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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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炎碧密談 Ⅱ

「強大な一国の『庇護』により、流通がより活発になる。そうして栄えた実績が、よりアレッシアもといウェラテヌスへの依存に近い信頼へと東方諸部族を走らせた。


 戦に強いだけでは無い『その後』が、アグニッシモに出来ますかねえ。


 事前準備や後方支援、即ち武以外のことに関してアグニッシモが軽んじない者であると言うのは、昨年のクイリッタ様の遠征で良く伝わってまいりましたが、義兄上に及ぶとは到底思えない」


 フォマルハウトが上を向いたまま半ばまで言い、最後で顔が戻ってくる。

 顔の移動による声の揺れは、不気味なほどに存在していなかった。


「フロン・ティリド遠征についても、私の指示の元だから上手く行っている、と?」


 マシディリに及ぶか及ばないのか。

 そこに言及することは出来ない。及ばないと言ってしまえばウェラテヌスとの関係はマシディリの存命や権力に大きく左右されかねず、及ぶと言ってしまえばマシディリよりもとなりかねないのだ。


「随分と手紙が頻繁だそうで。義兄上が返信を書いている間にもやってくるだなんて、付き合いたての恋人でもしませんよ」

 音にするなら「くつくつ」と、フォマルハウトが笑った。


「勇臆の策はアグニッシモが自分で考えて実行した策ですよ」


「ゆーおーの策」


「その戦いで最も勇気があった者を、兵の投票で決め、皆の前で褒め称えるのです。同時に、最も臆病だった者も投票で決め、末席に専用の場を用意する。そうして大軍を動かさずに、フロン・ティリド抵抗勢力を全力で叩き潰す策です。


 鬱憤の溜まっているアグニッシモらしい策ですし、士気の向上にも大いに役立っているようですよ。まあ、臆病とされた者への気配りには一抹の不安を残していますが、自身の武勇に頼らずに解決策を編み出したのはアグニッシモが成長している証拠です」


 財力を使うと言う手もある。

 マシディリも認可しようとしたが、クイリッタが止めた手だ。そのあたりも、現場でやりくりさせた方が良い、と愛弟は言ったのである。



「差し詰め、心配しすぎと言ったところでしょうか。


 ユリアンナはアレッシアの内情についてはあまり話してくれないのですが、最近は少しばかり口数が増えたのです。フロン・ティリド遠征は順調だとか、若手だらけでありながらも泣きつかないあたり、アグニッシモにも才能があるとか。クイリッタ様自身も一人で未開の地を切り盛りする遠征をしたことが無いのに偉そうだとか。


 それから、東方遠征を待っていた父上や母上の気持ちが分かった、とも言っていましたねえ。ユリアンナ自身は、義兄上のことを信じていたので不安など一切無かったようでしたよ」



 相変わらず嫌な言葉の選び方をする男だ、とマシディリは思った。

 逆に素直なのかもしれない。そう思うことにもしておく。


「私は、フロン・ティリド編入戦が失敗するとは微塵も思っていませんよ」

 おだやかに。落ち着いた声を。ゆったりと。


 マシディリは言い切ると、お茶を口にした。音は立てない。静かに、互いの鼓動の音すら聞こえそうな空間が、少しの間続く。


「義兄上が既に幾つもの手を打っており、それを地頭の良いアグニッシモが回収していくだけだからですか?」


「アグニッシモの周りにもヴィルフェットやリベラリスがいますし、第七軍団もいます。フロン・ティリド遠征軍全体を信用しているからこそ、起用しただけですよ。信じられない者を大事な局面にしようなどできません」


「義兄上らしいお言葉だ」

 フォマルハウトが頷く。

 貼り付けられた笑みは、マシディリがエリポスの宴会で使うのと同種か。


「しかしながら、頻繁過ぎる手紙とは如何なモノでしょうか。作戦の失敗や停滞を示すモノであり、凶兆となるのか。あるいはアグニッシモの功を伝える喧伝となるのか。


 いえ。どちらにせよ、義兄上にとっては凶兆でしたね。


 義兄上が出ていったフロン・ティリド遠征がなっていなかったから、大変なのである。義兄上が遠征に失敗した。なのに、成功したと言っている。エリポス遠征で失敗したから隠したのか、あるいはいつもなのか。そうなれば、これまでの功は? 最悪なのはエスピラ様の功績にまでケチが付き始めること。


 アグニッシモを持ち上げるのも良いのですが、これは良くない。


 義兄上とて、注意しようにも手紙が増えるだけ。いや、最初に注意しなかった義兄上の失態か。義兄上から出す手紙を減らしても、アグニッシモからくる手紙は増えるだけ」



 ぱち、とフォマルハウトが手を叩いた。

 口角がゆっくりと、しかし確実にあがり切る。


「父上も筆まめであった、なんて、言わないでくださいね。兄弟間の醜聞にまで持ち上げるのが民衆と言う生き物ですから」


「穿ち過ぎですよ」

「ホントに? クイリッタ様も同じことを言いますか?」


 ず、とフォマルハウトが前に出てきた。

 状況としては上体を机の上に少し乗り上げただけ。それでも、まるで机を透過して前に出たような感覚を覚えてしまう。


「クイリッタ様がエリポスについて盛んに話すのは、大衆の視線をそらすため、関心を向けさせないためであったりして、と、向けられる側としては思わずにいられませんね」


「そうだとして、何か不都合が?」


 虚勢であったとしても本心であるように、マシディリはさらりと返した。

 組みたくなる指も組まない。正中線を開け、両手のひらは肩よりも外に出す。



「何も。何もございませんよ。アレッシア人の興味とは、フロン・ティリドよりもエリポスでしょう。野蛮人と呼ばれているだの世界の中心だと思い込んでいるだの言いように行っておりますが、アレッシア人の多くがエリポスに憧れているのもまた事実。

 フロン・ティリドにも立派な物があると言うのに、下に見ているのが人間でしょう?」


「見下していた側が怒る筋があると?」

「私個人まで巻き込まないでくださいね、義兄上」

「さて。結局、王族とは国家と連動いたしますから」


「ユリアンナもいますよ」

「ユリアンナは、べルティーナの大親友ですからね」


 子供達もいるが、今も二人で交流しているのだ。

 無論、フォマルハウトをある程度離した後でユリアンナの友達もウェラテヌス邸に呼ぶことにはなっている。


「プラントゥムの目の前の諸島や、カルド島周辺の、第二次フラシ戦争の時にはハフモニが領有を主張していた島々の通行税を下げたのはアグニッシモでは無くマシディリ様でしょう? オルニー島も似たことをやっているので、ヴィルフェットの発案か、ヴィルフェットの提言を聞き入れたアグニッシモの可能性もありますが」


「私の発案ですが、スィーパスの自滅ですよ」

「なんのことですかぁ、って言うのは、流石に無理がありますか」


「無理ですね。商船の航路が変わっただけの理解で終わらないことは理解しています。プラントゥムに入る財が制限され、スィーパスは徐々に追い詰められていくところまで、理解が進んでいますでしょう?」


 尤も、スィーパスに通行税を上げるように仕向けたのはソリエンスだ。

 正確には、ソリエンスの反対派に言わせつつ、ソリエンスは消極的な反対に回ったのである。


 プラントゥムには、良港があるのだ。その内の一つがグランディ・ロッホ。マールバラが基礎を作り、マシディリが改造し、ソリエンスとアグニッシモが港を改良したプラントゥムの大都市。


 そこを任され、スィーパスに重用されているソリエンスに敵がいないはずが無い。死んでいった弟の分の愛情も受けているだけだという荒唐無稽な悪口もあるはずだ。

 だからこそ、ソリエンスの意見に反した上でグランディ・ロッホの財力を増やせれば、都市に関する仕事を含めて力を奪えるかもしれない。そんな心理を利用したのである。


 結果は、商船の減少を招いたが。



「アレッシアやウェラテヌスにとっても弊害は多いでしょう。スィーパスが資源に乏しくなってきたから高くしただけという意見も確実に出てきますでしょうし。

 ですが、義兄上にとって一番怖いのは目の前の財源の減少をあげつらうよりも、プラントゥム制圧後も通行税がさほど変わらない、失策だと言われること、では、ありませんねぇ。


 一番怖いのは、制圧後も税が変わらず、それどころかプラントゥムも合わせて安くし、妹が嫁いだオピーマに利すこと。即ち、ウェラテヌスが海運で富を蓄えるためと言われることでは?」


 マルテレスの反乱。

 その一因でもあるメルカトル・オピーマの舌禍は、海運を営んでいたことに対する元老院からの蔑視があってのものでもあるのだ。

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