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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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秩序 Ⅰ

「『薪を組み直せども、同じ炎は灯らない。されど、同じ役割を果たすことは出来る』」

 

 神託を言い終えた少女が、さっと目を下げた。両手は前に。衣服を握るようにしている。


(当たり前のことと言えば、当たり前のことですね)

 その当たり前を言わざるを得ないほどだと言うのか。


「神は、そう仰せでした」

「そうですか。ありがとうございます」


 少女の耳の赤さを認めつつも、マシディリは見えないことにした。暗がりだ。マシディリの方が暗く、少女が炎の方に居るとしても。それはそれで見えない言い訳にもなろう。だから、見ない。

 心に決めると、マシディリは未だに燃える炎に背を向け、一歩踏み出した。


(変えることはありません)

 義兄であるパラティゾの言葉を思い出す。正確には、それを評した元処女神の巫女にして二人目の妻であるフォンスの言葉だ。


 占いはしないと。祈りはするが、聞くことはしない。


『あのお方は迷っておられるのだと。ですが、それを隠している。これこそが正しいのだと、どっしりと座ることを決断されているのです』


 そして、その姿がアレッシアで格別である建国五門に相応しい、とも評していた。


(進もう)

 それが最善だと思ったのだ。

 それでも神託を求めたのは、背中を押してほしかったと言う弱気にすぎない。


「あのっ」

 年若い処女神の巫女が声を張り上げた。

 足を止め、人受けの好い、それでいてどこか壁のある笑みを浮かべる。


「如何致しましたか?」

 待ち人がいるのは事実だ。

 少し表情を読みにくくすれば、彼女も踏み込みにくくなるはずである。


「マシディリ様の心の内にある最大の憂慮についてお伺いを立てると言うことでしたが、何だったのかお聞きしてもよろしいでしょうか? 奥方様のお産についての神託とは、到底思えず」


 巫女の語尾が消えていく。

 出過ぎた真似だとは理解しているのだろう。顔を下げ、体の正面で自身の指を絡ませて小さくなっている様子からも良く分かる。


 マシディリは、一つ、音を立てずに息を吐いた。

 マシディリとて鈍感では無い。むしろ、勘違いをするほうの人間だと思っている。情念が執念に変わった人間がどうなるかも、近くで見てきた。


(ですが)

 目の前の巫女、ラウラ・ポルニウスは神殿からの推薦で此処に派遣された、将来有望な巫女だ。占いの腕もフォンス・ラクシヌス・アスピエリも褒めている。そのフォンスはシジェロ・トリアヌス引退後に最優の占い師との声も聞こえてくる人物。


 特別に気にかける必要は無いが、信頼関係を築いておいて損は無い。いや、築いておいた方が得が多い人物だ。


「あ、も、申し訳、ございません」

 意図的に黙り続けていれば、巫女が再度謝罪を口にした。

 マシディリは、にゅうわな笑みを浮かべる。


「べルティーナに関しては、無事にお産を終えると信じているから占わなかっただけです。もちろん、心配ですから祈りはします。しかし、神託を預かる必要は無いのですよ」


 妻の名に、最大の愛情をこめて。

 これからもアレッシアとアグリコーラを頼みます、とやさしく、されど事務的に伝え、今度は足を止めなかった。


 勝手知ったる我が家のように、案内を付けずに神殿内を進む。マシディリの後ろに続くのは、アルビタとレグラーレ。守り手や半年交代の神官の視線を感じながら、あえて目をやることは無い。表情を厳しくし過ぎないようにはしつつも、反応を示すような真似はしないのだ。


 そうして、奥の部屋。客人の待つ部屋へとたどり着く。


 流石に扉を開けるのは神殿についている奴隷。


 彼が扉を開け、離れればまずはアルビタが入室する。安全な場所が確保されればマシディリも部屋に入った。芳醇でやわらかい匂いが鼻にやってくる。口内にみずみずしさと甘さを思い出させるこれは、梨の匂いだ。


「連絡を受けた時は、目を疑いましたよ」


 レグラーレは部屋の外に待機。

 部屋で待ち続けていた奴隷が、見栄えを意識した配置で置かれている梨を手に取った。


「大事な話でありますし、ティツィアーノ様の意思をアレッシアに伝播させるためにも高官が赴くのが良いと言う判断は妥当なモノだと信じております」


 自身の目の前に置かれている切り分けられた梨をわざわざ退けてから、ケーラン・タルキウスが立ち上がった。


「タルキウスとしての要望もあってのことではありませんか?」


 奴隷が梨を向く小さな音が、耳に届く。

 マシディリが笑みをたたえているのに対し、ケーランは慇懃な顔。真面目と言えば聞こえは良いが、無表情と言えば印象も悪くなる顔だ。


「ティツィアーノ様はマシディリ様の作戦に条件も無く同意いたしました」


 ティツィアーノに迷いの無い決断をさせてしまったのは、ケーランとミラブルムがいるからだ。


 そのことを理解しているのか、いないのか。


 そこもまた重要だ。

 どちらかと言うと、タルキウスにとって。


「そうかい」


 剥き終わった梨が、マシディリの前に出される。

 ありがとうございます、と微笑みながら言うと、マシディリは短剣を部屋に残させたまま奴隷に退出を促した。微塵も渋ることなく奴隷が出ていく。残った短剣は、アルビタが自分の分の梨を剥くために拾い上げた。


「クイリッタ様の不参加は分かります。ティツィアーノ様も、喉に小骨が刺さった感覚ではありますが、まだ理解も及びます。

 ですが、タルキウスにも求めるとは、戦火を欲しておられるようにも思えてしまうのですが、如何でしょうか」


「私からタルキウスには何の依頼もしていないよ」


 座ろうか、と所作で示し、椅子に腰かける。

 マシディリを待ってからケーランも座った。マシディリが座ってから座る動作に入るまでにアルビタへと視線を向けていたことも、はっきりと観察できている。


「眼中にないと息巻いている若い衆もおります」

 君も若いでしょう、とは、言わず。


「タルキウスは同じ建国五門。家格に優劣はありません。加えて、ティツィアーノ様と異なりルカッチャーノ様は当主。同じように、ティツィアーノ様は父上の軍事命令権の及ぶ範囲にいる高官でしたが、ルカッチャーノ様はほぼ独自と言っても差し支えないの権限を根拠にしていました。

 私から何かを依頼することなど、それこそ慎重に行わねば戦火を望んでいると思われてしまうとは思いませんか?」


「では、ルカッチャーノ様が宗教会議に出席することも認めていただけると?」


「出席に際し、私の意向を伺うとは、それこそタルキウスが望まないように見えませんか?」

 即ち、ウェラテヌスに傅いているように。


 ぐ、とケーランの眉間が険しくなった。目的は分かっている。マシディリから、タルキウスの者の出席を認める言を取りたいのだ。


 認められる者は、当主であるルカッチャーノでなくとも構わない。ルカッチャーノの父であり、引退の身でありながら家中に影響力を誇っているスーペルでも、あるいはケーランなどの若い者でも。


「エリポスのとはいえ、宗教会議ですから。最高神祇官の意向を伺っているだけです」


(さて)

 ルカッチャーノの目的は何か。

 恐らく、交渉力の強化だ。


 タルキウスは武の家門として、積極的に国政の主導を握ることは無かったのである。それが、変わってきた。そして変わると言うことは反発もあると言うこと。特に今のタルキウスは新しいことを続けているだけに、家門の中に敵対派閥を内包している形である。


 その中で必要なのは交渉力。

 練習相手がマシディリであれば、批判をかわしつつも良い経験の場になるはずだ。


 つまり、この時点でルカッチャーノの目的は半分以上達成されていると見るべきだろう。宗教会議の出席に関しては、その先のご褒美に過ぎない。


「最高神祇官としては、アレッシアの宗教で最高の権威としてしっかりと諸国家に知らしめるために単独を望んでいますよ。最高神祇官と言う地位があるのに、別の要因で同格が存在しうるなど、秩序への挑戦であり将来の禍根ではありませんか?」


 だから、ルカッチャーノについてはどうにでもなる。

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