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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
1481/1589

おだやかな毒

 優遇した結果、何かに直結するかと言えば、否である。

 そんな人物が、ひっきりなしにウェラテヌス邸を訪れて来ていた。


「勿体ないですね」

 残された一人分のドライフルーツとチーズの小鉢を見て、こぼす。


 マシディリの前には無い。同じものを食べ続けてはいられないからだ。それでも客人には出しているのだから、相手も遠慮があるのか、緊張で口に出来ていないのか。口から出てきている言葉が本当であれば食べきれるはずだとは思いつつも、そんな者の方が少ない。


「食べても、良い?」

「一度、他の方に出たので良ければ」


 肩の力を抜きながらアルビタに返す。アルビタは、不器用に笑うと小鉢に手を付けた。


「アルビタがいて本当に助かりました」

「お安い御用」


 小鉢の中身をアルビタがぺろりと食べきる。

 もう何個目かは分からない。昨日一昨日と考えれば、帰った時に食事は摂れないかも知れないほど食べている。


「無駄な時間?」

「気持ちはありがたく受け取っておくに限りますよ。処罰するだけでは味方は増えませんから」


 どちらかと言うと、自分自身に確かめるように。

 果たして本当に役に立つのかは分からない。だが、些細なことは気にしない態度も大事だ。執政官選挙に出るのなら、なおさら相手が恩を感じるように動いた方が良い。


「旦那様」

 珍しく慌ただしい足音と共に家内奴隷の声が駆け込んできた。


「クイリッタ様が可及的速やかにお会いしたい、とやってきております」

「クイリッタが?」

「はい。許可をいただくまで家の外でお待ちすると仰せで」


 それは慌てる訳だ、とマシディリは思った。

 が、事の真相はそう単純ではないらしい。


「奥方様も、お会いしたい様子でした」

「べルティーナが」


 べルティーナが素直に漏らす可能性は低い。そもそも、家内奴隷の言葉通りの甘い話では無いはずだ。ならば、求めているのはどちらかと言えば子供達か。


「残りの方は、基本的にお帰りいただくように言っておいてください。クイリッタも例外ではありませんが、執政官ですからね。別途、部屋も準備しておきましょうか」


 お帰りいただくように、とは言っているが、実際に告げるのは待っても構わないと言う話になる。ただし、奴隷はマシディリの意を汲み、基本は帰るべきだと言う伝え方をしてくれるはずだ。


(通るべきではないかな)


 そう思い、どれだけの人が残っているのかは確認しない。近くの通路を通った時に、「おやつ、おやつ」と不安げに言いながらつま先立ちを繰り返すヘリアンテを見たぐらいだ。自分の分が減ってしまうとでも考えているのだろう。


「お待たせいたしました」

「父上!」

「お待たせ」

 椅子に深く腰掛けている愛妻に声をかけた後、ソルディアンナに返事をする。


 他の妊婦に比べて大きくならないおなかにも大分見慣れてきた。手紙では、今回になってソルディアンナも心配し出したとのことだが、今は気にした様子も無い。ぐぬぐぬ言いながら、マフソレイオの言葉で書かれた農業書をアレッシア語に翻訳している。


「リクレスは?」

「さっきお友達が迎えに来てたわよ」

「そうですか」


 常に(ヘリアンテ)と一緒にいる印象が強かったが、子供達にも外の繋がりはある。当然のことだ。だが、マシディリの頭から抜け落ちていたのも事実である。年齢の近い被庇護者の子供達と一緒に学ぶこともあるが、そうだ。それとは関係無い友達がいるのも、普通のことである。


「心配せずとも元気そうよ」

 愛妻の手がマシディリの腕を掴む。


「べルティーナがいるからね。何も心配していないよ」

 マシディリもやさしく愛妻の腕を掴み、顔を寄せた。


 数秒の接触は朝以来であるのだが、もっともっと時間が空いたような気がしてしまう。


「私は元気がでないよ」

 ぐでのん、とソルディアンナが机にのびる。

 おおおおお、と洞窟の奥から吹く風のような声は、とても少女の口から漏れるような音では無かった。


(どれ)

 腕は最後まで絡ませながらも愛妻から離れ、愛娘の手元を見る。


 昨日やっていた場所からはかなり進んでいるようだ。もちろん、ソルディアンナの勉強はこれだけでは無い。家庭教師がいないことから、それらもしっかりとこなしてあるはずだ。その上でならば、十分だと言っても誰も文句は言わないだろう。


「ちちうえ、たすけてー」

「ソルディアンナ」


 マシディリが是と返す前に、べルティーナの凛とした声が入ってきた。

 流石に、遮って口を開くことは出来ない声である。


「マシディリさんは忙しいの。困ったことがあれば先生か私に聞きなさいって言ったでしょ?」

「えー、でもぉ」


「あら。なら、貴女が双方が納得のいく仕置きを行って、挨拶に来ている方々の応対もしながら人質の皆さんの面倒も見るのかしら?」

「母上きびしーいー」


 頬を膨らませながらもソルディアンナが背筋を伸ばした。

 書物は自分の方へ引き寄せているし、葦ペンも握り直している。


「どこが分からないの?」

「父上!」


 背中からはべルティーナの呆れと諦めのため息が聞こえてくる。


 これではまるでべルティーナが悪者だ。そのことに対して申し訳ない気持ちは抱きつつも、愛妻が察してくれたように子供達との時間はマシディリにとっても癒される時間である。


 あのねあのね、と身を寄せてくる様子などは、明日からも頑張ろう、今日も良く頑張った、と誇れるほどだ。


「川がはんらんすれば土が富むのは分かったけど、この本の内容をうのみにして無駄に川をはんらんさせて土地の境界をあやふやにする手法も流行ると思うの。だから、あまり複製しないほうが良いかなって思うのだけど、父上はどう思う?」


 今まさに、ほっこりの堤防が決壊し、氾濫した川が穏やかな心地を押し流していった。

 内容も内容である。いや、そこを除けば、要するにこの翻訳作業をやめてしまいたいと言う我が儘にもなるだろう。だが、言っていることは子供らしからぬ鋭さだ。


(それとも子供だからこそ、かな)


 ラエテルにもはっとさせられることはある。そう考えれば、ウェラテヌスは安泰だ。それもこれも、子供達の素質のおかげでもあり家庭教師のおかげでもあり、何よりも愛妻のおかげである。


「父上の仕事増えちゃうよ」


 しょんぼりと愛娘が顔を下げる。マシディリの心に、再び穏やかさが芽吹いてきた。


「そうだね。出回らせるわけにはいかないかな。ソルディアンナの可愛い字を見せたくもないからね」

「もー、父上ったら」


 ぺし、とソルディアンナが腕を叩いてくる。

 ふんすふんすとしながら、再び翻訳作業に、マシディリからも紙が見えるように位置を変えながら戻っていった。


「私の夫なのだけど」

「とらないよー」

「私が取り戻せないとでも?」

「ぉぉ」


 にまにまとした顔で、ソルディアンナがマシディリを見上げてきた。

 言ったのは、べルティーナである。それでも見上げてくるのは良かったね、的な意味合いだ。


「べルティーナ程素敵な女性はいないからね」

 ソルディアンナの頭を、少し強めに撫でる。愛娘は再び顔を下ろして翻訳作業に、口元を緩めながらも、戻っていった。


「父上と母上はいつも仲良し」

「そしていつまでも、ね」

「もうっ」


 振り返れば、耳の赤い愛妻が見えるのだろうか。

 想像だけで口角を緩ませながら、マシディリは隣に座る愛娘を温かく見守る。


「そう言えばレピナさん。またフィロラードさんに厳しいことを言ってしまったそうよ」

「レピナから?」

 聞いたのかい? と。


「ええ。兄上の戦略を理解していないって。素直に褒められなかったみたいよ。だから、近々皆さんを呼んで晩餐会を開きたいのだけど、大丈夫かしら?」


 皆さん、とはウェラテヌスの弟妹ならびにその配偶者のことだ。

 その場でフィロラードを素直に褒めることが出来るような機会を設けるつもりらしい。


「べルティーナが立てた予定に全てを合わせるよ」

「それはあまり良くないと思うのだけど」

「どこも空いていないからね。苦肉の策さ」

「そう」


 いつもの愛妻なら労いの言葉が飛んでくるのだが、今回は歯切れが悪い。


 こういう時は、何か頼みたいことがある時だ。忙しいのに、という罪悪感が愛妻の心と口を重くしているのである。

 他の、例えば愛情が冷えてきたなどの可能性は微塵も考えず、マシディリは心の中でそのように断定した

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