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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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アレッシア人 Ⅰ

「これは、私への挑発かい? リングア」


「兄上こそ、少し見ない間に随分と傲慢になられましたね。エリポス人を弔うのにエリポスの神々に祈るのは正しき姿ではありませんか」


 言うようになった、訳では無い。

 元々、リングアは父にも物申していたのだ。フィチリタ曰く一番やさしい兄だそうだが、自身の理想を相手にも求めるところは変わらない。


(生き辛いだろうに)


 期待とは、互いに対しての呪いだ。

 だが、期待こそが力にもなるのも、マシディリは知っている。


「此処はアレッシア人が住むために用意した場所なのだけどね」

「アレッシアは何時から宗教に不寛容になったのですか?」

「此処は神殿が豊富にある場所だよ。そちらの方が良いんじゃない?」


 ああ。この言葉も、決して逃げられた言葉ではない。

 言ってから、マシディリは思った。


「アレッシア人が容易に出歩けると思っているのですか?」


 頭の中のクイリッタが、本当にそんな状況なら良く女を作れたな、と吐き捨てている。

 そんなマシディリをよそに、くすんだ白色に身を包んだリングアが祈りの姿勢をやめた。祭壇の手入れのために手を伸ばしている。


「兄上が殺したのですか」


 声は、低い。

 無色の声だ。抑揚も無く、淡々と膝下を流れ去るような声である。


「誰を」

「クセニアと、私の子です!」


 黒色の怒気が叩きつけられる。

 怖くはない。むしろ、自分自身でも恐ろしいほどに感情が揺さぶられなかった。少し力を入れて払いのければ、簡単に落ちてしまいそうな程である。


「何故リングアを怒らせるような真似をわざわざするんだい。それに、私はクセニアの腹の中にいた子はリングアとの子では無いと聞いているよ」


「私の子です!」


 目は閉じない。

 博愛主義者だとか愚弟などと言うつもりは無い。マシディリの脳裏に浮かぶのは、自身の子供達だ。特に生まれたばかりのフェリトゥナと、もしもがあった場合の家族が思い浮かぶのみである。


「私とクセニアは、愛し合っていた! それを引き裂いたのはウェラテヌスだ! 確かにクセニアには他に男がいたかもしれない。でも、私の子ではない証拠もないはずではありませんかっ?」


 ぐしゃり、とリングアが自身の胸元を握りしめた。色を濃くした皺が幾本も走っている。未だに日焼けの茶色が残る腕は、リングアによる献身の証か。


「アレッシアでは愛人が多く居た場合、子は最も有能な者の子であるべきと言う風潮があります。無能な男の血は、決して有能な者を退けてまで残してはならないとも。

 もしも、兄貴やスペランツァが言うようにウェラテヌスが優秀でありその血こそが優れているのであれば、私の子もまた残すべきではありませんでしたか?」


 言葉の最中に、布がちぎれんばかりにリングアの手が前後した。

 床にも透明な液体が何十個も飛び、変色した斑点が現れている。


「リングア。その話を持ち出すならば、『子供の親をはっきりさせなければならない』という文言は忘れるべきでは無いよ。無能な男の子が、有能な男の子として育てられることが無いように、との意図もね」


「アフロポリネイオ人を無能だと断じる兄上など見たくはありませんでした」


「デオクシアは非常に優秀だよ。他にも優秀な者は揃っているさ。一括りにするのは、止めた方が良い」


「アレッシアで政治的な立ち位置が無い私よりもアフロポリネイオで高位に就いている男が無能だと言ったではありませんか」


 本当にクセニアと言う愛人が好きだったのかもしれない、とマシディリは思った。

 男に関しては名前を出さなかったのだ。出したくなかったのだろう。


「曲解だ、リングア」

「何が曲解ですか。アフロポリネイオ人なんて家畜以下だと思っているのでしょう? だから、アレッシアの製品を売りつけていられる。恵んでやっているんだと思っているのでは無いですか!」


「そのアフロポリネイオに、最強の軍団を以てしても負けた私はもっと無能だね」


 吹きつける風にも変わらぬ岸壁のように。

 マシディリは静かに、されど黒く硬く言い放った。


 リングアの顎が引かれる。胸元に出来ている皺の色も薄くなった。


「この夏の働きには感謝しているよ、リングア。アフロポリネイオの人と個人的な会談を何度も開けたのは、リングアの人徳に依るところが大きいよ。本当に助けられた。

 だから、リングア。ルーチェと離れて久しいし、そろそろ帰ろう」


 やさしく、声を掛ける。

 しかし、リングアの眉は濃くなってしまった。



「アレッシア人は、愛人を多く抱えられる者は寛容な者であるとして褒め称えられます。その意味でも、クセニアはアレッシアにとっても大事な人でした。それなのに、兄上は殺した。


 アレッシア人は暗殺が嫌いだと言っているくせに、兄上も父上も暗殺を躊躇わない。愛人も作らない。元老院よりも妻でしょう? 


 何がアレッシアですか。アレッシアのためにですか。アレッシア人以外に政治を関わらせるわけにはいかないですか。


 ウェラテヌスの方が余程、今のウェラテヌスの方が余程異物だ!」



 次弟に指をさされたのは、いつ以来か。

 少なくとも、マシディリの記憶にある限り、今回が初めてだ。


(政略結婚への我慢)

 いや、言葉としてはカリヨの影響が大きいようにも聞こえている。


「私はクセニアを殺していない」

「信じられるものか。ウェラテヌスならやりかねない。私もウェラテヌスだから、父上のことも兄上のことも人より知っています。二人ならやりかねない。兄貴も姉上もスペランツァも、容赦なくやれる方々だ。むしろそう思われた時点で終わりではありませんか!」


「リングア」

「なんでクセニアと、私の子を殺した!」

「殺していない」


 閉じたい目を、こらえる。

 映し続けるのだ。今のリングアを。そうしないと、弟はもっと暴走する。



「兄上は寛容性が無いから殺したのでは無いですか。


 兄上。私にも独占欲はあります。父上と母上の子ですから。それでも、クセニアが他の男と関係を持っていたとて愛し続ける度量がありました。兄上にはそんなもの無いでしょう。


 それとも、べルティーナを犯したうえで確かめてみましょうか。他の男の手で嬌声をあげて捻転する妻のすっ」


 派手な音が響いた。控えていた奴隷が跳びはね。顔を逸らしている。色は青く、震えも始まった。


 マシディリとて、蹴り飛ばしたいほど怒っていた訳では無い。


 蹴ったら不味いことも分かっていた。蹴った衝撃でリングアがどのような怪我を負うかも、後ろの祭壇が壊れるかも理解している。


 それでも剣を抜くと、すぐにリングアの脇の下、その布を切り裂いた。

 無言だ。その上で立ち上がりかけたリングアの胸に足を乗せ、完全に倒す。


 昔のまま成長すれば、リングアの方が腕が立っていたはずだ。でも、マシディリには殺し合いの経験が豊富にある。戦場の空気に触れた差が、元来の才能の差を凌駕しているのだ。


 リングアの抵抗すら、容赦なく踏み潰せる。


「私が殺すとはこういうことだ、リングア。段階を踏むと思ったか? 言葉をかけると思ったか? 子を喪った親が、孫を喪った祖父母が反撃に出ないと考えているとでも思ったか?


 少なくとも、アレッシア人であれば私に対して私の妻を貶める発言はしなかったはずだ。


 そっくりそのまま言葉を返すよ、リングア。


 異物はどっちだ?


 それとも、規定に嵌めたがるアレッシア人などはいなくて、アレッシア人と言うかっちりとした枠には嵌らない者達こそがアレッシア人を形成していると思うか?」



 剣を、眼前へ。


 足裏から伝わるリングアの呼吸が浅くなった。顔も光ってくる。汗が垂れていくのが見えた。

 手を伸ばして掴めば、マシディリの足を取れるだろうに。震えるだけの手は微塵も上げる気配が無い。


「リングア。私もクイリッタも、命を懸けているんだ。父上だって何度も命を狙われた。それでもなお、アレッシアを良くするために、アレッシアに栄光を繫栄をもたらすために働いていたつもりだよ。


 それを否定するつもりなら、相応の覚悟をまずは見せろ。


 クセニアクセニア言うが、そのクセニアの傍にいたのは誰だ。リングアのオーラは何色だ。


 救えなかったのは、誰だ。


 子が流れたと私の元に話が届いてから、クセニアが死ぬまでには随分と時間があったからね。助けを求める時間ぐらいはあったと思うのは、気のせいかな。


 カナロイアにいるユリアンナでも、ディファ・マルティーマにいる叔母上でも。クイリッタもいたはずだ。


 死んでから騒ぐとは。


 リングア。お前の言葉を借りるなら、リングア自身もウェラテヌスだと言うのなら。

 クセニアの死を利用して文句を言っていると言われても反論できないぞ」


 剣を仕舞い、前髪を掴んで持ち上げ、すごむ。

 次弟の目は激しく揺れていた。息の荒さが音にも表れている。



「私は寛容じゃない。もう一度、べルティーナに何をすると言ったのか、聞いても良いかな」



 ただし、マシディリは追撃をやめなかった。

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