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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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兄弟集結の宴 Ⅲ

「仇は、父を決起に追い込んだ者達であり、増長したオピーマの者達だと思っております」

 クーシフォスの声は少々低く、そして小さくなった。


(そう言うしかないでしょうね)


 政治家としては間違いない発言だ。

 だが、この場はウェラテヌスの兄弟が集まった晩餐会。聞きたいのも、そんな話では無いのである。


 とは言え想定内だ。

 クーシフォスならば、そう言うだろうと見通していたのである。


「殺したのは私であり、弟妹の仇はアグニッシモであり、その責任者は私です」


 此処で、しっかりと視線をフィチリタに向けた。フィチリタの下がりかかっていた顔が、弾かれたように上がる。恐怖の宿る目には、マシディリも胸が痛んだ。初めて見る目だ。怪物を見るかのような、裏切られたと感じているかのような。


「フィチリタ」


 やさしく呼び、幼い頃のように頭を撫でる。


 触れる瞬間にフィチリタの肩が僅かに跳ねた。だが、マシディリの行動を甘んじて受け入れてくれ、三度手が往復するうちに肩の力も抜けていったように見える。


 ぐ、と引き締めた唇を開いたのは、クーシフォス。


「母上は、スィーパスを討ちとってこなかった私にお怒りであり、幼い弟妹達と打ち解けようと毎日話しかけているフィチリタ様に非常に心を許しております。


 私も、一緒にいる機会が短いがために夫婦らしいことは何一つできず、エスピラ様であれば咎められるような、フィチリタ『様』と呼んでしまっております。しかしながら、オピーマに、少なくとも私が当主であり家主となっているオピーマ本流にフィチリタ様を害する気持ちは無く、そのような噂もございません。


 フィチリタ様は、我が家にやってきた小さな太陽です。これを取られてしまうと、オピーマは夜のまま海に出港することになってしまいます」



「失礼いたしました」

 目を閉じ、顎が少し高いまま謝る。


「フィチリタは私にとって可愛い妹。十二も離れていれば、それは子に近い愛しさでもあるのです。もしもフィチリタが泣くようなことがあれば、私はフィチリタを守るために動かせてもらいます。

 父上の模倣や、父上の意思を継ぐとは関係なく。

 フィチリタ・ウェラテヌスの兄として」


「肝に銘じ、これからも歩んで参ります」


 クーシフォスが再度頭を下げる。

 マシディリは手を横に振った。クーシフォスにもしっかりと伝わるように、衣擦れの音もしっかりと立てておく。


「そこまでかしこまらないでください。


 婚約後にもあまり会わせず、婚姻直後にクーシフォスを遠征に連れて行ってしまったのです。まだ互いが理想とする夫婦にも、互いが考えていた一般的な夫婦にもなれていないのは私の責任。私の所為です。


 互いに、まだ互いの兄弟、血縁者に対する思いの方が強くもなっているでしょうが、これから積み上げて行ってもらえれば、と思っただけのこと。私がべルティーナを思うように、とまでは、中々言い切れませんがね」


 父上と母上を見ていたらそうは思わないのですが、どうやら世間一般とは外れているようですので、とマシディリは笑みの質をさらに冗談に寄せた。


 あ、笑いにくい? とアグニッシモが瞬き少なく言う。

 マシディリは眉尻を下げ、肩を多少上げた。視線を、アグニッシモから再び妹夫婦に戻す。


「この先がどうなるかは分かりませんが、クーシフォス様もまずはオピーマの家族を大事に考えてもらって大丈夫ですよ。大変な時期だと言うのは良く分かっていますから」


 ウェラテヌスよりも被害が大きいのも、同様に。


「その上でフィチリタの受け入れ準備やフィチリタの馴染み方に不安が残るのなら、チアーラともよく話し合ってください。チアーラはコウルスの婚約を破棄するつもりは無いようですから。直談判されてしまえば、私も強行しようとは思えません。


 マルテレス様の子供達も大事にする。クーシフォス様と前妻の子供達も蔑ろにしない。その上で、フィチリタが正妻である。


 そのような形が私の理想です。


 そのように全方が丸く収まるようになっていけば、自ずとフィチリタの心もクーシフォス様に寄り添っていきましょう。


 隠さず言えば、難しい時期ではありますからね。

 民衆から見れば私がオピーマ派を糾合した様に見えても、その内実は違います。

 オピーマ派からすれば私やアグニッシモは仇敵に等しく、ウェラテヌス派から見ればオピーマ派は父上を殺した派閥。暗殺未遂もした一派。わだかまりは即座には消えませんから。


 だから、そうですね。

 二人が寄り添おうとしつつも詰め切れない。そのような関係に安堵しているのも事実です。


 二人が寄り添いあうのは、二人を幼い頃から良く知る身としては一切不安に思っていませんでしたが、いきなり仲良くなりすぎるのは、政治的に見て嬉しくはないことでしたから」


 アグニッシモには後で解説しようかな、と思いながら、愛弟をちらりと見やる。

 ある程度の推測を立てているのか、アグニッシモは何度か小さく頷いていた。音は無いが唇も僅かに動いている。


「兄上」

「フィチリタ。困ったら、なんでも言ってよ。私がいない時や私に言いにくいことはべルティーナを頼ってくれたら嬉しいな。

 べルティーナも、義理だけども長姉としての気概はあるし、ユリアンナとの仲も深いからね」


 フィチリタが頷く。


 以後のクーシフォスとフィチリタの距離は、互いを伺い続けるモノはなく自然と、されど離れすぎないようにとは気を付けているような距離になった。


 一緒にいることも多いが、それぞれが話すこともある。されど、例えばフィチリタが座ったままのべルティーナと話に行った時はクーシフォスも蒸し料理や野菜ばかりの場所へと移動しているし、クーシフォスがアグニッシモやセアデラと話している時はフィチリタの皿も味の濃い物が多くなっている。


(ひとまずは、か)


 長弟夫妻を見る。

 クイリッタは、妻の皿や陶器が空になると聞いたり、あるいは少量持っていくなどの気遣いを示していた。ただし、そこまでの会話時間は無い。二人とも別の者と話す時間の方が圧倒的に長いのである。


 あそこは、それで良いのだろう。

 あくまでも配慮の関係だ。

 政略と情で繋がるべきであると言う、正しき姿でもある。


 そう考えると政略的な意味合いの最も強いセルクラウス夫妻は、悋気に寄り過ぎている気もしなくもない。が、ベネシーカとてタヴォラドの孫。タヴォラドはメルアの兄。そう言った面が出ても、納得はできてしまうのだ。


「兄上」

 最初の挨拶以外はあえて声を掛けに行かなかった次弟が、おずおずとやってきた。


「何だい、リングア」

 声は親しく。

 目は向けない。


「その、アフロポリネイオのことだけど」

「どのことだい?」

「アフロポリネイオの」

「そうではなく。アフロポリネイオのどの問題だい?」


 ずきり、と胸の中央が痛んだ。

 でも、大事なことだ。リングアはアレッシアのためには何もしていない。その研究が役立つことはあるだろうが、多くの財を掛けられているくせに各地に愛人を作っているだけと切り取られてもおかしくはない行動ばかりしている。


 無論、リングアはそのような性格ではない。

 だが、事実を繋げて出来る話も同じこと。


「そう言えば、デオクシア様も私に話があるみたいでね。だけど、べルティーナが無事に出産できるまでは半島を離れるつもりは無いよ。本当に。何をこだわっているのか」


「そう、だね。うん。分かったよ」

 リングアが力なく言う。視線も下に。

 意図したことは、きちんと伝わった可能性が高そうだ。


「ルーチェによろしくね」

 言えば、肩を落としたリングアから離れていく。


 べルティーナに視線を向けられなかったのは、リングアに近づけるのが怖いと思ってしまったからであった。

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