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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
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勝ち過ぎは負けと変わらない Ⅱ

「勘違いも甚だしいようなので言わせてもらいますが」

 スペンレセが、棘のある低い声を出した。注目が一気にスペンレセに集まる。


「決定権はマシディリ様にしかない。何かを言おうが思おうが勝手だが、高官であるならば兵士に対してマシディリ様の方針を説明し、説得させられねばならないはずだ。


 違えるな。


 勝手に言って我が儘が押し通ると思っているのなら、エスピラ様に対して支援を行わなかった元老院と何も変わらない。エスピラ様はそれでも何とかされたが、何とかすると言う状況にさせてはいけないはずだ」



 スペンレセの呼吸はいつもよりもやや荒く、視線の行き先は誰もいない。鋭い視線を誰にも向けないためだ。腕の筋肉の陰影もいつもよりはっきりと見える。


「別に、その、破談にさせようとか、そのようなつもりは一切無くて、ですね」

 バゲータの声が机の上に垂れていく。


 体の向きと目の動きは、明確にマシディリに対して述べていると告げていた。体の前にやってきている彼自身の手も、指を隠すような動きも完全に気持ちを表している。


 その指が、跳ねるように強く握りしめられた。

 若干の空気の冷えだ。向けられたのはマシディリに対してでは無い。フィロラードへ。アグニッシモから、フィロラードへの視線だ。睨むような視線である。ただし、口を開く気配も無く、フィロラードも唇を巻き込むようにして背筋をさらに伸ばすのみ。


「フィロラードは、どこまで行ってもアルグレヒトだよ。アグニッシモとは少しだけ違うかな」


 業務的に、しかし信頼を滲ませた声で。

 マシディリの気持ちを察してくれたのか、アグニッシモの視線がフィロラードから外れていく。


「クイリッタに似てきたね」

「兄貴? 兄貴は、ちょっと」


 アグニッシモが肩を落とし、うげえ、と眉を波打たせた。

 ポタティエ、コパガ、ユンバが苦笑をこぼす。リベラリスもまず口元を緩め、その口元を手で隠しながら視線を逸らした。


「兄貴に伝えておくね」

「ヴィルフェット」

「はーい」

 二人の親しいやり取りは三歳差だからこそのモノ。


 二十八歳になるアグニッシモと、二十五歳になるヴィルフェット。

 なるほど。エスピラとマシディリになぞらえれば、フロン・ティリド遠征の以後は任せても十分だ。あるいは、今後の者のために二人が遠征を率いる年齢を遅らせるのもありかも知れない。


 べルティーナが気にしないで良いと言っているが、どうしてもラエテルの頭にはマシディリの年齢が片隅にあるようなのだから。優秀と言われている者でもその地位に昇れるかは運が絡むことを示すのも、大事なことだろう。


(三十四)

 夏を迎えればなる、自身の年齢だ。


 そうか。来年、二度目の執政官を目指すのはありかも知れない。随分と早い年齢ではあるが、二度目の執政官の最少年齢としてはマルテレスが三十の年になっている。一つの明確な基準になるし、クイリッタからの政策を地続きで進めることだって可能だ。


 何より、エリポスで潰されるマシディリの支持基盤になり得た都市の補填も、執政官となることで可能になってくる。挽回をするとも諸外国に見せることができ、マシディリ以外から攻撃を受けても、一年もすればマシディリが止めに入れると、これまた基準を提示できるのだ。


「人質は多めに要求いたしましょう。そして、人質の数によって食糧の供給を行うとも伝えておきます。食糧は、アレッシア軍と一緒に人質になる者達が手渡すように演出しましょうか」


 誰のおかげか、というのを印象付けるのだ。

 そうして、人質のことを切り捨てにくく、即ちアレッシアを裏切りにくくする。


 全員で無くとも構わない。裏切りにくい者、アレッシアに着いた方が、と思う者がいれば良い。それが部族が生き残るための打算であっても十分だ。


「物資は、どこから持ってくるおつもりでしょうか」

 リベラリスの言葉はただの確認だけではなく、略奪などの今後の手柄を得られると言う気持ちを無くさせるための質問でもあるのだろう。


「第七軍団を一時帰国させます。スィーパス次第では第二軍団も撤退。その余剰物資を回すつもりですし、カルド島からも運び込もうかと」


「五か年計画以上に使っちゃうの?」

 アグニッシモが小さく言う。


「それだけの物資を私は動かせる。そう思わせた方が得かなと思ってね」

「なるほど」

 アグニッシモが大きく頷いた。


「リベラリスとパライナは秋までは此処に残って、冬の前にアングロムまで退いてください」

「アングロムまで?」

「アングロムまで」

 ペディタの言葉に対し、速度を落として繰り返す。


「今の我らの根拠地よりも下がるのですか?」


「もちろん、維持はしたいと思っていますが、基本的には奪われれば取り返せば良いと言う考えでいてください。確かにアングロムは敵騎兵を壊滅させた地よりも西、アレッシアの支配領域に近い場所にあります。


 ですが、今もなお裏切りによっては敵地に閉じ込められる状態。

 今年はすぐに終わらせる予定なのでそれも有りとしましたが、今後の計画を遂行するにあたって大事なのは支配体制の確立です。


 地盤をしっかりと固める。そのために、フロン・ティリド南部を切り取る。

 その線は西はアングロム。東はルイヨン。そこの直線距離を抑えようと思っています。


 ですので、ルイヨンにはヴィルフェットに入り、ヘグリイスはその中間点、コンコディーレに駐屯してください。


 ノルドロ様はルイヨンとクルムクシュの間に広がるように。半島との連絡路の維持を頼みます。ペディタ様は西側、今回の進軍路に従ってアングロムから広く、テルマディニの港までを。テルマディニには海軍も入れておきますので、ご安心ください」


「ルイヨンからクルムクシュ、と言うことは、両ウルブスにも兵を残すと言う認識でよろしいでしょうか」


 質問者はノルドロ。

 地図がしっかりと頭に入っているらしい。


「そうなりますね。

 マールバラの山越えに従軍していた者の証言では山脈の部族がルイヨンまで下りてくることは無かったそうですが、あり得ないとも限りませんから。その場合は、ヴィルフェットはすぐに引くように。ノルドロ様は退いたヴィルフェットを受け入れる準備も願います。


 ルイヨンは、今回の遠征で兵を入れた訳ではありません。

 昨年の調略と、フィルノルド様やスペランツァがマルテレス様から逃げる際に使っただけの場所。田畑の無事と物資の豊富さは今年のフロン・ティリドでも有数になりますが、不安定さも否めません。無理はしないように」


「かしこまりました」

 ヴィルフェットとノルドロの声が重なる。

 建国五門、ニベヌレスとナレティクスの二人だ。姿勢も、とてもよく見える。


「大事なのはこだわることではなく、少し得も手に入れたと言う事実。

 アレッシアへの抵抗勢力は既に出来ています。これからも攻撃があるでしょう。大事なのは、彼らに手を出させ、アレッシアが攻撃すると言う大義名分を得ること。その際にアレッシアの被害を最小限にすること。


 今回の成果は要りません。

 辺境の地での出来事。鮮やかな勝利以外は話題にならないでしょう。


 それで構いません。

 それこそが欲しいのです。


 実利は時を経て手にしていけば良い。一度失った命はもう取り戻せない。だからこそ、慎重に。

 六割の勝ちで良いと肝に銘じてください。私は、それこそを評価します。長期的な視線に立てない十割の勝ちなど、評価を下げることになります。


 良いですね」



 ちょっと扱いが子供過ぎたか、と思いつつ。

 マシディリは、背筋を伸ばしてアグニッシモを見る。


「アグニッシモ。難しい場面で悪いけど、戦意十分で遊撃戦も存分に行ってくるであろう勢力との戦いを任せるよ」


「任せて! 

 折角兄上が難しい最初の印象付けをやってくれたから、こなしてみせるよ!」


 力強く胸を叩くアグニッシモに頷き、スペンレセ、リベラリス、ヴィルフェットを見る。


「三人とも、良く相談してね」

「はい! みんなとも良く相談します」


 とは言ってもアグニッシモも帰還組。

 クイリッタからの凱旋式の打診を、凱旋行進ならと遠慮を見せ、マシディリは第七軍団やアグニッシモ、クーシフォスと共にアレッシアに帰還した。

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