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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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見栄えの良い食事会 Ⅱ

「そのアビィティロは?」

「順調そのものだよ。元々、マルテレス様と戦っている時にも仲裁を任せていたしね。地盤はあるから、叩き潰すのがはっきりとしているよ」


「フロン・ティリドでも?」

「そうだね。こっちは人質の返還もあるし、そろそろ動きたいところだよ」


 と言っても、北方諸部族の動乱が収まる目途が立ってからにしたい。


 多くの戦線を抱える気も無いのだ。


 じっくりと待って、反抗勢力に味方しなかった部族だけを返したい。そうして、従順であれば約束を守ると見せつけるのだ。同時に、しっかりと食事を摂らせることもかかさない。


 なるほど。

 確かに、フロン・ティリドにいる反抗勢力はフロン・ティリドの在地民だ。アレッシアのような異邦人では無い。が、戦うとなれば、彼らも多量の物資を必要とする。戦地の畑は使えない。略奪も起こる。


 対して、アレッシアは味方には支援を行うのだ。食べて行けるのは、アレッシアに着いた方。


 大層な大義名分も大事であり、士気を上げるのに役立つが、日々の暮らしも大事なこと。日々の暮らしを守り、食わせて上げられるのが誰かと言うのが喧伝されていけば、アレッシアに味方する者も増えると言う計算である。


「一応、財は配っておきます」

 マシディリの当選のために。そう言うことだろう。


「無理はしなくて良いよ。どちらかと言うと、また別の時に使いたいしね。

 フロン・ティリド計略に関しては、執政官にならなくても出来るから」


 もちろん、執政官となって行った方が滞りなく進められるのは事実である。


「兄上と話していると安心いたします」

「急にどうしたの?」

「しっかりと第二第三の策があるので。様々なことを考えておられるのだな、と」


 苦笑しながらも、奴隷にワインを持ってくるようにと指示を出す。

 一応、良い奴を、だ。ただの戯れである。


「アグニッシモだって色々考えているよ。あれだけ政治的な駆け引きが苦手だったのにね。今ではアグニッシモが方面軍を率いること自体は誰も否定しないさ」


「リングアです」


 ぐい、とスペランツァが口を拭った。


 布は力強く折り畳まれ、引き延ばされるようにして長方形に変わる。その状態で机に押し付けられるように置かれた。


「今回の一件で良く分かりました」


「嵌められただけだよ」


「いいえ。十分に考えられたことです。兄上なら引っかからず、兄貴ならうまく利用し、アグニッシモであれば近寄りもしませんでした。しかし、あの男はいとも簡単に引っかかり、兄上の手を煩わせ、兄貴にため息を吐かせております。

 ウェラテヌスを貶めているのはリングアではありませんか」


「血を分けた兄じゃないか」

「果たして誇りが息づいていますか?」


 マシディリの瞬きが止まる。

 瞬時に、頭がスペランツァの言葉の続きを作り上げた。


 父であれば、きっと色仕掛けを利用した側だろう、と。ユリアンナもそうだ。

 フィロラードはすぐに席を立ち、ヴィルフェットはそれならばとウェラテヌスの誰かを召喚する口実に変えたかもしれない。


「今の一瞬が答えです、兄上。リングアを特別扱いするのはおやめください」


「しているつもりは無いよ」

 やさしく、おだやかに。マシディリは、スペランツァに視線を向けた。


 マシディリが太陽の下で干された赤子のための布であるならば、スペランツァの視線は風を伴う冷たい雨である。


「ベネシーカの目を見て言えますか? クロッチェの伯母上に言えますか? カリヨの叔母上にも、同じことを言って説得させられますか?」


「してみせるとも」


「兄上。今一度胸に手を当ててお考え下さい。他の者への対応と、リングアへの対応を。戦場に立てもしない男が、何を受け取っていますか。どうやって生活しているのですか。


 義姉上は、ウェラテヌスのために何度命を懸けられましたか?

 ベネシーカだってセルクラウスの血を繋ぐために三度命を懸けました。


 兄上。リングアは、何度戦場に立ちましたっけ」


「初陣と、アグリコーラの長い午後の二度だね。でも、剣を抜いたのは二桁を優に超えるよ」

「兄上。リングアが、我ら兄弟と同じ功があると?」


 スペランツァの目が見開かれた。充血している。指も、机をかきむしるように白くなあっていた。


(本当は)

 アグリコーラの長い午後に於いてのみを、聞きたかったのだろう。


 それぐらい、分かる。

 スペランツァもマシディリと血の繋がった弟なのだから。


「スペランツァの功績には遠く及ばないよ。それは、確かなことだ。アグリコーラの長い午後だけをとっても、ね。チアーラを連れて逃げたリングアの功を軽んじる訳では無いし、あの場に於いては非常に重要な行動だったさ。大事な役目だ。決して手を抜けないし、人選も誤れない役目だよ。


 でも、スペランツァがイフェメラ様を押しとどめなければ、全てが無に帰していた。

 私が時間を稼ぐこともできなかったし、父上の到着も間に合わなかった。


 アグリコーラの長い午後だけをとっても、スペランツァの功績の方が上。山では、月には届かないようにね」


「でしたらっ」

 そこで、スペランツァの言葉が止まる。

 マシディリは特別な行動はしていない。ベネシーカもだ。


 だから、きっと、これはスペランツァの内側からの声による変化。


「いつもすまないね」


 言えば、愛弟がふるふると首を横に振った。


 ああ、とも思う。

 果たして、先の言葉は気遣いだったのか、と。スペランツァを喜ばせる言葉ではない以上、アグニッシモにするなと言った『顔色をうかがう』言葉では無かったのか、と。


「苛烈すぎる処分は、走り続けることを強要するようなモノだから。特にリングアのような者へは良く考えて行わないといけないとは思わないかい?」


 スペランツァの顔は、やや下がったまま。

 それでも口が開いたのは分かる。


「既にそのようになっています。

 ウェラテヌスは止まれません。今止まってしまえば、落下するだけ。此処まで来た以上、駆け抜けてアレッシアの頂点を取る。そうしなければ、父上が命を懸けて積み上げてきたモノが水泡に帰してしまうのではありませんか」


 その通りだ、と一方では良く分かる。

 恐らく、マシディリが迷うことで余計にリングアの立場が悪くなることも。



「あ、いた」


 場違いなほどに適当なセアデラの声が中庭に届いた。


 足音は聞こえていない。

 正確には、料理を運んでくる時以外に足音は聞こえていなかったのである。つまり、その時から出る機会を覗っていた可能性はあるだろう。


「ディファ・マルティーマに行くことになったので、スぺ兄にも、仕方ないから挨拶しておこうかと思っておりました」


「今日発つのですか?」

 仕方なく、と呟くスペランツァに代わり、ベネシーカがやさしく問いかけた。


「いえ」

「セルクラウス邸に来る機会もあるだろ」

「ぇえぇぇ。遠い」


 セアデラが眉を下げ、肩を落とした。心底嫌そうな声である。

 ただし、セアデラのモノはおふざけの多分に含まれたモノ。対して、スペランツァの無表情には本気がにじみ出ている。少なくとも、マシディリからはそう見えた。


「ディファ・マルティーマには何をしに行かれるのですか?」

 ベネシーカが割って入る。


「権威の掌握に向かいます。これまで本家の人間の不在時に叔母上が仕切っていたのは、父上の妹であったから。ですが、今の当主は兄上。状況も大きく変わっております。

 にわかに動かすことは難しかったのですが、幸いなことにリングア兄さんがやらかしましたので、好機が巡ってきたのです」


「随分と礼を無視するようになったな」

「スぺ兄には及びませんよ」


 呵々とした笑いに子供らしさが押し出されている。

 スペランツァも、口を開くのに一拍空くほどの笑い方だ。


「兄上は諫言を許さないほどに不寛容では無い」


 だから、無礼なのはお前だ。

 言外に残したのは、その言葉だろう。

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