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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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狂愛の母 Ⅰ

 すっかりと雪もなくなり、道端には緑も増えている。壁から見える木には、何度も色を煮詰め発色させたようなはっきりとした濃い桃色の花が咲き誇っていた。

 濃すぎる花をつける西洋花蘇芳(セイヨウハナズオウ)は父の好みでも母の好みでも無い。小さな足を止めて、首が痛くなるほどに見上げていたのは、幼い頃の次妹(チアーラ)だ。


「伯父上!」

 玄関をくぐれば、元気な声が飛び込んできた。


「大きくなったね、コウルス」

「お兄ちゃんになりますので!」


 どん、とコウルスが胸を張り、まだ小さな拳で威勢よく叩いた。

 齢八つでありながら、母とはアレッシア語で、父とはエリポス語で難なく会話できるとはマシディリも聞いている。


(昔は「伯父上も大きくなりましたね」と言っていたのに)


 こちらです、と案内する小さな背中を見ながら、甥の成長を感じる。

 母からの愛情を微塵も疑ったことが無いような甥は、自信に満ち溢れているようだ。


「母上! 伯父上が来ました!」

 動いた? 動いた? とコウルスがチアーラの元へと小走りで行く。


 転ぶよ、とチアーラが口では注意しつつも両手を広げ、コウルスを受け止めた。腹はまだ大きくなっていない。チアーラ自身も、まだ分かる時じゃないから、と言っていた。それでもコウルスがお腹に耳を当てている。どちらかと言えば、甘えたい、と言うことかもしれない。


「コウルスに弟妹が出来るとは、正直思っていなかったよ」

「こっちは兄上がすぐに子を仕込むとも思っていなかったけど」

「同い年になるね」

「無事生まれてくれればね」


「生まれるよ」

 にこにこ、とコウルスが笑った。


 筋肉は、流石と言うべきか。子供であるからそう多くは無いのだが、弟妹やマシディリの子供達に比べてついているように見える。


「子供で言えばスペランツァがあれでもう三人の父親でしかも愛人に生ませていない方が驚きだし、アグニッシモが結局まだ結婚すらしていないのも驚きだけど」


「アグニッシモは何か聞いていない? 誰か良い人が出来た、とか」

 聞きながら、手で奴隷に合図を出す。


 持ってきた果物の一部をチアーラの前の机に置きながら、他の奴隷がせっせと台所に運んで行ってくれた。他にも、べルティーナの意見を参考に用意した夏の妊婦用の服も部屋の隅に積み上げていく。


「兄上の方が聞いていると思うけど。遠征準備で忙しかったじゃん。ああ、でも、ソメイユは何も気にしていないみたいよ。旦那と仲睦まじいって訳でも無いけど。子供と元気に奉公しているわ」


「アグニッシモには言わないであげてね」

「どうしようかしら」

「頼むよ」

「アグニッシモにとっても昔好きだった女ってだけで、どうでも良くなっていたりするんじゃないの?」

「そう割り切れる子だと良いけど」


 ため息を吐きながら、チアーラの向かいの椅子に座った。

 待っていました、と言わんばかりに別邸住まいの奴隷がマシディリの前にお茶を出してくれる。もてなしの菓子は、乾燥させたりんごを練り込んだチーズだ。マシディリも、早速混ぜ合わせ、口に運ぶ。


「兄貴が文句ばかり言っているから、勘弁してあげるわ」

「またかい?」


「出発前にね。二人してきた時に言っていたわ」

「素直に戦場での心配はしていないって伝えれば良いのに」


「アグニッシモが言ってたわよ。つまり、兄貴は俺が勝つって前提で話してくれているんだねって」

「二人らしいね」


「荷物が多いのは、流石父上の子供ね、と思うけど」

 チアーラがマシディリの土産に目を向けた。

 多いかい? と積み重なる物を見ながら、マシディリはこぼす。


 次いで動いたチアーラの目を追えば、扉が開いた。そこに綺麗に並べられているのは、やはり箱。その上に幾つか布や角の丸い椅子、大人なら簡単に乗り越えられるが子供は乗り越えられない大きさの台、これまた角の丸い玩具に小さな衣服、果物の絵が置かれている。


「二人とも、限度を知らないね」

 チアーラのひきつった顔がやってきた。

 発言は、何も無い。


(まあ)

 綺麗に並べているあたり、チアーラも少なからず嬉しかったのだろう。


「ラエテルの時はそうじゃなかったと思うのだけど」

 コウルスの時もそうだが、コウルスの前だから言わなかったようだ。


「父上が存命だったからね。流石に、皆父上を止める方に必死だったよ。母上の一言で止まるのだけどさ。でも、父上は本当に限度を知らないから。

 それに、クイリッタもアグニッシモも今はたくさん稼いでいるからね」


「ウェラテヌスの、というより、アレッシアの二頭様だものね。兄貴は。

 アグニッシモは遠征軍の軍事命令権保有者。流石に兄上や父上の年齢で、とはいかなかったけど、十分すごいじゃない」


「怒っている?」

「誇っているの」


 そうは見えないけどね、とは、口にはしなかった。

 ほら、勉強してきなさい、とチアーラがコウルスの背を叩く。コウルスも、帰る前に一緒に遊ぼうね、と言って去っていった。


「最近はティベルディ―ドを護衛につけ始めたし、クイリッタも色々考えているよ」

「カッサリアの家と仲良いのなら良いけど、義兄を護衛にするなんて生意気と言われそうね」

「クイリッタなら、カッサリアから請うて来たくせに、とか言い返しそうだ」


「言っているようなモノよ。ホント、どうしてこう子供が可愛いと思わないのかしら。ああ、兄上のことじゃないわ。兄上は、その、うん。うん。うん……。父上に似ているわよね」


「褒め言葉じゃなくても使われることがあるんだね」


 チアーラが目を逸らした。

 最も父に反抗的だった妹も、今は落ち着いたモノである。


 そんな微笑ましさを底に沈めつつ、マシディリは右手を軽く上げた。手首だけを動かし、人払いを伝える。


「それで言うなら、チアーラは母上を煮詰めたような感じかい?」

 奴隷は、衣擦れの音だけを残して気配を消していった。

 チアーラの手は、下腹部へ。


「この子もきっと愛するわ」

「今はコウルスが一番。だよね」

「ええ。以前も伝えた通り」


 チアーラの眼力が強くなる。

 母に良く似た目だ。視線だけで狩りが出来るような、ユリアンナも意識的に使う必殺の視線である。


「コウルスに王位を、というつもりは一切ない。断言するよ」

「周りは本当にそう思うかしら」

 声の質も、母に良く似ている。


「ドーリスと敵対したウェラテヌスが、思い通りになる王を新たに擁立すると。周囲がそう思わない保証はあるのかしら」

「無いね」


 さらりとした答え方は気に食わなかったらしい。

 親指が外に出された状態の拳が、机の上に降ってきた。

 マシディリも、チアーラの態度に付き合うつもりは一切ない。


「アミクスを中心に、イロリウスの被庇護者をアグリコーラに配置するよ。名目は褒美。もちろん、エリポス遠征時に情報収集にあたった褒美さ」


 経験も、そこで積んでいる。

 万が一にもコウルスの暗殺などさせやしない。


「第一軍団の退役兵もいるけど、他にもウェラテヌスの被庇護者も望むなら増やすよ」

「絶対に安全なのね」

「出来る限りはする。死力は尽くす。でも、絶対は詐欺師の言葉だって、クイリッタに言われちゃうから。私は、チアーラを騙したくは無いよ」


 怒らせる言葉だとは分かっている。

 だからこそ、ごまかすわけにはいかないとも知っていた。

 せめて、と、声だけは、哀願に似たモノを選択して。


 チアーラが下を向く。

 チアーラも、ウェラテヌスの娘だ。母もだが、叔母の影響も受けている。呑み込めるかは別として、理解はしてくれているはずだ。


「兄上」

 やってきたのは、光届かぬ湖底の声。


「敵対勢力を一掃できるのなら、コウルスがドーリス王になるのも許してあげる」

 あがってきたのは、洞窟の奥を覗き込まされたような瞳であった。

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