表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
1489/1589

仲睦まじい家族 Ⅰ

 もう少しそっとしておきたかったな、と言う痛みを、無理矢理押し込む。


 いつかは来なければならなかったのだ。それを、どんどん後回しにしていけば動きにくくなるだけのこと。

 そう自分に叱咤すると、マシディリは地面に張り付きそうな足を強引に持ち上げた。


 目の前では農耕具を付けた馬にサテレスが乗っている。その馬の手綱を引くのはクイリッタだ。ディミテラが、二人の傍で日傘をさしながら微笑んでいる。


 奴隷は、少し離れた位置。家族三人が過ごしているおだやかな時間を邪魔しないようにしているようだ。


 ルッコラを収穫したいとの話は既に聞いていたし、ディミテラとサテレスが来た直後に始める予定だったのも聞いている。そして、予定通りに終わったようだ。


 はあ、とため息一つ。

 此処から、父親を仕事の顔に戻すのは申し訳ない。


 そんな罪悪感をおくびにも出さず、マシディリは笑みを浮かべながら右手を挙げた。

 ディミテラがぺこりと頭を下げてくる。美人だ。エリポス一の称号は与えても良い。尤も、世界一はべルティーナだが。


 そんなことを思っていると、サテレスも気づいたのか馬上で頭を下げてくれた。クイリッタは足を止め、奴隷を呼んでいる。


「邪魔して悪いね」

 エリポス語で話しかけながら、奴隷よりも早く三人の元にたどり着く。


 馬から降りようとしたサテレスを押しとどめ、覚えているかい? とやさしく尋ねる。伯父上のことを忘れては叱られてしまいます、とサテレスが屈託なく笑った。幼い日の弟に良く似た、愛らしい笑顔である。


「本来であれば私共の方から出向くべきところ、ご足労をおかけしてしまい申し訳ございません」

 ディミテラが膝を曲げ、体も低くする。


「気にしないでください。気兼ねなく仲良くしてくれていることの方が大事ですから」


 朗らかに返し、ね、と甥に話を振る。

 サテレスも、はい! と元気良く返事をしてくれた。


「似ているね。サテレスの父上も、昔はとても素直だったよ」


 ぐしゃり、と頭を撫でてやれば、しっとりとした感触が伝わってきた。

 大分長い間外で楽しんでいるのだろう。心なしか、馬の呼吸も大きくなっている。


「そこが似ていると言われたのは初めてです」

「サテレスとクイリッタは良く似ているよ。遠くから見ても、すぐにクイリッタとディミテラの子だと分かるほどにね」


「本当ですか?」

「甥にまで嘘はつかないよ」


 隠している訳では無いが喜びの大部分を内に秘めようとしている時の笑い方も、そっくりだ。


「伯父上もサテレスのことが好きですって」

 ディミテラがサテレスに笑う。

 サテレスも楽しそうに笑った。クイリッタは真面目腐った顔をしているが、いつもよりも頬や口元が緩んでいる。


「伯父上にも宝物を見せて来ても良い?」


 サテレスが両親に尋ねた。ディミテラはおだやかに、クイリッタも険なく頷いている。


 すぐに奴隷がやってきた。台が用意され、サテレスが下り、こっちこっち、と元気に、大きく手を振りながら別荘までマシディリを先導してくれている。


「慌てないの」

 そんなディミテラの言葉を受けても、サテレスの歩みはマシディリが早歩きをしなければならないほどの速さで。

 両親を置いて、すぐに別荘に入ってしまった。

 持ってきた箱は、手作りに見える箱だ。どこぞの職人が作った物には見えないが、丁寧な造りである。


(中身は)


「すこしだけ、アレッシア語も、しゃべれるようになりました」

 見るより先に、衝撃がやってきた。

「父上には、ないしょですよ」

 言う様子は、子供のまま。アレッシア語も、十分にアレッシアで育った子供が使うのとそん色ない。


「母上は知っているのかい?」

「母上から、ならっています」


 にへへ、とサテレスが笑う。

 はやく父上の力になりたいのです、と。


「父上は、いつも、いそがしそうです。だから、私が父上の力になって、母上と一緒にすごしてもらいます!」


 そこには、サテレスも必要だ。

 仮面の維持を、特に口角の維持に努めつつ、マシディリはサテレスの頭を撫でる。


「ごめんね」

「いえ。伯父上が一番いそがしいと、父上からきいています。家族のじかん、だいじ!」

「そうだね」


 良い子だ。

 故に、アレッシアに呼びたくなる。故に、アレッシアに呼んではいけないと思う。


 本来であれば、彼こそがクイリッタと共に暮らすべきだと思うし、だからこそ巻き込ませてはならないと言う弟の気持ちも良く分かってしまうのだ。


(ままなりませんね)

 そんなマシディリの葛藤を他所に、じゃーん、とサテレスが宝物を掲げた。


「マティです。父上と、母上と、いっしょにつくりました!」

「綺麗だね」


 マティ。

 それはお守りだ。

 クイリッタは、ディミテラから貰った物を大事にしている。


「伯父上にも、お渡しいたします」


 サテレスの言葉がエリポス語に変わった。

 とん、とマシディリの手に置かれたのは、綺麗な藍色の玉。深い色だ。手触りも非常に良い。


「クイリッタのオーラのようだね」

「青いけど温かいのです」


 むふふ、とサテレスが笑う。

 父上、と屋根の下にやってきたクイリッタにサテレスの意識がすぐに向かっていった。渡せてよかったですね、とディミテラが笑う。クイリッタはぶっきらぼうながらもいつもより分かりやすい愛情をサテレスに向けていた。


「兄上。先に用件を」

 こちらは、アレッシア語。


 大事な話があるみたいよ、とディミテラがサテレスに言い、サテレスも可愛らしく頭を下げ、宝物を丁寧にしまっていった。


「アグニッシモが、訓練の様子を報告しても返事が無いと言っていてね。心配はしていないけど、目を通しているか確認したくて」


「兄上を使者にするとは」


「ついでだよ。私も、可愛い甥を見たかったからね。それに、サテレスが会いたいと言えば子供達を連れてまた来ようとも思っているよ」


 セアデラから遅れること一か月半。

 愛息も、任地から戻ってきたのだ。今は、庭先で弟妹が丹精込めて作った畑を共に世話している。


「副官相当としたのです。問題があれば出向きますが、そうでない場合は報告は不要。もしも軍事命令権保有者が兄上だった場合は、非常に忙しくなるので余計な報告を上げないでいただきたいと後で伝えておきます」


「私から言おうか?」

「兄上。話を聞いていましたか?」

「酷い言い草だね」


 肩を揺らし、マシディリは椅子に座った。

 クイリッタが傍に立つ。


「私のフロン・ティリド遠征程度で凱旋行進が行われた訳だから、父上の功績も当然凱旋式が必要なモノだったとして改めて行うつもりだけど、良いかい?」


 そうなれば、当然エスピラの神格化への流れは弱くなる。

 満足するのだ。多くの者が。それでもと望む者もいれども、多くの者は熱量が小さくなるのである。


「業腹ですが、サジェッツァの狙いでもありましょう。オピーマ派の者の余計な反感を減らすにも、私がいない間に兄上がそうなさるのがよろしいとは思います。そのために、元老院からの打診は『凱旋式』に致しましたから」


「悪いね」


「第一軍団およびその家門は兄上の支持者にしなければなりません。彼らの欲が満たされるのであれば、それもまたウェラテヌスにとって利のあることだと承知しています。どうか、ご心配なさらずに」


「心配なんてしていないよ」


「ま、傲慢に言わせてもらうのであれば、兄上に今は家門の統制と宗教的な権威の確立および権威の流入をしてもらって、代わりに私が元老院を掌握しておくのが最善でしょう。兄上もそのようにお考えでは?」


 さっきよりも、随分と適当な声音でクイリッタがそう言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ