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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
1483/1589

理解度

「兄上。母体の心配をする兄上の心は素晴らしいと思いますが、問題なのはそちらではありません」

「そうだね。デオクシア様を引き抜くためにも、抗議の意を示しておかないと」

「兄上」


 クイリッタが前に出てくる。

 マシディリは肩を竦め、分かっているよ、と表情だけで伝えた。


「あの愚弟は何も理解していません」

「庇う言葉かい?」

「処罰を求めているのです」

「そう言うことにしておこうか」

「兄上」


 抗議を意にも介さず、マシディリは深く腰掛けた。

 背もたれに少しばかり体重を預ける。足はやや開き気味で、脱力に近い姿勢だ。


「今のウェラテヌスは問題ばかりだね」

「いつもでは?」


「アフロポリネイオと不要な繋がりを作ったり、ドーリスとの関係改善をさぼったり、ウェラテヌス宗家の決定を逸脱しようとしたように見えたり。アルグレヒトとの関係も悪化させられないよ。どこぞの誰かは、来年に独裁官の設置を目指しているしね。

 そう考えると、夫の身を案じられなかったことを憂いているフィチリタは可愛いものだよ」


「アスピデアウス派を黙らせるためです、兄上。

 ティツィアーノに巨大な権力が行けば、奴らも黙るでしょう? パラティゾは今後も兄上との連携を捨てませんが、ティツィアーノは頻繁に連絡を送っては来ません。


 だからこそ、兄上が独裁官になる。

 その下に私とティツィアーノと、フロン・ティリド方面に赴くアグニッシモにも形式上は同等の権限を与えることでウェラテヌスの覇権を確たるものにしようと思ったのですが」


「性急だね」


「お言葉ですが、先の凱旋行進で兄上は多くの人質を連れて歩きました。これこそがフロン・ティリド編入戦に於ける大きな成果。誰もがマシディリ・ウェラテヌスこそがアレッシアを率いるに相応しいと認めざるを得ない結果です。


 この権威を利用し、一気に盤面を推し進めることこそ大事ではありませんか?


 それこそ、父上は追放から帰ってきてしばらくの間は永世独裁官に留まるだけでした。その間に、支持の高い内に一気に状況を推し進めるべきであったと、今だからこそ思います。今になって思うからこそ、同じ過ちを繰り返すべきではありません」


「その時に推し進めていたら、権力移譲の際にもっと横槍が入っていたかも知れないよ」

「兄上。話の主題は、今、推し進めるべきだと言う話です」


「クイリッタ。独裁官は飛躍しているよ。父上のように、周りに推される形でなるのなら良いとは私も思うよ。でも、自ら望むにはまだ早い。今は何よりも三派の融和が優先だよ。

 そのために私はべルティーナを妻にして、マルテレス様に弟子入りした訳だからね」


「歩み寄る努力をするべきなのはアスピデアウス派です」

 ふん、と鼻を鳴らし、クイリッタが茶を口に運ぶ。


 言うほど激怒している訳では無い。クイリッタも分かっているのだ。だが、感情がウェラテヌスからのこれ以上の歩み寄りを拒否しているのである。


「寛容に行こう、クイリッタ。許して受け入れてこそ勢力を広げられるものだよ。多くを許し、だからこそ、多くが歩み寄ってくれる。何も譲歩するだけが歩み寄りじゃないさ」


「兄上が言うのであれば」


 言うほど、マシディリも心配してはいない。


 クイリッタとウェラテヌスの年とすら言われているが、露骨に平民側の執政官の権力を削った訳では無いのだ。クイリッタの方が頼られることが多いだけ。ティツィアーノとしても、無用な争いを避けるためにはクイリッタに優先的に連絡を行わざるを得ないのである。


 当然、マシディリに用件がある者もクイリッタへと意見するモノだ。


 その状況を打破するには、どうするべきか。


 単純なのは、クイリッタにアレッシアから離れてもらうこと。そのための準備も進んでいるのは知っているし、それを利用してクイリッタが軍事的な成功を収めようとしているのも知っていた。


「バゲータを呼び戻しておくべきだったかな」


 現実的には厳しいのは知っている。マシディリの立場であれば口にすべきではないことも分かっていた。だが、相手はクイリッタ。何かを考えるより先に、音になってしまう。


「ナザイタレが何か?」

「いや、功を焦っているようだったからね。クイリッタの戦い方をしっかりと見てもらおうと思って。フィロラードも連れて行ってよ」


「私が戦争について語ることはほとんど無いと思いますが」

「適格な勝利を得るために、という観点に於いてはクイリッタ程良い人材はいないよ。劇的な勝利も戦場に頼った進め方もしないからね。勝利や英雄と言う病の兆候が見られる人にこそ、クイリッタの傍でクイリッタの戦い方を見てほしいかな」


「ですから」

「身につけられなかったらそこまでの人間。私は使わないだけだよ」


 フィロラードに関してはそのようなことは無いと思うが。


「兄上らしい」

 大きなため息一つ。

 そんな弟に、マシディリも苦笑を浮かべた。


「ウルバーニを起用したクイリッタの方がやさしいかもね」


「御冗談を。そもそも、第二次ハフモニ戦争以前のクエヌレスは北方諸部族の対応を担っていました。プレシーモの伯母上が暴れたせいでいろいろと台無しになってはいますが、ウルバーニとしてはクエヌレスの当主になったと言うことで北方諸部族に当たりたいと願っていたようでしたからね。


 兄上のおっしゃるように、寛容に、認めてやっただけです。

 誰が遅刻するわ父上の戦略を理解できないわ、挙句の果てに明らかに優秀なスピリッテの死の遠因になるわの奴を好き好んで起用するものですか」


 相変わらず口は悪い。

 でも、この我慢しない様子もまたクイリッタの魅力なのだろう。


「フィロラードの他には誰を連れて行きますか?」


 もう一つ、マシディリは微笑む。

 クイリッタが嫌がるように眉を寄せた。


「時期によってはセアデラとラエテルも連れて行ってもらおうかな。相手が北方諸部族になるのなら、テュッレニアまで。エリポスになるのならディファ・マルティーマかディティキまで」


「多分、エリポスになりますよ。アスピデアウス派の連中はタルキウスの機嫌を大事にし始めましたから」

「そうかい」


 ウェラテヌス派が、数の減ったオピーマ派を糾合したところで、アスピデアウス派がタルキウスと手を組めば数の利はどちらにあるとも言えなくなるのだ。


 此処で大事なのは、ふらふら揺れる数合わせの元老院議員。

 彼らが賛同するかが大事であり、同時に彼らの顔色を窺わないことも大事である。


「ラエテルとセアデラは何時頃帰ってくる予定ですか?」


「正直、もう通訳はヴィルフェットとスペランツァで良いからね。一応、ニベヌレスとセルクラウスの関係という点でも二人の動きに差をつけておきたいと言うのもあるし。


 だから、夏かな。

 夏休みに入ったら、戻ってきてもらうよ。それまでに運河の開削や来年に向けた開墾、街の建設もセアデラとラエテルにやってもらうつもりだしね」


 まずは後方支援の手伝いから。

 それは、マシディリ自身の経験を活かした教育法だ。


 もちろん、戦術で敵に勝つことも大事である。戦略を練らねば勝ちが何かが分からない。

 だが、そもそも軍団を動かせるようになるには後方支援こそが大事なのだ。食糧が無ければ戦えず、水が無ければ生きていけない。物資も集められなくなる。

 戦いとは、起こした段階でほぼほぼ勝利を手中に収めている状態が最善なのだ。


 そのことを徹底的に理解し、無意識でも考慮できるように最初の強烈な経験に後方支援をねじ込みたいとの親心である。


「戦略的な要所がどこなのか。何を守れば負けないのか。ラエテルやセアデラでも分かるところから叩き込まねばならないとはさぞかしお疲れだったと思います」


 第九軍団、特にヘグリイス、ペディタ、バゲータ、あるいはノルドロまで同格と見ての発言かも知れない。少なくとも、フィロラードはその中に入っているだろう。


「育てるのも仕事だからね」


 改めて、これだけの高官を送り出した上に信頼性としても確立されている伝令部隊を育て上げた父はすごいと、兄弟は認識を共有した。

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