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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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仕上げの敵は

「蛮族にくれたやったつもりの娘で、よもやの大物が釣れたわ」


 高らかにデラコノスが笑う。

 耳障りな声だ。耳道をずずぎずりと削っていくような、逆撫でなんて表現では生優しい声である。



「あっけなく落ちるような雑魚で、あの罠にも関わらぬような男に首輪を掛けられたのだからな。これぞまさに雑魚で高級魚を釣る所業よ。いやいや、私は、そんなの使わずとも一度罠にかけているのだから、これで二度であったな!


 ドーリスも歯噛みしているであろううよ。

 あの国は、くく、あの国はみじめよなあ。セウヒギオの祭典に野蛮人共の参加を認めないといけなくなったとは。しかも、野蛮人が他の野蛮人も連れてきて。あれではセウヒギオの祭典の格が落ちるわ」



 言いたい放題だ。

 本性、と言ってしまえれば気が楽だが、少し違う。顔が赤くなるほど酒が入ったデラコノスの姿。女に大きく見せたい悲しい男の性。気の大きくなりすぎた姿は、うまいことドーリスに流すことができればそれで事が済むのだが、信じてもらえる可能性は低い。


「でも、大事な娘さんだったのでしょう?」

 鈴のような女の声がする。

 デラコノスが陽気さを引っ込めたのが、気配だけでも十分に伝わってきた。


「うむ。だが、これも政治と言うモノよ。アフロポリネイオのためには致し方あるまい。あの子も蛮族に身を売ると思えば、覚悟はしていたであろう」


 泣きまねが妙に寒々しい。


 腹立たしい煮えたちを腹底に押し込みながら、マシディリは衣擦れ一つ立てずに顔をレグラーレに向けた。どちらも暗がりの中。表情をはっきりと見ることは出来ないが、長年の付き合いでどのような顔をしているかは良く分かる。


「ところで、そなたの身請けの話だが」

 デラコノスの声が新しく聞こえてくる。


 娼婦の手でも握っていそうな声だ。普通は娘を道具のように利用した者に嫁ぎたいなどとは思わないだろう。だが、娼婦の声は前向き。娘を道具のように使った人でなし、というよりも、腹立たしいアレッシアに刃向かう勇者として写っているのかもしれない。


 マシディリは、潜入に先んじて確認した部屋の内装を思い浮かべる。


 アレッシアの製品を多く使っていたはずだ。出ている酒もアレッシアから仕入れた物。こちらは逆の意味での特別価格にしてやったと言うのに、喜んで買っていった物だ。


(クセニアは、どのような人だったのでしょうか)

 これで、彼女も父親であるデラコノスと同じような人であったのなら、リングアが報われない。あまりにも救いのない結末だ。


 願わくは、愛情深い人物であらんことを。


 祈り、口説きの会話が嬌声に変わる頃にようやくマシディリは体勢を変え、屋根裏から外に出た。



「イーシグニスからの報告では、他の娼館でも同じようにアレッシアを貶し、娘をある意味では褒め、羽振りが良くなっているようです」


 屋根の上。月の無い夜のために外でも見えにくい場所でレグラーレが言う。

 力無く家に帰る者達の様子を見ながら、屋根に腰かけたままの状態でマシディリは耳だけを傾けた。雑音は、上手く行った者達の欲望の音である。



「デラコノスが特別な訳ではありません。あれが特異な意見であれば、大神官長に上がることも無かったでしょう。

 エリポス人は何も変わっていないのです。

 マシディリ様。やはり、リングア様と話すことをお許しいただけないでしょうか」


 ぐ、と指を押し込み、関節を鳴らした。

 マシディリの瞬きは少ない。レグラーレに耳を傾けたが、視線はレグラーレでは無く、中空。


「イフェメラ様を奪ったように、またしてもアレッシア人を奪うつもりならば、致し方ありませんね」

「エスピラ様の権威をマシディリ様が継げなかった訳ではありません。奴らは、エスピラ様だけは恐れていただけのこと。威勢の良い腰引け人に過ぎません」


 リングア様と会話してもよろしいですね、と、逸らした話題に乗った後に、本題に戻してきた。


「何を話すのですか?」


 これ以上は誤魔化さない。

 他の政治家連中であればはぐらかし続けたが、相手はレグラーレだ。



「マシディリ様が寛容すぎることを。


 リングア様の言葉は、べルティーナ様はおろかエスピラ様も貶す発言です。リングア様で無ければ蹴られただけという罰と言えない罰で終わることは無かったでしょう。後者に関しましては、それで許してはマシディリ様の信用問題になってまいります。


 加えまして、リングア様の地位はマシディリ様がいることによって成り立っていることも良く分かっておられない様子。マシディリ様が権力を失った時がリングア様も終わる時。そのことが分からないようであれば、神童も最早かつての称号。


 ただの凡人、ただの少しだけ頭の良い者では、ウェラテヌスを、ひいてはアレッシアをまとめ上げ、引っ張っていくことなどできません」


「私もアレッシアをまとめ上げられてはいないけどね」

 口角を上げ、マシディリは声を空に溶かした。

 レグラーレからの反応は無い。ある種、予想通りだ。


「オピーマ派の取り込みはほとんど終わったよ。これで、エリポスに対して強気の政策を打っても大きな反発はもらわないはずさ」


「アフロポリネイオ人にとってアレッシアは都合の良い金袋。そう見えているとしか思えません。リングア様が外を出歩かなくなるのも、ある意味では理解できました」


 レグラーレが静かに言う。

 他のエリポス諸都市と比べても空気が異質なのはマシディリも理解していた。手が、いつもよりも剣の近くにあるのも自覚している。


「マシディリ様。くれぐれも、アルビタから離れないように願います。特にここでは何があるか分かりません。私も出来る限りは傍にいますが、腕が立つとは言い切れませんので」


 おふざけが一つもない。

 此処がアレッシアであれば、「逃げる」だの「うへえ」だのと言うのがレグラーレだ。今は、そんな雰囲気一つもなく、静かに、唇さえほとんど動かさずに言っていた。

 だから、マシディリも「最高神祇官は法で守られているからね」などと軽口をたたくことは出来なかった。


「私でこれなら、他のアレッシア人は旅行にすらいけないね」

 代わりの言葉は、心からの嘆き。


「そう思うのであれば、リングア様を引き上げさせた方がよろしいかと」


「……此処の危険性は、リングアが一番理解しているよ」


 静かに立ち上がり、軽やかに下りる。音を立てず。されど段階を踏んで下へ。

 夜になれば、人通りは少ないのだ。アフロポリネイオは籠城戦の直後。明かりと言う高価な物はほとんど使われていない。


(デオクシア様の言う通りですね)

 そして、大神官長デラコノスの散財は、目に余ると言うところか。


「アフロポリネイオはエリポス政策の一丁目一番地では無いよ。それに、折角長期戦の準備もしていたしね。

 でも、うん。仕方がない。準備は進めておこうか」


「できうる限り避けたい、と」


「まあね。第三軍団もアフロポリネイオを疎ましく思っているのは知っているけど、他でも良いから」


 父が滅ぼしたディラドグマは、エリポスの中でも大きな都市であると言う訳では無かった。

 アカンティオン同盟も、元をたどればメガロバシラスへの対抗で出来た同盟であり、長く命脈を保ったのは同盟を維持していないとカナロイアやドーリスに対抗できなかったから。


 彼らの血と廃墟、断絶があってもなおエリポス人は改める気が無いのなら、次は、聖域なく実行しなくてはならない。そうしなければ、分からないのだ。


「アレッシアのすぐ隣に敵国がいては、子供達が無邪気に遊べる日は遠いまま」

 ぽつり、とこぼす。


「最早アレッシアの支配域の中に敵国があると言えるかと。古今、内部に敵を抱えたままの国が安定的な繁栄を謳歌したことはございません。必ずや、悲惨な崩壊を引き起こしております」


(ご尤も)

 目を閉じ、思う。

 やらねばならないと、覚悟を決める。


 エリポスを崇拝するな。外国を無条件で歓迎するな。他国がやっているから自国もやるべきだと軽々しく口にするな。


 そう言いながらも、エリポスに強く出られていなかったのは、誰だったのか。


「一歩ずつ」


 何時の日か、アグニッシモが言っていた言葉。

 祖父タイリー・セルクラウスは、エリポスに橋頭保を築いた。アレッシア初のエリポス領土だ。

 父エスピラ・ウェラテヌスはエリポスの都市を滅ぼし、エリポスの都市にエリポスの地で勝利を収め、領土を増やした。婚姻が為せたのも、エスピラの時代の功績と言えるだろう。


 では、自分(マシディリ)は。


「もう、機は熟しましたね」


 静かに言う。

 レグラーレもアルビタも、特段の反応を示さず。ただ慇懃に頭を垂れていた。

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