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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
1482/1588

両親の背を見て

「幸いなことに今は仕事を分散できているからね。融通が利きやすいとも言うよ」


 いきなり直接聞き出そうとはしない。

 ゆるりと、ソルディアンナの勉強を見ながら解きほぐしていくだけだ。


「そうね」

 短い言葉。


「できるならもっと早くやって欲しかったって」

 ソルディアンナが言う。

 べルティーナは何も言わない。


「でもね、父上の仕事はいつも多いよねって兄上が手紙で言っていたよ」

 今度は耳打ちだ。


「まあ、最終決定は私がしないとだからね」

 責任の所在を明らかにするためにも。


 エリポス計略はユリアンナ。フロン・ティリドはヴィルフェットを通じてアグニッシモにも噛ませている。プラントゥム方面はスペランツァ。総本山たるアレッシア元老院はクイリッタが取り仕切っている。


 血縁以外で行けば、フラシ・ハフモニはファリチェ、民会はアルモニア。オピーマ派計略にはルカンダニエも噛んでいるし、半島内の元敵対部族の融和にはアピスやパライナを使っている。


「それに、フィロラードとアルムの実力を把握しておきたいし、アルグレヒトとの関係も強くしていかないといけないからね」


 祖母アプロウォーネはアルグレヒトの娘だ。その祖母の面影を最も色濃く受け継いだのが母メルアである。


 祖母は、アルグレヒトの者にも良く気に入られていたようで、祖父もアルグレヒトに多くの利を分けてきた。その理由も、厭らしいモノではなく、祖母との婚姻を認めてくれたお礼に近いモノ。祖母を深く愛していたからこその行動だ。そして、アルグレヒトの長老格にとっては、メルアは可愛い孫のような存在であり、孝行ものの姪のような存在になっていた。


 当然、その配偶者であり名門ウェラテヌスの最後の男児であった父も、アルグレヒトにとっては大事な存在である。


 マシディリ達とて母の子だ。大事な存在でもあるが、三代も経過すればある程度関係性は希薄になってきてしまう。シニストラとの関係も、父だからこそ。


 故に、以後も維持されるにはレピナとフィロラードの婚姻が、特にレピナが他のアルグレヒトから支持されるかは非常に重要なのである。


「そうね」

 今度の息は、腹の底にしっかりと据えるようなモノ。

 愛妻が座り直したような気配が感じ取れた。


「レピナさんだけではなく、フィチリタさんにも手助けが必要なの」

「フィチリタに?」


 それは、意外だ。

 いや、意外でも無いか。

 マルテレス・オピーマを持っていったのはエスピラ・ウェラテヌスである。それは、アレッシアでは周知の事実だ。


 他にも、ディーリー・レンド、インテケルン・グライエト、オプティマ・ヘルニウスとマルテレス門下生の最上位層に位置する実力者を最も討ち取ったのはマシディリである。

 クーシフォスの弟妹を最も多く屠ったのはアグニッシモだ。


 オピーマ派以外で最もオピーマ派を起用し、マルテレス門下生を最も近くに置いているのもマシディリではあるが、恨みも深くて当然である。ならば、フィチリタに対する嫌がらせも起こりうることなのだ。


「多分、マシディリさんが考えているようなことでは無いわ」

「まだ何も言っていないよ」

「あなたのことだから、どうせ「フィチリタの方が大事だから家に帰って来い」とか言うつもりだったのでしょう?」


 あながち、間違ってはいない。

 愛妻の呆れたようなため息に、今度はやさしさと誇らしさが混じっていた。


「良い夫だね」

「ソルディアンナ」

「はーい」


 おこられちゃった、と愛娘が楽しそうに小さくなる。

 子供達にとってもいじって良い母親となったのは、少々申し訳なくも思うところだ。


「フィチリタに何が?」

 それでも、口は先を急ぐ。目もべルティーナへ。

 べルティーナも、顔に真剣な色を宿したまま肩の力を抜き始めた。


「落ち込んでいるの」

「何に」


「フィチリタさん、この四か月の間、クーシフォスさんの心配よりもマシディリさんの心配をしてしまっていたのですって。それで、夫の心配ができないなんて、と気負ってしまったみたいよ」


「母上ばかり見て来たからね」

 ソルディアンナが楽しそうに言う。


「そこは言わなくて良いの」

「私はいいたいなー」

「ソルディアンナ」

「はーい」


 にまにま、とソルディアンナがまたしてもマシディリを見た後に、翻訳作業に戻っていく。


「まあ、母上も父上のことが大好きでしたからね。流石に私でも、私がべルティーナを愛している気持ちの方が大きいとは言い切れないほどに。多分、互角だとは思っていますが」


「マシディリさん」

「本心だよ」

 もうっ、と愛妻がそっぽを向く。


「結婚して、すぐに戦場に連れて行ってしまったからね。情を育む間も無かったから仕方ないことだとは思うけど。そうだね。私の責任でもあるし、一言入れておくよ」


「本当は私で解決できれば良かったのだけど。ユリアンナさんならうまくやれたのかしら」


「人の心はすぐには変われないからね。仕方ないよ」

 それに、と表情をよりやわらかく、やさしくする。

「ユリアンナにはユリアンナの。べルティーナにはべルティーナの良さがあるから」


「母上の方がお尻もお胸も大きいよ」

「そう言うことじゃないけどね」


 ただ、出るところが出ているのはべルティーナだ。その大きさも、素晴らしい均整であり美しいと評するのが正しいと思えるモノ。筋肉もしっかりとあるのだから、マシディリとしても自分の好みの真ん中なのか、べルティーナがそうだから好みがそうなったのかが分からない。


「旦那様」

 ソルディアンナの乳母が、申し訳なさそうに入ってきた。


「クイリッタ様が、執政官がお待ちです、と。皆が気にされています」

「皆が、か。なら、いかないとね」


 ソルディアンナの頭をまた撫でてから、立ち上がる。ひまわりの匂いが遠くなってしまった。ソルディアンナも、悲しい、と言いながらも引き止めはしてこない。大事なことだと分かっているのだろう。


 その足で、まずはべルティーナの下に。


「引き止めてほしそうね」


 口づけ、一つ。

 引き止めてくれるかい? と離れながら顔を傾ける。


「いってらっしゃい」

 残念ながら、妻は許してはくれなかった。代わりに、もう一度。今度はもっと濃厚に口づけを交わすことだけは許される。


(残念)

 感情を隠し、外へ。


 愛妻には微細な漏れが見つかっただろうが、他には分からないはずだ。移動の途中で「おやつ!」と客人が帰ったことを別方向で喜ぶヘリアンテを確認しながら、応接室へ。



「クイリッタとウェラテヌスの年と最早呼ばれている執政官を此処まで待たせられるのは、兄上くらいですよ」


 最初に飛んできたのは、自虐。

 応接室では、クイリッタが空の二杯を残したまま、三杯目の茶を楽しんでいた。


「最近の客人はクイリッタが用意した人達でしょ?」

「そうとも言いますが、そうでないとも言います」

「私を忙しくさせて何のつもりだい?」


「被庇護者の土地に関する問答はウェラテヌスの急拡大に伴って起こりうる話です。と言っても、私も見通しが甘かったのですが。その中でフロン・ティリド編入戦の指揮を求めたのは申し訳ないと思っております」


 執政官が躊躇いなく頭を下げる。

 マシディリはこれみよがしにため息を吐いて、対面にどかりと座った。奴隷がすぐに茶を差し出してくる。その後に、素早く引いて行った。


 部屋に残るのは、クイリッタとマシディリだけ。アルビタも部屋の外へ。


「緊急とは何の案件だい?」

「あの馬鹿が、厄介な女を孕ませたかもしれません」

「クイリッタ」


「失礼。リングアが、アフロポリネイオに現地妻を持って子供をこさえたのではないかと、ディミテラ伝手に連絡がありました。相手は大神官長の娘だそうで。今年で十六歳だそうですよ」


「際々だね」

 幾らアレッシアでも、十五歳以下の出産はほとんど例がない。

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