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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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見栄えの良い食事会 Ⅲ

「兄上に対しては何も言うことはありません。兄上が許されるかどうかを決められるだけのこと。周りから見ても行き過ぎた行為であれば、アグ兄が始末をつけます。


 私が言いたいのは、父上と母上に対して、特に母上に対してスぺ兄も非常に無礼な態度を取った、と文句を付けたかったのです。


 母上がおなかを痛めて産んでくださった子として、私にも文句を付ける権利はあるでしょう? ないなら、今、此処で兄上に許可を求めます」


「お好きなように」


 言って、マシディリは奴隷にりんご酒を頼んだ。

 ベネシーカが目を左右させている。眼力は強くない。眉も波打っているようなモノだ。


「根拠が薄ければ、例え弟であっても考えるからな」


 スペランツァも腰を後ろにやるように椅子に深く腰掛けた。頭が下がった影響で、視線も下から睨みつけるような状態へと変わっている。


「母上が嘆いている、と言い換えておきますね」


 表情は軽く、声質は先ほどと変わらぬ覚悟を持って。

 あえて表情と声音を一致させない手法は、スペランツァも良く使っているやり方だ。


「まあ、スぺ兄もご存知の通り、私は母上について兄上達程知っている訳ではありません。ですが、母上が愛情深い人であったことは良く覚えています。父上だけではなく私達にも良くしてくれました。愛してくれました。私も、今でも母上のことを愛しています」


 セアデラが滔滔と述べた。

 スペランツァの瞬きの回数は、非常に少ない。黒目は固定されているが、セアデラに集中しているだけではないだろう。


「母上は聡明な方だった。私がセルクラウスの当主であることを加味して、セルクラウスの利となる行動をしなければならないのを理解してくださる。感情が許容できないのであれば、それこそ父上が宥めてくれると言う信頼があって動いているだけだ」


「いえ。そのことは別に」


 両の人差し指を真っ直ぐにしたセアデラが、その指を右から左へ、連動させて動かす。

 スペランツァもやりそうな動作だ。


「私の所感なので大分違うかも知れませんが、母上はセルクラウスなんてどうでも良いのではありませんか? むしろ、スぺ兄を奪った家門として悪く思っているかも知れません。逆に言えば、スぺ兄がいる間は目をかけ、やさしくもしてくれる気がしていますね」


「肯定しかしない人物で周りを固める危険性は、父上だけではなく母上も良く理解していた」

「母上ですからね」


 うんうん、とセアデラが頷く。

 スペランツァの瞬きは少ないままだ。じ、とセアデラを凝視し続けている。



「本気を出していないだけ、と言った者に高い評価がつくことが無いことも、父上は言っていたと思います。母上も同感でしょう。本気を出そうともしない者が、いきなり本気なんて出せません。


 同じように、能力があろうとも発揮できていなければ、周囲から見た時にその者に能力が無いのと同じではありませんか?


 私からしてみれば、にわかには信じられませんがリングア兄さんは父上の後継者候補第二位だったそうなので、能力はあるのでしょう。ですが。ええ。『にわかには信じられない』と言ったように、そんな力があるとは思えません。過信も込みで言えば、私の方が上手くやれると思っています。交流を図るなら、ラエテルなら絶対にうまくやっていたでしょう。


 そうなった時に、リングア兄さんには何が残りますか?


 家族であると言う結果だけです。


 家族以外として特別に思うことはありません。家族だからこそ、兄上は周りから見て贔屓していると言われるような態度に終始してしまっているのです」



「答えになっていない。その対応をやめた方が良いのでは、と兄上に進言していただけ。母上への無礼、父上への不敬にどう繋がる?」


「スぺ兄は拗ねていたのでは?」

「は?」


「脅威に思っていた、というのも追加しておきますね」

「あ?」

「セアデラ」

 マシディリの低い声と、スペランツァの威圧が重なる。


 マシディリは、二人の弟が動きを止めたのを確認してから、りんご酒を少し押した。セアデラとスペランツァの間に入るような位置まで移動させる。


「気持ちはありがたく受け取っておくよ、セアデラ。セアデラもまた、私の自慢の弟だよ。父上と母上も誇りに思っている。そう確信しているとも。

 でも、スペランツァも大事な弟だ。そのことを意識して、言葉を選んでくれると嬉しいな」


 失礼いたしました、とセアデラがまずはスペランツァに頭を下げる。同じようにベネシーカにも謝罪した。


「ですが、兄上。私は気持ちとしてはスぺ兄の方が分かります。尤も、スぺ兄からしてみれば、私はリングア兄さんに近いのでしょうが。でも、ゆくゆくはスぺ兄にもっと共感できるようになっていきたいと思っています。

 リングア兄さんの味方は、ちょっと。ええ。ラエテルにもして欲しくありません」


 ぺこり、とセアデラがマシディリに頭を下げた。


「セアデラも私の後継者候補だよ」

 ため息交じりに返す。

 知っております、という返事は、型どおりのモノだ。


「座ってよ、セアデラ。一緒に食事にしようか。

 一人増えるけど、ベネシーカ。良いかい?」


「はい」

「いや、もう兄上が決定しちゃったじゃん」


 慇懃なベネシーカに、いつもの調子に早変わりしたスペランツァ。

 ようやく、セアデラの纏う空気も弛緩した。


「食べたら同じなのに、勿体ないと思っちゃうのが人間だなあって思います」

 早速セアデラが上体を前に倒し、皿をつつき始めた。

 食べない方が勿体ないのに、とも言っている。


「そうだね。あとは、思い思いに食べて欲しいかな。食べていく時の流れも見て、組み込めるなら組み込んでおきたいしね」


 言いながら視線を奴隷達へ。

 料理人達も瞳に真剣な色を宿し、元々伸びていた背筋をさらに引き上げている。


 圧は当然。注目による緊張もしてしまうのが普通のこと。そんな環境でも、弟二人はもちろんのこと、ベネシーカも普段通りに食事を再開した。周囲の所為のこだわりなど無く、どう食べるのが良いか、どこから食べたいかで手を動かしてくれている。


「見栄えも褒美と言いますが、お産の前後で普段通りの食事が取れなくなる義姉上のためだったり?」


 スペランツァの言葉に、あり得そう、とセアデラが乗っかる。

 ベネシーカの困ったような笑みは、如実に同意を示す笑みだ。


「零ではないよ」


 りんご酒の入った陶器の縁をなぞる。肉の匂いは、香草や果物で大分和らいでいた。臭みを消すためだけでは無い。マシディリの細かな指示でも無い。べルティーナのことを考え、料理研究の最中でも気を遣ってくれたのだ。


「ただ、戦場ではやっぱり食べ応えを感じた方が嬉しいだろうからね。私が作ったこれは、べルティーナの体調次第では愛する妻に近づくことすらできなくなってしまうと思うよ」


「兄上が?」


 音が消える。


 三人の手が止まったのだ。控える者達は、もちろん余計な動きは取っていない。何もしなければ肌寒いとすらいえる風と、おだやかな陽光だけが変わらずに降り注いでいる。


「戦場での料理に味の再現性も極上の味覚も求めていないさ。でも、軍団の最高権力者である私が手ずから作り、与える。それは何よりの褒美になるとは思わないかい?」


 我ながら、傲慢な発言だとは思った。

 父だって、それこそフラシ遠征では人の下に着いているのに。もう弟や戦友が許さないからと言って、誰も上に戴かないと言う発言は、危険極まりないものだろう。


「最初の一口は、どうだったかな、スペランツァ」


 美味しいと嬉しいな。


 目を閉じ、微笑む。

 セルクラウス夫妻から感じた頭を下げる気配は、非常に敏捷なモノであった。

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