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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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炎碧密談 Ⅴ

「義兄上が思い通りにアレッシアを動かすには障害が多すぎますもんね。だからアフロポリネイオなんぞを調子に乗らせないといけない羽目になっている。すぐに潰せると踏んでいるとはいえ、オピーマの正統を訴え続けているスィーパスを放置するのも危険を孕んだ行為。徐々に徐々に歪みが生じますが、そうでもしないと義兄上は今の強権を維持できない。


 綱渡りですねえ。


 親近感を覚えますよ。


 あっちもこっちも立ててやっているのに、周りは好き勝手に色々言ってくる。やらなきゃいけないことが増えて、抜擢した者は偉くなったからと試してみたいことをやったりもして。


 交代ができる共和政が羨ましくも思いますが、無い物ねだりですね、互いに」



(なるほど)

 護衛のことを、余程信頼しているのだろう。


 同時に、マシディリへの信頼を示してもいるのか。アルビタがいても気にせず話すことで、貴方の信頼する者を私も信じていますよ、と伝えているつもりかもしれない。


「で、義兄上にとって邪魔なのは誰ですか?

 クイリッタ様? ティツィアーノ? 何よりも、サジェッツァ様が邪魔だったりして」


「独裁を嫌うのは、アレッシアの国民性ですよ」

「でも、エスピラ様は独裁官と最高神祇官を手に、思うがままにアレッシアを動かしていませんでしたぁ?」


「元老院に縛られた最期でしたよ」

「あら。マシディリ様もそれで良いと?」


「名で、呼びましたね」

「んー、そうですねえ」


 フォマルハウトが意図していないことはありえないだろう。

 そう思うからこそ思考の海を泳ぎつつも目の前に集中しないといけない。


「少なくとも、モニコースは元老院には縛られない。縛っているのは、マシディリ様が新たにつけた鎖。

 アフロポリネイオにいるリングアも、元老院は縛りにくい存在ですかねえ。でも、怖くて繋がれちゃうかも?

 東方に派遣した人達は、元老院よりもマシディリ様との交渉が重要になってくる。ビュザノンテンにクイリッタ様が入れば、大脱出ですか?」


 ユリアンナ、アグニッシモ、とフォマルハウトが指を折る。

 フィチリタ、レピナ、と今度は小指から。



「スペ、ラン、ツァあ」


 粘性の高いよだれが上下の唇を繋げるような、一言。



「カナロイアは、権力を欲すれば王位を簡単に廃するような国なのですか? ドーリスは王族を大事にしているようですが」

 言葉にため息を混ぜる。


 フォマルハウト的な一言だ。

 カナロイアは海軍が発達した国である。そして船を扱うには、必然的に水夫が大量に必要となるのだ。そうなれば水夫を用意する者達や水夫に協力する者達、即ち平民の力も増していく。結果、他の王国よりも民の力が強くなり、王権が弱くなったのだ。


 その王権を再び強固にしたのがカクラティス。

 そして、カクラティスもフォマルハウトも仮想敵国として見ている国の一つがドーリスである。


「義兄上の子供達の前でユリアンナに泣きついちゃいますよお」

「それは見て見たいですね。良い歳の大人が、妻に泣きつく姿なんて、そうお目にかかれるモノでは無いですから」


「きょーいくにわるーいですよ」

「それもまた教育です」


 あらあらあら、と溶けていた氷を巻き戻すかのようにフォマルハウトが机の上に広げた体を戻していく。


「ラエテルの初陣は?」

「戦争には事欠きませんよ。できれば、私では無い者の下につけたいと思っていますけどね」


「下手に政敵の下に着いてしまえば、なんて、杞憂ですかねえ。義兄上でも抗しきれない政敵とは、誰ぞや、ですか? 多くは形無き敵。小さくも凶暴な蜂のよう。巣を奪おうとすれば暴れ、潰そうとすればかわし、されど像の皮膚を貫通できる力はない。

 でも、そーんな蜂の処理が怖いのですよねえ。お義父様も四十を越えてからは蜂の巣を投擲する作戦も良く用いておりましたし」


「おかげで、フィチリタもレピナもセアデラも、蜂蜜が良く出てくる、と喜んでいましたよ」

 もちろん、マシディリの子供達も。


「第一軍団の派遣がアレッシアに有利であると思うのなら、今後、お義父様が見出した護民官上がりの者達もエリポスにどんどん派遣されてくるのかどうかだけ、聞いてもよろしいですかぁ?」


「抗議なら受け付けませんよ?」

 無論、交渉の余地はある。


「抗議だなんて。ただ、神殿はユリアンナが嫁いでくる時に作ったモノがありますので、カナロイア国内にはもう用意するつもりはございませんよー、と」


「処女神の神殿を受け容れてもらえれば、いざという時にディミテラとサテレスの逃げ込み先になるとしても?」


 その先のもしもにあるのは、コウルスのドーリス王即位の際の最重要戦力としてのカナロイアだ。


「作らせません。カナロイアには、カナロイアの神々がおります。

 それにぃ、アフロポリネイオにあるから十分では無いですかぁ? アレッシアの神々の火を継いでいるのは、アフロポリネイオで十分。あれも、エリポスで歴史ある三都市の一つです。そこを冒しているのであれば、アレッシアの火は既にエリポスにあると言えますよ。

 何せ、アフロポリネイオは結局エリポスにとっての宗教的要地ですからねえ」


「アレッシアの神殿の進出を手助けした者が言いますか?」


「ちゃあ」

 フォマルハウトが小さく鳴いた。


 彼にも彼の算段がある。そして、その算段では第一軍団の派遣が大事のようだ。

 だからこそ、マシディリが申し訳なく思って退くことを最も恐れている。


 マシディリには、そう思えた。


「第一軍団に楽に手出しができるとは思わないでくださいね。それから、護民官経験者もエリポスに送り込んでいくつもりですが、彼らに接近しても第一軍団の抑止力にはなりません。第一軍団にとって、彼らもまた自分達の功績があるからこそ出世できた者達。若造ですよ」


「土着化はさせないので安心してくださいよぉ。年齢も年齢ですし、結婚されている方が多いですしねえ」

「家族と行く者もいます」

「用意するのは宿にしますよぉ。やだなあ。ユリアンナがたまに行くから少々立派な宿にするだけですって」


 マシディリは、鼻から息を吐きだした。

 笑みを浮かべたままのフォマルハウトが体を前に出す。さらにその前には右手。肘を机について、小指を立てていた。


「密約です。義兄上。私は、ユリアンナの安全を保証しますので、義兄上は私が王位に就くのを補助し、カナロイアがエリポスの受け皿になることを容認してくださいね」


「要求が多いですね」

「では、リントヘノス島を有事の際にアレッシアに一時的に引き渡す、で、どうですか?」


「曖昧な言葉ですね。密約自体、どの程度効力があるのやら」

 最早ため息は政治家としてのモノでは無い。

 義兄として、義弟に対する態度だ。


「義兄上単体で、どこまでアレッシアに効力があるのかに依りますね」

「まったく。舐め切ることのできない程度の阿呆の演技は、もうしないのですね」


 マシディリも小指を差し出し、絡め、二度上下させた。


 とたたたたた、と扉の向こうから聞こえてきたことで、小指を離す。「お嬢様」と慌てるヘリアンテの乳母の声も聞こえてきた。


「ちーちーうーえー!」

 激突するように、扉が叩かれる。

 涙声だ。乳母が止める声も無視して、一生懸命に扉を叩いている。


「失礼」

 言って、席を立つ。


 護衛のため立っていたアルビタが先回りし、扉を開けた。目を真っ赤にしたヘリアンテが、濡れた目を丸くしてアルビタを見上げる。父上じゃない。そう言いたげな呆けた間の後、マシディリを発見したらしいヘリアンテが突進してきた。


 もちろん、受け止める。


 赤子が生まれた直後に年上の子が少々幼くなるのは、弟妹や子供達を見て知っていた。どうやら、両親の気を惹くためらしいとも乳母から聞いている。だから、片方がいないときは出来る限り時間を割くと言うのが夫婦の決め事の一つだ。


「母上が髪をかがせてくれないの!」

(ん?)


「そんな癖、あったっけ?」

 ヘリアンテに言いつつも、目は乳母に。

 乳母は首を横に振った。


「良い匂いがしたから、顔を近づけただけなのに」

 容量を得ないまま、ヘリアンテが泣き叫ぶ。


 根気強く聞きだし、解析していけば、良い匂いだった、嗅ぎたいだけ、でも怒られた、というのがヘリアンテの主張らしい。


「明日なら、多分顔をうずめられるよ」

「きょーがいーの!」

 むす、と愛娘がマシディリにへばりつく。


「大丈夫。明日も、べルティーナの髪に香油をつけるからさ。それに、明日ならヘリアンテもお揃いにできるよ」


「おそろい」

 琴線に触れたらしい。

 マシディリを掴むヘリアンテの手が、少し緩まった。


「それに、今日べルティーナの髪の毛に近づけないのはフェリトゥナも一緒だよ。他の兄弟もね」


「きょうはちちうえだけ?」

「そうだね」

「ずるい」


 がぶ、と肩を噛まれる。

 すぐに乳母が叱り、ヘリアンテの口がはがれていった。


「噛み癖は直さないとね、ヘリアンテ」

「父上もね」


 私にそんな癖は無い。

 そう言い切れないのが、痛いところだ。


「事の発端も、義兄上がナニかをしたからでは?」


 振り返れば、フォマルハウトがにまりと笑っていた。

 が、すぐに真顔になっていく。


「殿下。好奇心は薬と同じですよ。過ぎれば、ね」


「大変失礼いたしました」

 その声は、今日一番誠実で、一番真剣で、一番頭を垂れたモノであった。

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