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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
1512/1587

腹の内

 ふぅん、とマシディリは二枚から成る羊皮紙に目を通し終えた。


「新しい情報は以上になります」

 報告書をまとめた主、モニコースが訓練用と思わしき盾の補修を終えながら言う。

 コウルスの物だろう。横にある剣も、持ち手には滑り止めとなる布が巻かれている。多分、張替え前だ。砂汚れに、少々の血が染みついている。


「セウヒギオの祭典には王族揃って前向きのようで嬉しいよ」

 少々の皮肉だ。


 セウヒギオの祭典にアレッシアが参加することを否定する者はいないが、泊まる場所や参加方式については喧々諤々の議論が尽くされているらしい。ただ、その議論を聞く限り、アレッシアの参加が前提となっている。


「義兄上」


 果たして、モニコースは常日頃からそう呼んでいただろうか。

 そんなことを思いつつ、表情には一切出さない。


「セウヒギオの祭典は平和の祭典です。アグニッシモの軍事行動は、如何なものかと言う話は、私も納得するところであります」


「昔日のドーリス国王は東方からの大軍の進行に僅かな兵で立ち向かい、神託通りその命を捨てることでドーリスはおろかエリポス全土を救った、とは有名な話です。

 彼の王が僅かな兵しか連れていけなかったのは、セウヒギオの祭典の時期と重なっていたから。平和の祭典がある中でも、国家のために王は軍事行動を起こされたのでしたよね。

 モニコース。貴方は、勇者の中の勇者を詰るつもりですか?」


 目に感情を映さず、声は淡々と。

 モニコースも言葉を紡がない二秒を待って、マシディリは普段通りの笑みを貼り付けた。


「何て言えば、同一視も甚だしいと非難されてしまうかな」

「そのようなことはございません」


 モニコースはドーリスから婿入りしてきた男だ。

 だが、王族としての誇りを捨てた訳では無い。

 故に、マシディリの心の中の違和感がどんどん形となっていく。


「八年ぶりに子を設けるとは、どのような風の吹き回しか、聞いても良いかな」

「どのようかも何も。私とチアーラは夫婦ですから」


「そうかい」

 やや冷たく。


 モニコースの手が止まった。工房に並ぶ武器は、しかし遠い。マシディリの腰もとにある父の遺品の方が早く煌めく距離にある。


「コウルスについて、モニコースの考えを聞かせてもらえますね?」

 可否は、聞いていない。


「コウルスは私にとっても可愛い息子です。甘やかされ過ぎだと思うことはあれども、アレッシア人としては良い育ち方をしているのではないのかとも思っております。兄上達もコウルスには期待をしているようですので、今度家庭教師を派遣しようかとも言ってくださいました」


「カナロイアにもウェラテヌスの血が入りますから。そのあたりも考え、カナロイアと兄弟国になろうと言う算段も?」


「それを試みるのなら、クセニアも生かしておくべきでは無かったのか、と、クイリッタ様にお伝えください」


「クイリッタに、ね」


 モニコースの視線がしっかりとマシディリにやってきた。

 ただし、手の指はほとんど見えない。修理を終えた盾も正中線の延長線上に置かれている。


「クセニアを殺すとすればクイリッタ様でしょう。マシディリ様が排除するとは思えません」


「それは、どういう意味ですか? 私なら、大神官長の血とウェラテヌスの血を使って、アフロポリネイオを支配しようとしていると言う意味なのか、それとも」


 モニコースの瞬きは、少し多いか。速度も常よりやや遅い。僅かな変化だが、確かな違いだ。


「家族を大事にされる、という意味以外ございません。無理に加えるのでしたら、追放された者を許す動きをされているのがマシディリ様であるから。

 それに、クセニアの子はリングア様の子では無いと聞いておりましたが、違いましたか?」


「その通りですよ。尤も、ドーリスはそうは思っていないようですが」

「ドーリスはマシディリ様の考えを支持しております」


 ふふ、と笑うかのように、マシディリは音もなく口角を持ち上げた。

 モニコースの喉仏が上下したのが見える。音はしなかった。


「私の考えを?」

「マシディリ様も、ドーリスとアフロポリネイオが真に通じ合っているとは思われていないはず」

「これはこれは。ロチュルの精神に蝕まれているのかいないのか。判断がつきかねますね」


 さ、とモニコースの顔が青ざめた。

 唇の血色が悪くなる。すぐに巻き込まれ、戻ってきてもなお血色は戻らない。


「私が気づかないとでも?」


 モニコースに瞬きは無い。

 大きく零れ落ちそうになった目が、マシディリの前では揺れ、そして下に一度向かうのみ。


「直近の会合では、アフロポリネイオ人が二人、貴方を含めたドーリス人が三人。半島に住み着いている奴隷が三人。はるか遠く、フラシからやってきた家人が一人、でしたね。

 そろそろ報告書に書いてくださっていると思っていたのですが。残念です」


 モニコースが遅い動作でコウルスの盾を持ち上げた。


 そのままゆっくりと、警戒を抱かせない速度で移動させ、横に置いている。足は正座。すぐには動けない状態だ。盾を置いた以上手には何も持っていない。


「父上の、先王陛下の名誉だけは」


 首が差し出される。


「貴方が犯されない限りは保証いたしましょう。それ以外は、保証いたしかねます」


 ああ、そうそう、と声を軽やかにする。表情は変えない。与える圧もそのままだ。


「アフロポリネイオには漏れませんよ。奴隷はティツィアーノ様が処分いたしました。流石に、ティツィアーノ様も立場がありますからね。下手に謀議の内容を聞いてしまって放置はできなかったようです」


 じと、と湿る汗がモニコースの首に見えた。


「タルキウスに告げ口をしてしまうと大事になってしまうので、まだ黙っていますよ。

 流石にインツィーアと近すぎず遠すぎずの『丁度良い距離』にあるロチュルで謀議が行われただなんて、公に知ってしまうと大変でしょう? アレッシアが割れてしまいます。ね。そうは思いませんか?


 いえ、違いますね。


『分かって』、と言うべきですか?


 分かってくださいますよね、モニコース。分かって。分からないと、部屋から出さないから。



 なんて、如何です?」



 言葉による返事は、無い。

 完全に垂れたままの頭と膝の上で握りしめられた拳が代わりの返事だ。


「ご安心を」

 いっそ冷たいほどやさしく声を掛け、見えないとは知りつつも表情もやわらかくする。


「コウルスに次代のウェラテヌスを支えてほしいと言う意思は私も同じくするところです。その先は狙うとなれば話は変わってきますが、まあ、この辺には触れませんよ。私もコウルスにドーリスの王位をなんて考えていませんが、選択肢の一つとして捨てることは出来ていませんからね。同じものでしょう。


 ですので、ご安心を。


 コウルスにとって祖父である先王陛下の名誉をわざわざ傷つけたいとは思いません。ただ、義父との関係も大事なモノであるはず。自身の義父と敵対している私に言われたくはないかも知れませんが、アレッシアに溶け込むと言う意味でも義父である父上に対して敬意を払っていただければ幸いです。生前だけではなく、今も。


 それこそ、私としては先王陛下の名誉よりもコウルスの安全やチアーラの今後などを嘆願して欲しかったのですが。


 言っても、仕方がありませんね。それに、先王陛下の名誉を守ろうとしたことこそがモニコースが変わっていない証拠ですから。下手に私の喜ぶ嘆願をされては、阿っているのではと疑ってしまいましたからね」



 ある意味ではモニコースは最善の返しをしたと、マシディリの理性は考えている。


 今でこそドーリスとアレッシアの繋ぎ役であるが、元来のモニコースは武人だ。真っ直ぐな気持ちは分かっているし、謀議に対して上手に渡る術に長じているとも思っていない。


「クイリッタ様を始めとする方々のアスピデアウス派への敵意に対し、義兄上が非常に温和であることは分かっております。それがサジェッツァ様への敬意から来るものでもあるとも、理解しておりました。


 だからこそ、という、話でも、ありました。

 私も、また、ドーリス人、なのですから」


 最後は言いにくそうに。


 自身の罪の意識と言うよりは、裏切る形になった仲間への後ろめたさと考えた方が、マシディリにはしっくりときた。

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