最も信頼する弟
「私を勝手に対抗馬に祀り上げる分には構いませんよ。私が兄上を裏切るはずがありませんから。取って代わるなど、能力に差がありすぎますし。ま、愚弟共がもっとまともだったら、と思わなくもありませんが」
「みんな優秀だよ」
クイリッタも良く分かっていることだろう。
「戦えないくせに我が儘だけは立派な奴に、武勇と戦術だけの奴、父上が死んでから欲が深くなった奴。しかも前後の二人は別の家門の当主です」
「スペランツァは総合的な能力が高いからね。どうしても地味な役割になってしまいがちだから。もっと輝く場所で力を発揮したい気持ちは分かるよ」
「競争です、兄上。内政は私がいる。外征はアグニッシモがいる。兄上が出るべき場面で兄上が行けない時に臨時で指揮を執る者としてアビィティロがいて、軍事行動を伴う交渉にはティツィアーノがいる。ただの交渉ならパラティゾ。内部調整にはアルモニア様。
民会には手を出せないので何も言うことはありませんが、貴族に対しては義姉上や私からも働きかけられますから」
「全て、次点級の力はあるのだけどね」
だからこそ、スペランツァをすぐには使わず、残しておきたい気持ちにもなってしまうのだ。
「緊急事態になった時を考えて、どうしても使わずにおいておきたい気持ちになっていることは、今度謝しておくよ」
「そう言うところ、ラエテルの父親だなと思いますよ」
「そうかい?」
「素直に意見に耳を傾けるところ、そっくりですよ」
「ラエテルの方が素直だけどね」
「まあ、リベラリスやヴィルフェット、フィロラードと比べてもスペランツァが高い評価なのは伝わっているでしょうし、スペンレセ達第七軍団に比べても評価が良いのは分かっていると思いますので、あまり気にされませんように」
「フィロラードも向かわせるべきだったかな」
「レピナが怒りますよ。あの愚妹が」
「と、言いつつも、母上に似た気質のある末の妹を微笑ましく思っているクイリッタなのであった、と」
「兄上」
「ごめんって」
笑いながらも、打つ手の鋭さは変えない。
クイリッタの唇が内側へ巻き込まれ、鼻から大きく息を吐きだしながら盤面に目を落としていた。
「アルモニア様から、療養に専念したいとの相談を受けていてね」
ああ、誰にも言っては駄目だよ、と付け加える。
クイリッタの眉間には皺が寄っていた。目は、真剣なモノ。もちろん、盤面に注がれたままだ。
「引退したい、の間違いでは?」
「オピーマを吸収し、アスピデアウスの現当主を実質的に隠居に追い込んで、エリポス以外の諸国からの嘆願と神事にまつわる一切を受け持ったウェラテヌスへの反発はアルモニア様も憂慮しているのさ」
「自業自得、自業自得、兄上の実力に父上からの積み重ねです。馬鹿は黙って従っていれば良い。
だいたい、兄上の区画整備に賛同し、協力した地域だからこそ計画的な井戸と竈が出来ていると言うのに、自分の傍に無いのは不当だと騒ぐような連中です。アルモニア様が気にされるような人々では無いでしょう」
「アルモニア様に早く良くなってほしい、ってことだね」
「兄上」
「やさしいね」
棘の入ったため息一つ。
それで良いですよ、と投げやりな言葉と共に、投げやりでは無い一手が打たれた。
「リベラリスの折角の外征、それも、アグニッシモの片腕と期されての抜擢です。邪魔したくないと言うのが親心では無いでしょうか。呼び戻すべきでは無いかと存じます。加えまして、ヴィルフェットもいれば十分。それ以上の付け足しは、流石にアグニッシモが拗ねるかと」
「やさしいね」
「出来れば、報告頻度を減らせと思いますがね。今は良いとしても、遠征に出たら手紙が届くまでにどれだけの時間がかかると思っているのか。今の話をされても、兄上が考える対応が届くころには情勢が全く違っているでしょうに。
アルモニア様の下で伝令を多く勤めたリベラリスなら分かっているはずでは?
ヴィンド様までとは言いませんが、ヴィルフェットも良く理解しているはず。家格で考えてリベラリスが言いにくいなら、ヴィルフェットがきつく注意すれば良いものを。
そんなんだからニベヌレスがウェラテヌスの配下になっているなんて言われ、兄上に中傷が行くのだと言うのに。だいたい、兄上を当主としてたてるために発言に気を付け始めただなんていうのなら、そこを先回りして感じ取って、アグニッシモが控えれば良いだけ。
本当に。あの愚弟が。何も分かっていない。戦争だけしていれば良い訳じゃないと言うのに」
「荒れているね、クイリッタ」
「兄上!」
唾も飛びかねない勢いの弟に笑みを向け、マシディリは手元のりんご酒を持ち上げた。
ゆっくりと口内に入れる。芳醇な香りだ。父の好物であり、母の好物でもあった酒である。当然、父による研究も熱心に進んだウェラテヌス自慢の逸品だ。
「なるようになるさ。アグニッシモなんて、最初は怒り狂ってアスピデアウスは全員憎いなんて振舞っていたんだよ? それが、今はパラティゾ様もティツィアーノ様も好いている。良いことじゃないか」
特に、手合わせなどをしなくてもパラティゾを認めたのは大きな変化だと思っている。
アグニッシモにとっては、若かりし頃に父に反発して叱られていたアスピデアウスの次期当主と言う印象が強かったかもしれないのに、だ。
「それに、頻繁な連絡で言えば、折角の休暇に仕事の連絡を持ってきたその差出人こそ怒りの対象じゃないのかい?」
クイリッタの目が、席に戻るにあたって脇によけられた手紙に向く。
クイリッタの真横より、やや後ろ。マシディリから離すように置かれたとも取れる手紙だ。もちろん、分かりやすくではない。即ち、心理的なもので遠くしてしまったのか、それとも見られたくないと意識的に思っての結果か。
「仕事ではありません」
クイリッタの目がしっかりとやってくる。正中線も見えたまま。首も隠れない。腕も閉じ気味になることは無く、足が組み替えられた気配も無かった。
嘘は、言っていなさそうだ。
尤も、全てを言っているとも限らないが。
(ディミテラでは無い、と)
探ることでも無いだろう。
「兄上こそ、ドーリスからの亡命者への対応が大事な時期ではありませんか?」
「死体の偽装工作なら済んでいるよ。その他は、セアデラの練習だね。叔母上もいるし、亡命の先輩としてグノートもいるから」
「アイネイエウスの家族を守るためと公言して奴隷になった男と、無駄に誇りだけは高いドーリスの政務官共では大きく違うでしょう」
「クスイア陛下に愛想をつかした方々だよ。それに、優秀だ。そう言う者達だけ引き抜きをかけたし、優秀だからこそ陛下も嫌ったのだろうしね」
「チアーラには?」
「伝えていないよ。直接的にはね」
クイリッタの片眼が閉じる。
数秒の沈黙は、盤面の手を考えている時間では無い。
「モニコースに漏れるのも、時間の問題か」
「うん。でも、まだその時では無いかな。潜在的な敵が多いからね。嫌になっちゃうよ」
スィーパスやフロン・ティリド、アフロポリネイオやドーリスはもちろんのこと、北方諸部族だって心を許すことは出来ない。エリポス諸都市がどう動くかも未知数。特にメガロバシラスは揺さぶりをかけてくるのは確実だろう。トーハ族だって、何時まで大人しいか。
「偽装物別れ戦法で行きますか」
「クイリッタ」
「ウェラテヌスの二頭様など、完全に私への揶揄です。しかしながら、兄上への不満分子を引き寄せるのにこれ以上適した称号も無いでしょう」
「私が弟を悪く言われて許しておけるほど寛大だと思っている?」
「少なくとも。今兄上の目の前にいる男は許されていますね」
「最も信頼している弟だからね」
「少しは警戒しないのですか」
「リングアのように、かい?」
しないよ、とマシディリは笑う。




