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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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狂愛の母 Ⅱ

「アレッシアの強大な軍事力と、カナロイアの歴史でコウルスを支えるの。ドーリスのありようは大きく変わるかもしれないけど、仕方が無いわ。アレッシア人で満ちても仕方がない。高官だけでは無くて少しずつ入れてしまいましょう。一割でもアレッシア人になれば、首都はもうアレッシア人の国に出来るわ。そして、起こった反乱はアレッシア人保護を名目に兄上が鎮圧するの。アグニッシモでも良い。そうしてコウルスを脅かす一切を排除して。


 ね。お願い。兄上。あの子のためなの。あの子のために、あの子を狙う一切を殺して。ドーリスが邪魔なら消してしまいましょう。廃墟の王でも構わないわ。コウルスさえ無事なら。ね、兄上。分かってくれるでしょ。兄上も五人の子供の親だものね。ねえ、兄上。


 それとも、兄上にはわからない? 兄上には子供がいっぱいいるから。でも、私にはコウルスだけなの。あの子だけ。あの子が全て。私の全てなの。だから、ねえ、兄上。分からなくても分かって。分かって。分かってよ、ねえ。兄上。分かって。

 分からないと帰さないから」


 懐かしいな。

 豹変した妹を見ながら、そんな風に思う。酔った父の惚気る姿も思い出してしまった。


 尤も、愛情の種類は違うのだが。


「コウルスを王位に就ける気は無いよ。

 でも、就けるとすれば、十二分なほどのドーリス人高官を用意するつもりではいるけどね。亡命してきた者達を使っても良い。もっと引き抜くつもりでもいるし、財で買い取れそうな者もいる。備えはあるよ。


 もしも、王位継承戦争なんてなってしまえば、ね。王位継承権が持つ者が狙われるのは良くあることだから」


 区切り、マシディリも雰囲気を凍らせる。

 意識するのは母。母の怒る様に、父が使者を威圧する様を重ねていく。


「ウェラテヌスに手を出すと言うのなら、相応の覚悟をしてもらわないと。

 許すものか。地の果てまで追いかけてでも、安住の地など与えないよ。


 父上は、自身への暗殺を行動に起こされてなお二度も許した。許したからこそ、今もこうして火種が残る結果になっている。ラエテルがサジェッツァ様を血縁だと認めたくないほどにね」


 そしてラエテルの怒りは弟妹もどことなく感じている。

 家では、サジェッツァの話などマシディリが振らない限り出てこないのだ。アスピデアウスの祖父母はいないことになっている。マシディリも間を取り持とうとしているが、伯父たちと会わせるのが今できる精一杯だ。


「兄上」

「コウルスは私にとっても可愛い甥だよ。そして、愛する妹の愛息だ。守らないはずが無い」


 まあ、と表情をふにゃりとやわらげた。

 背中の芯も少しだけ緩める。チアーラの重心も、マシディリに釣られるように僅かに動いていた。


「結局はコウルスが自分自身を守れるだけの力を持っていないと、だけどね。流石に全く戦えない人を守ることは出来ないよ。リングアほどとは言わないけど、武芸はせめてクイリッタよりは強くあって欲しいかな。戦術は、何が駄目かさえ分かっていれば違わないよ。王位に就くなら得意な人を起用すれば良くて、アレッシアなら最低限度は保証されているからね」


「あの子を、戦場に」


 チアーラから怒りは消えた。ただし、陰は残る。憂を帯びた表情、と言うべきだろう。目は、見えもしないコウルスを探すように横に動いていて、細い指が心細そうに衣服を手繰り寄せている。


「ラエテルも、来年十五よね」

「そうだね」

「ドーリスとの戦いに出すの?」

「状況次第かな。ドーリスとは、戦い辛いから」


 前回は勝った。

 相手の作戦に嵌められ、それでもなお自力で巻き返せたのである。


 ただし、何度も出来る保証など無い。やりたいとも思えない。戦わずに済むのなら、それに越したことは無いし、戦ったとしても最大限の弱体化を果たしておきたいと思っている。


「小さな乱に出すつもり?」

「いや。大きな戦いかな。べルティーナも、それを望んでいるだろうしね」

「そう。義姉上は強いものね」


 母上も、とチアーラがこぼす。

 小さな声は、静寂でなければ聞き取れなかったほどだ。


「エリポスとの戦いが最後の大きな戦いになると思うよ」


 コウルスが初陣を果たせるまであと七年。

 それまでには、終わらせるつもりだ。それまでに始まらないのなら、一蹴りで終了するほどに弱体化させておかねばならない。無論、その前に相手が限界を迎えて先制攻撃を仕掛けてくるだろう。


「本当に?」

「これ以上拡張しても、統治できないよ」


 じとっとした視線は、兄のことを戦闘狂だと思っているようだ。


 もちろん、完全に否定できるモノでは無い。強敵との戦いに心躍るのは事実だ。悪癖だと自覚もしている。

 それでも、死んでいく者に悲しまないはずも無い。


「東方諸部族からは豊富な鉄鉱石が流れ始めたからね。プラントゥムには大量の銀がある。カルド島とオルニー島、フラシと第二次フラシ戦争で得た場所は豊富な穀倉地帯。マルテレス様の反乱討伐を名目に、製塩地帯も手に入れた。フロン・ティリドに肥沃な大地は思ったよりも無かったけど、豊富な木材はあるしね。布も十分さ。


 戦う理由は無い。

 拡張する必要はもう無いよ。


 アレッシアは、全てを手に入れたのさ」



 残る大国に一抹の不安を感じなくもないが。


「良いの?」

 チアーラが聞いてくる。


「何が?」

 マシディリはやさしく返した。


「兄上はもっと戦いたいんじゃない?」


「まさか。アレッシアが揺るがされるような敵もいないしね。世界を見回しても、有力な将はアレッシアに固まっているよ。

 ティツィアーノ様、アビィティロ、テラノイズ、メクウリオ、アグニッシモ。

 皆、頼もしい味方だよ。


 第二次フラシ戦争で少なからず部隊をまとめたことのある方々ももうお歳だしね。時間の問題さ。あとは、ゆっくりと寛容性を示しながら取り込んでいくだけ。

 激しい戦いにはならないよ」


 正確には、『そう信じている』。

 どこかで優秀な者が頭角を現し、アレッシアに刃を向けないとも限らないのだ。


「やっと終わるのね」

「その時に備えて、アグニッシモにはもっと政治力をって、クイリッタがやきもきしているけどね」

「父上は最低限で良いって言ったのに」


 油断できない規模の反乱は起きうるよ、とは、流石に言えなかった。

 チアーラは妊婦だ。これ以上の不安を煽りたくはない。


「来年のセウヒギオの祭典も平和を求めていると思ってもらうため。アグニッシモもだってそれぐらいわかっているから、最低限はもう達成しているはずなのだけどねえ」


 しみじみと言って、茶を口に含んだ。

 少し甘い。香りも強いが、嚥下すればほとんど口内に残らなかった。

 チアーラの好みだろう。少なくとも、多くのドーリス人に好まれる力強さよりも微妙な天秤の上に成り立つ不安定さもある茶だ。


「マフソレイオは?」

 そろそろ、と立ち上がろうとしたところで、一言入ってくる。


「と、言うと?」

 マシディリは重心を戻し、足もやや広げたままにした。


「どうするの? 兄貴は、アレッシアに組み込みたいと思っているみたいだったけど。父上は友好国や後ろ盾として使っていたし、兄上はどうなのかなって。もしも、兄上も乗っ取るつもりが無いなら、私が行こうか? ほら、コウルスだってオピーマと繋がるじゃない。海運同士、手を取り合うところも多いと思うの」


 結局は、コウルスだ。

 チアーラにとっての一番は分かりやすい。コウルスの安全のために、あらゆることを想定しているのである。


「まずはラエテルとセアデラの実践の場にしたいかな。もちろん、交渉事のね。戦うつもりは無いよ。下手に戦争になれば、損失は計り知れないしね。あそこには世界最大の図書館があるし、世界最高の肥沃な大地が広がっているから。

 それに、今のマフソレイオの王族の方が、多くの元老院議員よりも信頼できるかな」


 本音を言えば、チアーラをズィミナソフィア四世に会わせたくはない。

 飲まれてしまうだろう。あの女王は、異母姉は魔女だ。チアーラの偏愛すら呑み込み、消化しきってしまう。

 壊してしまうのだ。


「フィチリタを頼むよ。クーシフォスは大事にしてくれているみたいだけど、やっぱり新しい義弟妹にとっては父の仇でもあるからね。奴隷だって前の主人を慕っている者もいる訳だし。少しでも不安に寄り添ってくれないかい?」


「私が冷たい姉に見える?」

「まあ、真ん中で線を引いたなら」

「……兄上って、思ったよりも失礼よね」


 失敬な。

 そう肩を竦め、マシディリは「モニコースの顔を見てくるよ」と席を立った。

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