表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
1498/1590

見栄えの良い食事会 Ⅰ

「はえー」


 などと、どこか頭の足りない感嘆の声を漏らしたのは、スペランツァである。

 尤も、意図的にそんな声にしたのだろうが。


「セルクラウスの当主にそんな声を出してもらえるとは嬉しいね。わざわざ作った甲斐があったよ」

 微笑みを並んでいた奴隷にも向ける。


 全員が調理奴隷だ。香を付けた状態で仕事場に入ることを始めとして他の奴隷よりも禁止事項の多い奴隷である。その分、マシディリも自信を持っている奴隷だ。彼らが解放奴隷となる時には人気もある。そして、嬉しいことに多くの者がウェラテヌス邸に残り続ける決断を下してくれているのだ。


「一応、セルクラウスの当主として家にいた時よりも贅沢はしていますが、これだけ見た目も楽しい料理は初めて見ました。過度に派手過ぎないのも、ウェラテヌスらしくがあって非常に良いと思います」


 スペランツァが静かに皿に触れる。

 柄自体はほぼ無地だ。小さく紋様を掘っていたりはするが、白地に凹凸の陰影だけである。


「持って大丈夫だよ。崩すと怒られるけど」

「怒りません」

 マシディリの冗談を、父の頃よりの料理長が半笑いで訂正した。


「ほお」

 スペランツァが皿を持ち上げる。

 隣ではベネシーカも、失礼します、と言って皿を持ち上げていた。


「此処にいる皆は味の違いがしっかりと分かるけど、饗応を受ける人の多くは細かな違いまで分からないからね。代替わりと人員整理が行われただけで、料理してくれる人は変わっていないのに味が変わったと言う人も居るぐらいだし。


 それぐらい客人の味覚が当てにならないのなら、目で楽しんでもらおうかとも思ってね。

 それに、地域による味覚の差があっても素晴らしさは伝わるでしょ?」


 料理長、コユントが頭を下げた。

 口を引き締めたのは、意見を取り入れるために採用した様々な地域出身の奴隷達である。


「兄上は面白いことを考える」

「作ったのは此処にいる皆だよ」


 鈴を手に、一鳴らし。

 五名の奴隷が、鍋と皿を持って中庭にやってきた。


「ちなみに、こっちが戦場でも似たようなことができないかと思った試作品ね」


 てきぱきとした動作で、奴隷がスペランツァとベネシーカの間に料理を盛りつけた。

 もちろん、先の料理に比べれば精密さに劣り、見栄えに欠ける。でも、戦場でこれが出てくれば十分華やかになるだけの彩りがある料理だ。


「これはすぐに食べてくれると嬉しいな」


 そうして、短剣を渡す。

 想定は戦場だ。行儀よく食べられる場所でも無い。


「じゃあ、失礼して」


 言って、スペランツァが中央に鎮座している肉塊を真っ二つに切った。

 あふれ出てくるのは、肉汁。無論、本当に肉汁ばかりではない。肉汁が溢れてくるように見せかけたのだ。偽肉汁を仕込む過程で肉の種類を変えることもでき、階層構造を実現させてもいる。


「部位だけじゃなく、動物も変えられるよ」

「ほーほーほーほー」


 首を上下に動かしながら、スペランツァが自分の分と妻の分を取り分けた。

 ベネシーカも、夫が取り分けのための短剣を置くまで食べるのを待っている。


 そうして、二人が揃って食事を開始した。


 マシディリに対しての遠慮は無い。正確にはベネシーカはこちらを見る瞬間があったものの、止まることは無かった。


 べルティーナである。まだ床払いは終わっていないが、食事会を始める前に「マシディリも基本的にべルティーナとあわせて食事を摂っている」と聞いているのだ。

 基本的に、は言い過ぎだとマシディリは思っているが、余計な気を回さない方が良いと二人に思わせるには十分だったようである。


「そう言えばリングアの子、じゃないんだっけか。流れたらし」

「スペランツァ」

 流石に、気を回さなさすぎである。


「そう珍しい話ではないけど、耳に入れたい話では無いかな。ましてや、ウェラテヌス邸の敷居を跨がせたい話でも無いよ」


 声は低く、表出する感情は排して。


 スペランツァが堪えている様子はないが、中断させた言葉を紡ぎ直すことは無かった。ただ食事道具を置き、口元を拭っている。湖面のような夫の太腿を、ベネシーカが叩いたようなかすかな音がなった。


「リングア、どうします? 精神的な疲弊を理由に戻しますか?」


 スペランツァが何事も無かったかのようである。気にしていない、という言葉がこれ以上似合うこともそうそうないだろう。


 兄への気遣いも、心痛も感じられない。上に立つ者としては、ある意味で正しい態度だ。しかし、冷たさが先行する。見られれば、人は離れていくのは火を見るよりも明らかだ。

 この態度が滲み出ないことを祈るばかりである。


「どちらも珍しい話では無いとは言え、しばらくウェラテヌスとは縁遠い話でもあったからね。特に前者は、ほぼあり得ないと言っても差し支えなかったから」


「前者とは?」


 マシディリは素直に顔をしかめた。

 兄弟の気安さ故の感情の発露である。ベネシーカを安心させるための兄弟間特有の態度という打算もあった。


「リングアの女であっても、身籠っていたのはリングアの子ではない、という話さ」


 一拍、無言の間が流れる。

 スペランツァですら視線を切ってきた。


「マシディリ様は、どう、思われますか? その、あのようなことに、対して」

 不安げな問いかけはベネシーカのモノ。


「実害を伴わなければ良く聞く話でもあるし、クイリッタを始めとして弟達を考えれば明日は我が身かも知れないからね。厳しいことは言わないよ。


 でも、隠すのは駄目だ。


 隠して押し付けるなど、ウェラテヌスを舐めているとしか思えないね。特に、先の戦争で勝ったと吹聴している以上、こちらも相応の態度にでる必要があるよ」


 ベネシーカが息を吐いた。安堵の息にも聞こえる音であり、肩の緩み具合である。


 弟達、と言うが、当のリングアと話題に出したクイリッタを除けば該当者はスペランツァだけ。アグニッシモに女っ気は全くなく、セアデラはまだ成人前だ。


 自然、スペランツァに対して釘を刺した形となるのである。


「相応の見返りが、宗教会議の出席打診、ですか」

 ベネシーカを見た後に、スペランツァが背筋をただした。


「そうだね。そのあたりはデオクシア様と協力していくつもりだけど。アフロポリネイオとしても悪くはない話だよ。私に打診するだけで済むのならね。ただ単にタルキウスとのかかわりを断てば良いだけ。ティツィアーノ様は自ら辞退してくれる。

 そうして、エリポスにいるティツィアーノ様と水面下で繋がろうとするのを私が見て見ぬふりをすることで、三者ともに益を手に入れられると言う訳さ」


 一方的に損を被るのはタルキウス。


 その損を補填する利を、マシディリが執政官となることで提供できると匂わせればタルキウスの票の内半分は手に入れられる算段だ。


 あとは、アスピデアウス関係者の内、パラティゾ周りからの票。ティツィアーノとサジェッツァからの一部。そしてウェラテヌスの全部の票が入れば、当選は固い。

 ウェラテヌスの票を全部手に入れるための手段が、エリポスの宗教会議の出席だ。最高神祇官として、唯一とした態度を取り、エスピラの跡をマシディリが継いだとしっかりと意識させられれば良いのである。


「事実上の弁明のためにアフロポリネイオにも御呼ばれする、と」


「昨年でエリポス情勢も大きく動いたからね。アフロポリネイオがアレッシアの尾を踏んだと見れば、カナロイアやメガロバシラスが色めき立つよ」


 その後にやってくる戦乱は、ドーリスが望むモノ。ドーリスが最も力を発揮でき、存在感を強められる場所なのだ。


 避けるためには、アフロポリネイオがある程度妥協するしかない。

 その説得をするのはデオクシア。損な役回りだが、国家を思う漢であれば動かないと言う選択肢も無いはずだ。


「第三軍団がエリポスに遠征すると言う噂が、此処でも役に立ちますね」


 スペランツァが食事を再開しながら言う。食べたら、と手でベネシーカにも示していた。ベネシーカは、マシディリに小さく謝してから手を動かし始めている。


「冷静に考えたら、アビィティロが北方諸部族に対しての遠征に行っている中では行われないと分かるはずなんだけどね」


 即ち、噂の肥大化および過剰反応は、それだけエリポスが戦乱を意識していると言う証左である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ