炎碧密談 Ⅲ
フォマルハウトが、妖しい光を灯したままの目で口を開く。
「この微妙なかじ取りも、フロン・ティリドの圧倒的な戦果で捩じ伏せられれば判断を下すまで待てとも言えた。エリポスへの視線誘導と戦果でも黙らせられる。でも、一番はフロン・ティリド遠征で、アグニッシモに何とかしてもらいたかったのでは?」
またもや否定も肯定もし辛い質問だ。
「スィーパスに対しては五か年計画に含まれています。私の領分ですよ。誰に任せようとも、ね」
利用はされかねない言葉だ。
だが、言質にはならない。フォマルハウトがどこまでウェラテヌスとの関係を大事にするか次第だが、追い込むために使う可能性は低いはずだ。使うとすれば、既にウェラテヌスが落ち目の時になる。
「父上のエリポス懲罰戦争後の東方援軍の時、アグニッシモは同じ陣幕にいる、しかも中心であるアスピデアウスに対して遠慮なく敵意を向けていました。東方遠征に於いても、越冬時には交渉にアグニッシモを起用できていません。
ですが、ボホロス王国の南下時、マールバラと相対する時には周辺部族に対して一定の交渉力を発揮しています。
今も、自身に親しい者以外が圧倒的に多い軍団をまとめあげようと器量を見せ、扱いに偏りはあるものの現地部族との協調も意識し始めました。
アグニッシモは確実に成長しています。
その内、アレッシア本国での様子を考慮した、ウェラテヌスの利益になるような、それでいて虚偽にならない報告の仕方も身に着けると、私は確信していますよ」
一つ、話題を終わらせるために。
マシディリは、やさしく落ち着いた声でフォマルハウトに語り掛けた。その実、声を少しフォマルハウトより遠く、まるでアグニッシモに言い聞かせるようにもして。
「兄の想いが弟に伝わることを私からも祈っておきます」
「ありがとうございます」
(リングアですかね)
思考するが、口にはしない。
違った場合、リングアとの意思疎通が上手く行っていないと確信を与えることになりかねないのだ。
他の候補としては、一気に権力を持ったクイリッタに対してかも知れないし、セルクラウスの当主としてセルクラウスの利となる行動が増えてきているスペランツァに対してかも知れない。
だが、マシディリが一つ確信しているのは、アグニッシモは弟妹の誰よりもマシディリに忠実だと言うことだ。それは、マシディリとアグニッシモの関係もあるし、アグニッシモとべルティーナ、べルティーナとアグニッシモの悪友、べルティーナとユリアンナの関係も大きく影響を与えている。
べルティーナ・アスピデアウス・ウェテリと言う女性は、マシディリの内面に起因するモノや子供達の親であることを除いたとしても、最早ウェラテヌスに欠かせない存在なのである。
「そろそろ陛下の用件を聞かせていただいても?」
雑談をするかのように雰囲気を変える。
フォマルハウトも、座り直すような真似はしなかった。
「義兄上に、カナロイアの軍事教官を依頼しようと。その下交渉を父上はお求めでした」
フォマルハウトの声にも重さは微塵も無い。
もちろん、いつもの軽薄さを作ることも無かったが。
「マフソレイオとの話はついているのですか?」
カナロイアに軍事教官は必要ないだろう。あるとすれば、それはマフソレイオが父を任命していたような、実務よりも名目に重きを置いた登用。
ただし、マシディリも形だけとはいえ、マフソレイオに父の役職の踏襲を打診していたのだ。マフソレイオに左右される必要は無いが、声をかけておく必要はあるだろう。
「国家間では何も。少なくとも私は聞いていませんし、母上も知らないようでした。母上の派閥は軍事教官就任の話を破綻させるように動いていますしねえ。無理だって言うのに」
フォマルハウトの中での格付けはカクラティスが上のようだ。王妃派閥は、はっきりと格下らしい。そう分かる声である。
「ただ、父上とマフソレイオの女王陛下との間では話が付いているのではありませんか?」
「今も仲がよろしいようですね」
「昔のような関係では無いと思いますけどね。父上ももう五十も半ば。ズィミナソフィア陛下も四十を越えてますし」
「セアデラは、父上と母上が四十二の時に授かった子ですけどね」
男側を高齢にした例は、たくさんある。
女性の場合はそうもいかないが。
「ドーリスとアフロポリネイオに対して差を付けたいだけですよ。その上で自国の軍拡にこだわるメガロバシラスに対しても強いけん制になる。それを以て、アレッシアとの交渉も優位に進めようとする魂胆ですよ」
「殿下を派遣したのは、殿下の妻がユリアンナだから。アレッシア人と関係を持たざるを得ない殿下と言う構図で、不満を殿下に向けるために」
「即ち、いざとなれば私を切るために、ですねえ」
怒りも呆れも悲しみも無い。
ただ事実を述べたような声が、フォマルハウトの口から発せられた。
(本当に、私は両親に恵まれました)
目を閉じ、亡き父母に感謝をささげる。
父は決して子供達を見捨てないとマシディリは断言できるのだ。あり得ないことだが、もしも見捨てるようなことがあったとしても、母が止める。母が守りに来てくれるので、釣られて父もやってくる。その確信があるのだ。
絶対の安心である。
最早もたれかかるほどに信じられる味方程、精神的に頼もしい存在はいないのだ。
「アレッシアは、勝つまでやりますよ」
「知っています。並みの国家なら、マールバラ・グラムが何度も快勝する必要はありませんでしたからねえ。ふつーはそっこーでこーさんしていますって」
「ならば、これ以上は不要ですかね」
「と、言ってもお義父様とサジェッツァ様の例もありますし。義兄上を頼りにはしていますが、行動が欲しいですね」
「私から打診を、と?」
「それって要するに、アレッシアにすり寄っているように見せて私達に言うほど利益が無いのですよねえ。防波堤にもなりませんし。王妃派閥の活動を何ら制限しない結果になって、兄弟喧嘩に発展するかも、なーんて」
アグニッシモの話題を出したのは、ウェラテヌス兄弟の仲の良さを確認するため。
もちろん、それだけでは無いだろうが、仲の良さを再認識したからこその言葉選びに思えてならない。
「殿下の用意してきた妥協案をお聞かせ願えますか?」
フォマルハウトの顔が横に倒れる。目も上に。机の上に置かれた手も、指先を合わせるように、静かに普通の速度で動いた。音は、出ない。
「治安維持部隊の設立、ですねえ」
駆け引きは行わない。
フォマルハウトは、その方が得だと判断したようだ。
「治安維持部隊ですか」
「ええ。父上はどうせ戦乱を望んでいる。軍団の強化なんてまさにでしょう? あるいは抑止力か。いずれにせよ、治安維持部隊は父上の欲求には沿うモノですよ。
世が乱れないと、治安維持部隊なんて必要ない。
目的が戦後復興だとしても、統率のとれた部隊であることに違いはない。
ドーリスもアフロポリネイオも持ちえない、そしてアレッシアと連携するのが最も活躍の場を得られる部隊であるために、他の都市と明確に差がつく存在である。
ね。父上は、妥協案として納得してくれるとは思いませんか?」
フォマルハウトとユリアンナがいれば、答えは『是』だ。
「母上にとっても攻撃のための部隊じゃない。だから安心してくれとも言えるし、それでも食って掛かる者には、食って掛かったこと自体が攻撃材料になる。もちろん、部隊でありアレッシア式であるために私や特にユリアンナにとっての強力な盾となる。
何だかんだ言って純粋な武力ですよ。中立を守るのも、相手に言うことを聞かせるのも。言葉だけでどうにかなるなんて弱者の妄想。裏にただでは済まない武力があればこそ、机の上で全てを片付けようとする。それが真理だとは思いませんか?」
アレッシアを揶揄しているのは良く理解できる。
故に、マシディリは微笑みだけで口を開かなかった。




