運命の宣告
「『炎は私の意思を伝え、炎は生活を豊かにし、過ぎたる炎は地上を焼き尽くす。されど、如何なる炎も大海の前では泳げぬ稚児と同じ』。
神は、そう仰せになりました」
神聖なる炎を背に神託を伝えてくれたのはラウラでは無い。フォンス・ラクシヌス・アスピエリ、即ち隣にいるパラティゾの二人目の妻であり、最愛の女性だ。
「再度のエリポス遠征は時期尚早、ということになるのかな」
問い返したのはパラティゾ。
半分はマシディリにも投げた言葉だろう。
「時期の問題かもしれませんが、もしかしたら」
語尾が消えていくようにフォンスの言葉が途切れる。
マシディリは、険しい表情になるのを自覚しながらも炎を見つめ続けた。
(シジェロ様が生きていれば)
いや、これも逃げだ、とマシディリは拳を握りしめ、自身の意見を体内で潰し切る。
既にアグリコーラにいるラウラにも占ってもらっているのだ。取りに行ったのは相方の執政官であるファリチェと遠征軍を預かることになる可能性の高いティツィアーノ。
『炎は地上を巡り、風に乗って広がる。多くの恵みと破壊をもたらす聖なる物である。されど、炎が大海を越えることは出来ない。海はあらゆる炎を消してきた』
それが、ラウラから伝わってきた神託。
似た内容を言っているのはマシディリにも分かる。ラウラが、わざわざマシディリが炎と例えられたことがあることを口にしたことも、二人から聞いていた。
「炎が示すのがアレッシアでは無いのでしたら、やりようは幾らでもありますよ」
それこそ、ティツィアーノを軍事命令権保有者に据え、交渉事の責任者にクイリッタを就ければ良い。アビィティロに第三軍団を任せると言う手もある。
「ティツィアーノの起用は、慎重にした方が良いのではありませんか?
この神託を聞いて言うことではありませんが、それこそ、マシディリ様がドーリスとアフロポリネイオに対して直接上下を示さないと、厄介なことになりかねません」
パラティゾが言う。
「厄介ね」
「アスピデアウス派と呼ぶべきかマシディリ様のやること為すことに反対したいだけの者と呼ぶべきかは定かではありませんが、そのような者達は理由なんてどうでも良いのです。幾つかの結果があって、自分達の論理をねじ込めれば、それで騒ぎ立て、人を不快にさせるだけ。何も生みませんが、妨害は強くされてしまいます」
「クイリッタが言いそうですね」
影響されましたか、と苦笑する。
パラティゾが唇を巻き込み、それから「クイリッタ様は、今やアレッシアで一番勢いのある人では無いでしょうか」と小さく吐き出した。
「私も、神託で指し示された『炎』はマシディリ様であるように感じました」
「私も?」
パラティゾが聞き返す。
(ラウラですか)
聞き返さずとも分かる。占ったのは、他にラウラしかいない。これまでと大きく意味を違えてくるエリポス侵攻については、あまり多くの者にはこぼせないのである。自然、占いも凄腕の者にしか頼めないのだ。
「私と彼女が見た炎が同じかは分かりませんが、恐らく、彼女の最後の一文はあえてつけたのでしょう」
『海はあらゆる炎を消してきた』
即ち、死の預言か。
(面白いですね)
拳は、硬く。矛先はラウラでは無い。
むしろ少女のいじらしさはマシディリも分かっているつもりだ。マシディリの愛情が向くことも無いが。
「あの子からマシディリ様に連絡を取ることは無いと思います」
拳の解釈を違えたのか、フォンスが静かに言ってきた。
言葉はまだ続く。
「先月、マシディリ様がアグリコーラにいたにも関わらず、神託は受け取りに行きませんでした。今回受け取りに行ったファリチェ様も、エスピラ様の薫陶を濃く受け継いだ方。ティツィアーノ様はエスピラ様最後の弟子であり、義父も義兄も追放されたにも関わらず婚約を履行されております。
マシディリ様の意図が分からないほど無分別な子供ではございません」
責めるような響きが見え隠れするのは、ラウラと親しいからか。それともべルティーナの懐妊も一環に含まれていると思っているからなのか。
あるいは、マシディリ自身の申し訳なさからくる幻聴か。
「ラウラは私よりもラエテルの方が年齢が近いですから。
何より、私にはべルティーナ以外の女性は要りませんよ。私に誇りを思い出させ、繋ぐべきモノが何かを確立してくれたのはべルティーナです。べルティーナなくして今の私はありえません」
嬉しいね、とパラティゾが相好を崩した。
四十六になるとは良い意味で思えない若々しさが見える。
「私が監察官になれたのもべルティーナのおかげだから、感謝しておかないと」
「パラティゾ様の実力ですよ」
アスピデアウスの後継者ですからね、なんて、冗談は重ねないことにした。
尤も、六十六歳のサジェッツァ・アスピデアウスが今もなおアスピデアウスの当主であり続けているのだが。
「私が推薦したのも、パラティゾ様の人を見る目を信用しているからこそです。
普段の監察官でしたら現在の元老院議員の見極めだけで済みますが、今回に限れば追放を解く方々の見極めも必要ですから。
私が設定したこととはいえ、穀物の納入はあくまでも前提条件。アレッシアへの忠誠を示すための行動。本当に元老院議員に戻れるか、選挙に出られるかは別。多くの人が一度はクイリッタに追放された人達ですからね」
政治的な力学を考えれば、あまり戻すのも考え物だろう。
ただし、パラティゾであれば周囲の力関係に縛られずに判断を下せるのだ。アスピデアウスの次期当主であり、マシディリの義兄であり、マシディリの副官。家族ぐるみの付き合いもある歳の離れた親友のような人。
故に、パラティゾは自身の良心のみに従って判断を下せると信じているのである。
「期待に応えられるように頑張ります」
パラティゾが少しゆっくりと、眉を上げるようにして言った。
口元には淡い笑みが浮かんでいる。
「物資を此処まで一気に集めると言うことは、エリポス遠征は来年にも?」
「フロン・ティリドに戦線を抱えていますから。そちらが片付くまではあまり増やしたくはありませんね。スィーパスもいますし」
チアーラに対して名前をあげ忘れるほど問題視はしていないが。
でも、テラノイズと言う有力な武官を割いているのも事実なのだ。
「逆に言えば、片付いたらアグニッシモ様も動員してのエリポス遠征が出来る訳ですか」
パラティゾの目が上にいった。
右の人差し指第二関節が、下唇に押し当てられている。
「むしろ、アグニッシモ様をそのままエリポス遠征の軍事命令権保有者に割り当てた方が良いかもしれませんね、なんて」
誤魔化そうとした語尾だが、提案自体はあり得るモノである。
「折角ティツィアーノ様と第四軍団がエリポスからも認められ始めたのに、ですか?」
「だからこそかな。アフロポリネイオはアレッシア全体を、だけど、ドーリスの動きを見るとウェラテヌスだけを見下していると捉えられるように動いているようにも見えるから。マシディリ様には申し訳ないけど、見事に引っかかっている人も議場にいるよ」
「アフロポリネイオに見下されているのは私の所為だと言う方も、ですか」
「そう、だね。うん。申し訳ないけど、そうだよ」
ウェラテヌスの手で。
それは、良いことだ。マシディリにとっては望ましい。
されど、余計な妬みをまた生む行動でもあるのが、悩ましいところであった。




