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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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良く知る兄弟 Ⅰ

「怒らないのかい?」

「護衛が少ないことにでも怒れば良いですか?」


 クイリッタが乱暴にため息を吐く。

 どんよりとした灰色の空だ。見るからに重く、厚い。雲の中は蒸し暑そうにも思えるし、びしょ濡れになってしまいそうだとも夢想できてしまうほどの黒さである。


 思えば、先月もこんな空があった。

 その時は白い雪が降り積もり、興奮した様子でヘリアンテが雪でうさぎを作っていた。そのうさぎを是非にとフェリトゥナに見せに行き、触れたフェリトゥナが冷たさで泣き出してしまったのも、記憶に新しい。つられてヘリアンテも泣き出してしまい、大変だったのもマシディリにとっては良い思い出だ。


「むしろ義姉上には怒られなかったのですか?」

「べルティーナと呼んで良いよ。年下、それもユリアンナの親友を義姉とは呼びにくくない?」


 クイリッタが肩を寄せ、高くした。蒼い外套が丸みを帯びるような形となり、曇天と重なって彩度が大きく低下するような錯覚を受ける。


「義姉上を名で呼んで良いなど、兄上が思っている以上に心胆寒からしめる言葉なのですが。用法用量を守ってくれます?」


 クイリッタの青くも見える唇から、白い息がはみ出していった。対照的に鼻の頭は赤いが、いずれも愛弟の見目の麗しさを損ねるモノではない。むしろ、全てを着こなしているようにも思えるほどだ。


「なるほど。クイリッタは、例え兄弟であっても『ディミテラ』と親しく呼ばれるのは心穏やかではない、と」


「いやまあ」

 クイリッタの視線が横にそれた。

「いやまあそうですけど」

 クイリッタの口元が隠れるほどの白い蒸気と一緒に、クイリッタの視線が強い語気と共に戻ってきた。


 マシディリの口元は緩む。反対に、クイリッタの口はますます引き締まっていった。目はどちらかというと吊り上がり、眉も険しく。


「兄弟の中では兄上が一番独占欲が強いと思いますよ。まるで熊のように」


 クイリッタが十本すべての指を曲げ、顔の横に持ってきた。

 熊、なのだろう。双子や子供達もやりそうな仕草だ。


「一番はレピナじゃないかな」

「じゃあ、兄上。義姉上に無理矢理口づけを迫った男がいたら、懐の広さでも見せますか?」


「見せしめにするよ。家門ごとね」

「ほら。で、私はどうしましたっけ?」


「父上も母上も良くは思っていなかったけどね」

「良く思っていないと言えば、ラエテルも遠くにやったことに対して義姉上は母親として思うところもあったのでは?」


 露骨に逸らしてきたな、と苦笑する。

 ただ、マシディリがクイリッタの立場だったら思い出したくもない話だ。最愛の者が、一時的にとはいえ他の男に嫁いだなど。とりかえす前提であっても、我慢ならない話である。


「べルティーナがそんな女性だと思う?」

「外見は違うでしょうね」


「中も、だよ。

 べルティーナはラエテルを信じているし、私が信じているアビィティロにも信頼を置いてくれているからね。何より、長い準備期間があったとはいえ、ままならないことも多かった中、適宜修正を加えて水面下で計画が十全に行くように持って行ってくれたクイリッタにも絶大な信頼をおいているよ」


「一番は兄上でしょうが」

「まあね」

「うわ。しまった。惚気だ」


「良いんだよ、クイリッタも惚気て。エリポスには長く居たもんね」

「兄上達なら大丈夫でしょうが、ウルバーニとかその辺が馬鹿なことをしていないか心配で心配で気が気ではありませんでしたよ」


「それにしては手紙が少なかったね」

「今度は恋人のようにたくさん送りましょうか? 中身のない文章で」

「悪かったって」


 互いに悪戯心のにじむ顔で笑い合う。

 音はあまり立てない。いつもより低い空でも、届くことは無い声だ。それでも、笑みは温かい。


「手紙では匂わせる程度で終わらせたけど、ラエテルをクイリッタに同行させたいのは本当だよ」

「ディファ・マルティーマにはセアデラ。ラエテルはビュザノンテン。これでは、後継者がセアデラであると喧伝してしまうようなモノでは?」


「クイリッタとどう協力していくのか。どれだけ人の意見を聞いて、取捨選択し、実行できるように調整していくのか。それも大事だよ。特に、私の後継者であるならば、クイリッタとの連携は鳥の隊列のように滑らかでないと」


「そう思ってもらえれば良いのですが。私の後継者として見られるかもしれませんよ」

「サテレスを推しちゃえば?」


 クイリッタが渋面を作った。

 ひたすらに濃い灰色の雲と良く合っている、とマシディリは思わず口元が緩む。無論、クイリッタから返ってくるのは呆れたような表情への変化だ。


「アグニッシモに同行させてしまえば良いんじゃないですか?」


「そっちはそっちで試したい人を決めているからね。彼らを押し出してまでラエテルとセアデラを入れる意義は無いかな。それに、作戦開始から少しの間は私が直接指示を飛ばす予定だしね」


「最初と言わず、最後まで見ては?

 兄上がアレッシアに居て、私達が各地で働き、アレッシアに利益をもたらす。兄上が出向かなければならない時は私がアレッシアに残り、兄上を支えていく。

 父上が理想としていた形が、もうすぐそこまで来ていると思うのですが」


「クイリッタのおかげだね」

 マシディリは、素直に目を細めた。

「クイリッタが道を整備してくれたからだよ。本当に良い弟を持って、私は幸せ者さ。妻も可愛いし綺麗だし美しいし、何よりも気高くて誇り高い」


「あーはいはい。そうですねそうですね。アグニッシモも兄上がきちんと関わると思っていると思いますよ」


「適当過ぎない?」

「いや、兄上に付き合ってたら何か月あっても足りませんし、私が真似してディミテラとサテレスを自慢し始めたら嬉々として聞こうとしますし。相手にするだけ無駄だと思いまして」


「私だって傷つくからね?」

「時間は有限ですよ、兄上」


 まったく、と鼻から息を吐きだし、マシディリは両手を小さく上げ、手のひらを上に向けた。鼻から出ていく白い息が、すぐに透明に変わり、空気に溶ける。


 寒い季節だ。

 クイリッタ開けた陶器から出てくる湯気も温かそうだ。そう思えばクイリッタの纏う深い蒼もぬくもりを感じれそうである。


「叔母上はアグニッシモを褒めていたよ。ちゃんとできていたってね。実際、クイリッタも物資には困らなかったでしょ?」


「兄上。物資供給が上手ければ後方支援が全て上手く行くと言うのであれば、ティミドはさぞかし素晴らしい人物だったでしょうね」


 目を閉じ、重心を後ろにやる。

 気持ち的には、半ば諦めだ。


「伯父上、ね」

「無駄に対立を煽るような言動を行い、職務の上下を弁えずに私事を優先する。そのような者に払う敬意があれば、私は汗水流して畑で働く奴隷に敬意を払いたいと思っております」


「立派な心掛けだとは思うけど、伯父は伯父だよ。ティミドの伯父上だって、その後はアレッシアのために一生懸命に働いていたのは知っているでしょ?」

「保身のためでは?」

「クイリッタ」


 こういう男だ。

 長弟のことは良く知っている。マシディリにとって、一番付き合いの長い兄弟なのだ。それも単純に生まれの順番などでは無く、実際に一番長く共に過ごしている弟である。


「クイリッタ。伯父上達を、本人を呼ぶみたいに呼んでみて」


「トリアンフ。プレシーモ。タヴォラドの伯父上。コルドーニ。フィアバの叔母上。クロッチェ様。フィルフィア。ティミド。

 叔母上。ジュラメント。ヴィンド様、も付けておきますか?」


「どっちでも良いけど、次にクイリッタが交渉に行く時はラエテルにも着いて行ってもらうよ」


「兄上も私と同じように伯父上達を思い浮かべれば、私の呼び方に納得していただけるはずだと確信しています」


 クイリッタの手が、とん、と前に出てくる。

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