コルドーニ・セルクラウス
「ですので、私は別にエスピラ様の御意思に背こうと言う訳では無いのです」
エスピラの書斎で、そう、イフェメラ・イロリウスが切実に絞り出した。
体は前のめりで、エスピラの目の前の机に両手を突く形で立っている。
「別に、私は反対していないのだがな」
エスピラは苦笑いをしながら神祇官の仕事で使っていた紙を横に置いた。
神殿としての行事予定が被らないようにと調整したスケジュールが書かれているだけであり、他の者次第なところもあるためエスピラができる仕事は非常に少ない。異様に少ない。
最高神祇官であるアネージモが張り切っていると言う体でエスピラに仕事をさせないようにしているためである。それこそ、エスピラが担当外の神殿の様子を探れるほどに暇である。
「しかし、私はエスピラ様の意思を破って戦場に赴く決断をしたのですよ」
イフェメラが食い下がってきた。
「私とて昨年は軍団長補佐筆頭をしている」
少しだけ副官も。
「それはエスピラ様には戦わないと言う意思があったからでしょう。ですが、今回の軍団は史上空前の八個軍団。一個軍団当たりの兵数も増し増しの七万二千の重装歩兵。五千もの騎兵。七千を超える軽装歩兵を揃えております。
中心となる指揮官も両執政官にコルドーニ様が法務官として、前独裁官としてグエッラ様を添えた四人体制。元老院議員も実に三分の二を入れ、他の任地も加えれば出撃しない永世元老院議員はメントレー様などごくわずか。
今回は、明らかに戦う意思、それもマールバラを叩き潰すと言う意思が見えております」
「そうだな。それだけの兵数を指揮するにはより多くの人員が必要だろうとも。財務官を指揮官に回すだけの余裕も無いだろうしな」
非戦闘員を含めれば十万に行くであろう人数の大移動などただの災害でしかない。
食べる物、飲む物、寝るところ、日々の訓練場所、排せつ物の処理、性欲。
オーラを使える者の多いアレッシアでは白のオーラと緑のオーラで他の国よりも大分楽に軍団を展開できるが、起こりうる問題は多いのだ。
そちらの解決に割く人員も馬鹿にならない。
「ま、史上空前の人数を動員するのだ。その数を引き出させたコルドーニ様は様々な旨味を多くの者にばらまいたのだろうな。同時に、多くの者が被庇護者を動員する以上は高官の数も多くなるのも必然だろう」
兵の不用意な団結を防ぎ、悪事を防ぐためにも。
「ええ。正直、これだけの数を本当に集められるとは思っておりませんでした。イロリウスも兵の捻出を手伝ったとは言え、裁判でのコルドーニ様しか知らなかったので炎を吹き消された気分です」
イフェメラが苦々しく吐き捨てる。
「そう言うな。コルドーニ様も耐えて耐えて待っていたのだ。トリアンフ様の基盤を自分が受け継ぎ、ルキウス様も使えるようになり、会戦派が妥協して非会戦派が力を失うこの間隙を。マールバラの軍団の疲労が溜まり、我武者羅に張りつめられていた糸が最も切れやすくなるこの時期を」
流石はタイリー・セルクラウスの息子と言ったところか。
コルドーニ・セルクラウスにとってはタイリーの遺産など必要なく、ただアレッシア人らしく誇りと誇りをぶつけ合って削れる瞬間を待ち望んでいたのだろう。
その上で、今度はタイリーの息子と言う名称を壊し、コルドーニとして出張る。自身の力を使い、名誉を回復させるためと唆してトリアンフの息子たちをも自分の下につけて。
「どう取り繕うとコルドーニ様は自身の計略がどうすれば上手く行くのかしか考えておりません。いえ、元老院も民会も結局は自分たちがマールバラを踏みつけることしか考えていないのです」
言いながら、イフェメラは袖の下から羊皮紙を取り出した。
字は細かすぎて、エスピラの位置からでは全く読めない。
「エスピラ様、いえ、師匠が書かれたこれを誰も読んでおりません」
「いつから私は師匠になったのだ」
エスピラの苦笑は、しかし取り上げられなかった。
「これを読めばマールバラが如何に対アレッシアに特化した軍団を作成したかが分かります。マールバラの軍団の基礎はアレッシアと同じく現場指揮官が死んでもすぐに次の指揮官が現れて崩れないようにすること。アレッシアとの違いはその場、その作戦、敵の軍事命令権所有者の性格に合わせて序列を変えることができること。適した者を配置できること。そして、マールバラ・グラムと言う頭の才能に支えられた軍団であることです。
あたかも、メガロバシラスの最初の大王のように。圧倒的な自身の戦術的な才能、眼。それを頼りに作られております。
ならば、マールバラを暗殺すれば全てが終わります。不名誉な手段だとしても、私はそれが最善だと思います。師匠ならば難色を示すでしょうが、それでも理解してくれますよね。でも、今年の軍団の連中は叩き潰すことのみ。
折角の情報の活かし方を知らない連中なのです」
「その愚痴を漏らしてどうする」
「コルドーニ様など師匠が褒めるに値しない人物だと言いたいのです」
ふう、とエスピラは嘆息した。
「その言い草は敵を作る。例え嫌いな相手でも褒められる点を見つけ出すようにした方が良い」
「師匠はトリアンフ・セルクラウスのどこを褒めるのですか」
「法務官を務め上げたことのある男だ。大望さえ抱かなければアレッシアにとっても益のある男だっただろう。あと、お年のわりに性欲が旺盛だったな」
イフェメラが眉を寄せて微妙な想いをありありと見せながら首を右に傾けた。それから、頷く。
エスピラがトリアンフを褒めていると、一応認めてくれたらしい。
「話を戻します。師匠がまとめ上げてくれたこの本、足りないのは実際のマールバラの戦場での動き。内部ではどう見えるのか、どうすれば良いのか。対策を練ればマールバラがどう反応するのか。騎兵の立場から見たマールバラは?
今回も従軍されるアワァリオ様やボラッチャ様から聞いた話はありますが、彼らはエスピラ様に近かった騎兵。エスピラ様自身ももう騎兵として出陣することはほとんど無いでしょう。
そうであるのなら、この本を完成させるためにも私は危険を承知でマールバラに挑む軍に加わるべきだと思ったのです。それがアレッシアのためになると思ったのです。戦場でのマールバラ軍を書き足さねばならぬと思ったのです」
羊皮紙を揺らしてアピールしながらも傷つけないように。そんな配慮も見えるやや遠慮した揺らし方でイフェメラが間合いを詰めてきた。
エスピラは苦笑をしたまま姿勢を少しだけ崩す。
「私は君が出陣することに異を唱えないと言っただろう?」
「本当ですか?」
「本当だとも。何故君はそんなにも不服そうなのだ」
「いえ。別に」
言葉はメルアに似ているが、雰囲気は構ってやれなかった時のユリアンナのようだとエスピラは思った。
もちろん、二十歳の青年にそんなことを思うのは失礼かもしれないのだが。
「私としては君に死んで欲しくは無いのだが、アレッシアのために戦いに行く君にそんなことを言うのは失礼だろう。下手をすればイロリウスへの侮辱になりかねない。言えることは使命を果たし、熱弁した目的をしっかりと完遂せよ、ぐらいかな」
やわらかく笑って、エスピラはイフェメラの持つ羊皮紙に目をやった。
書いてあるのは見たことがある文章。本当にエスピラが元老院に提出した『マールバラ・グラムの実像』だ。
(イロリウスの当主ではあるが)
こうも誰彼構わず外に出されるのであれば、今度は書く対象を考えなければならないな、とエスピラは思った。
例えば、カルド島では簡単な言葉しか伝えなかったが、今後は書物も元老院ではなく一般市民向けに徹するなどか。
そうするならば自分が書いたのを複製させる必要があり、同時に言葉遣いも気を付け自身もエリポス語とアレッシア語の二つを書き、視点も実用的な報告ばかりではなく戦意高揚を考える必要がある。
今回書いたようなお堅い戦術・戦略の本では同じように必要な役目を果たせないだろうから。




