーノの圧にも、クイリッタの口元は緩むだけ。


「認めると? 父上が生前仰られていた通り、アスピデアウスが公的な暗殺で以てエスピラ・ウェラテヌスを排除した、と」

「事実無根だ。現に、師匠亡き後のアレッシアを引っ張っているのは、マシディリ様とクイリッタ、貴様だ」


「おや。兄上からエリポスでの軍事命令権を奪ったのは誰でしたっけ?」

「奪ったつもりは無い」


「元老院からの任官であり、神々がお認めになったことなどと言わないでくださいね」

「他に何がある」


 悠々とした表情を続けているマシディリに、より多くの視線がちらちらとやってきた。

 止めてくれ、とでも言いたげな、力ない視線である。


 ただし、サジェッツァからの視線は正すようなモノ。マシディリが見たことを理解すれば、視線は離れていった。パラティゾは困り眉。ついには、議長であるボルビリからも視線がやってくる。二人の言い合いは、まだ続いていた。


(さて)

 場違いなほどに穏やかな表情のまま、マシディリはボルビリに対してゆるりとした動作で左手を振る。手の甲から、手首を返すように。それだけで伝わってくれたのか、ボルビリが小さく頷いた。


 アルモニアが叩く時よりも少々高く上げられた木槌が、甲高い音を立てる。


「議題は弔問について、になります。お二方、どうか、これ以上の議論は今晩にでもじっくり交わしてくださいませ」


 少しだけ余計な言葉は、ティミドの血を感じさせるものだ。

 尤も、クイリッタもティベルディ―ドも、議長を尊重するように口を閉じて始めている。ティツィアーノは腰を落ち着かせるように。クイリッタは、二歩、ティツィアーノから離れていく。


 されど、発言権はクイリッタのまま。


「ウェラテヌスに差し出す人質の移送中に起きた事故です。赴くべきはウェラテヌス関係者であり、兄上が向かわれることだけはありえません。基本的にはドーリスが勝手にやったこと。ロチュルの謀議が真実であるのなら、欲しいのは無垢な金食い虫ではありません。

 ならば、こちらもずらした人選で構わないでしょう」


 此処で一拍。

 声も良く通る声のままだが、大きさは少しだけ小さくなって。


 クイリッタが足を止める。


「スペランツァ・ウェラテヌス・セルクエリ」


 若き元老院議員に、視線が集まる。


「命令違反を犯したことのある実績も、また、いざという時には便利ではありませんか?」


 既に人選は終わったと言わんばかりに、クイリッタが眉を上げた。

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