合わせ板
「人払いをお願いします」
ラエテルが背筋を伸ばし、ぴょこ、と告げる。
「はい。かしこまりました」
レグラーレもラエテルに視線を合わせ、マシディリに対するよりも慇懃に返事をしている。
子供の可愛い頼みと見えたのだろうか。子ども扱いを気取られぬようにと慇懃になったのだろうか。
(どちらでも良いのですが)
護衛のアルビタには告げずにいるあたり、ラエテルもある程度分かっているようである。
「父上」
レグラーレが外に出た後、ラエテルが近づいてきた。声量は少し落ちているが、表情は前と変わらず。
「アフロポリネイオのデオクシア様から接触がありました」
「デオクシア様から?」
「はい」
ラエテルが腰帯を外す。
短剣も抜き、小さく動かせば閉じていた糸が外れたのか、腰帯が裂けるように二つに割れた。そこから細長い木片が現れる。柔軟性のある木だ。腐りやすさがあるため、文章の長期保存には向かない木でもある。
「ウェラテヌスの当主は父上です、と返してあります」
木片に書かれている文字は、『こちらに交渉の用意あり』の短い言葉。
(デオクシア様は)
「先の交渉が弱腰であったとして、デオクシア様は非難に晒されていると聞いています。デオクシア様の行動理由が分かっている者も、大神官長の睨みや国民の声が怖くて黙っていると。最初は叔父上に接触を図ったそうなのですが、そちらも漏れて大変な騒ぎになったと聞きました」
思わず目が丸くなる。
無論、動きは最小限に抑えた。抑えたが、抑えるための労力、思考で反応までに少しだけ遅れが出てしまう。
「良く、調べ上げていたね」
「父上と母上の子供ですから」
ふんす、とラエテルが胸を張る。
よくやった、と破顔し、マシディリは木片を机の上に置いた。
「リングアへの接触について詰問する文章を送っておくよ。同じ方法を使った手紙をユリアンナにも送っておくしね。ラエテルも、一度目を通しておいてくれるね」
「がんばります」
硬い表情でラエテルが頷く。
意図をしっかりと理解してくれたらしい。
正直、デオクシアの孤立はマシディリにとっては望むところだ。あの男自体は手に入れたいが、アフロポリネイオに残られては厄介なのである。
ならばこそ、祖国で孤立しアレッシアに逃げ込んでくる形が、マシディリにとって最も都合の良い展開になってくるのだ。
「あ、あと、エリポスで言えば元老院がティツィアーノの伯父上の作戦行動を認可しちゃった」
開いた腰帯から、今度は二枚のパピルス紙が現れる。
筆跡から見るに、アルモニアの字だ。そしてアルモニアが判断に迷うと言うことは、クイリッタは元老院の決定に賛同している可能性が非常に高い。
「なるほど」
マシディリの眉も、険しくなる。
ティツィアーノの攻撃対象となっている一帯は、消極的ながらもマシディリとの連携を持とうとしていた街々だ。その部族に対し、アレッシア軍を封鎖しようとしている、という建前での攻撃を仕掛けると言う命令書である。
彼らの近くにいるのは、ドーリスだ。
ドーリスとしてはそこがアレッシアに寝返られると面子に関わってくる。だからこそマシディリも慎重になっていた面はあるが、今回後ろにいるのは誰なのか。
「叔父上は、父上に伺いを立てるようなことでも無い、と言っていました」
ラエテルの顎は引かれ気味で、肘は軽く曲がり腰の近くの布を握っている。
恐らく、ラエテルが直接クイリッタと話したのだろう。その上でクイリッタはマシディリへの連絡を意図的に断った。
「聞かなかったことにしようかな」
パピルス紙を裏返す。
「父上?」
「私が聞いていない方が良いとクイリッタが判断したからね。なら、そうしておくよ」
「でも、父上。母上が知れば母上も父上に手紙で伝えてくると思うよ」
「その時に改めて手紙を出すよ。大丈夫。此処まで情報が届いて、此処からアレッシアに情報を送ってエリポスまで到達するには時間がかかりすぎるからね。ティツィアーノ様が本当に攻略するつもりなら、十分すぎる時間が経った後になるよ」
「良いのですか?」
「他が攻撃されるよりはまだ良いかな。あとは、こちからの干渉を理由にフロン・ティリドへ干渉を強められたくないと言うのもあるね。それに、ティツィアーノ様の足も重くなっているようだから。元老院議員による画策もある以上、息抜きが此処で済むのならまだ被害は最小限だよ」
物資輸送の観点から、軍事命令権が無くともエリポスに展開する軍団の命運を握ることは厳しくはなる。あるいは、そのために標的にされてしまったのかも知れない。
元老院議員の不満が溜まりすぎるよりは何倍も良いのだ。犠牲がエリポス人だけで済むのも、まあ、アレッシア人に及ぶよりは良い。
「父上の威信の低下に繋がりませんか?」
「じゃあ、ラエテルはどうすれば威信が低下しないと思う?」
「えと」
きゅきゅ、とラエテルの指がこすり合わされた。
眼球も思案するように動く。
「ティツィアーノの伯父上とクイリッタの叔父上が父上の下に謝罪に来る、とか?」
「そうだね。エリポス方面の軍事命令権保有者と執政官がこの件について私に説明に来れば、二人より上に私がいるようにも見えるからね。結局のところ、私と交渉するしかないとなると思うよ」
他には、と目を向ける。
セアデラもいた方が良かったか、と思い出したのはこの時。今は後継者について決まっていないのだから、同じことを問うべきだっただろうか、と思ったのである。
「エリポスもアレッシア人も、伯父上達の行動を止めるために父上に連絡をつけようとすることと、その動きが皆に見えること?」
「それも良いね」
「密かに、子供達と若手の有力者を避難させておく?」
「時期を見計らうのが大変だけど、ラエテルがやってみるかい?」
ラエテルの口は一瞬丸く。顎はあがり、首は見えるようになった。
でも、本当にすぐその瞬間は終わり、力強く顎を引いた状態になる。
「がんばります」
「本職は此の地に於ける通訳さ。まずはそっちをしっかりと完遂してくれたら言うことは無いよ」
話しは終わった。
マシディリはそう判断し、体勢を少し変える。
「父上」
その変化を、ラエテルは目敏く捉えたらしい。
「父上は叔父上を信用しているんだよね?」
真剣で少し臆病な声だ。
(ラエテルは)
クイリッタに叱られたことはほとんど無い。むしろ、遊びに行っていたこともあるくらいだ。仲は良いと言えるし、他の子供達に比べて『怖い叔父』と思っている節は無いはずである。
「もちろん信じているよ。ティツィアーノ様も、軍事的には私の腹心とも言えるしね」
うん、とラエテルが頷く。
「でも、父上の腹心の二人が協力しているようには思えなくて」
「それは正しいかもね」
口を閉ざしたままのラエテルが、マシディリを真っ直ぐに見てくる。
口を開く気配はない。ただ、目で雄弁に語っているようだ。
「ラエテル。二人の仲は悪いよ。互いに思うところがあるからね。
でも、二人ともアレッシアのために働いている人だ。互いの実力もしっかりと認めているからね。よくある政争にはならないさ。
それよりも大事なのは、フロン・ティリドへの介入だよ」
「あう」
ラエテルが頭を後ろにそらす。
行動はまだ幼い。が、小さい時より弟妹の前で兄として振舞ってきていた反動ならば、非常にかわいいモノだ。
「フロン・ティリドの民は情報統制下で生きて来たからね。彼らにとって大事なのは日々の生活。それを崩してまで知恵を得る必要は無いと思っている者達も多いはずだよ。
そこを突こうか。
生活を維持できるのは誰か。畑の無事を確約できるのは誰か。より収穫量を多くできるのは、どこか。
最後のは時間をかけた駄目押しにしかならないけど、目の前の利益で釣れば民の調略は済むはずだから。ラエテルとセアデラはそこもやってみてくれると嬉しいな」
「がんばります」
父上も、とラエテルが口にする。
「リヒウーター族制圧戦を頑張ってください」
「もちろん。吉報をもって帰ってくるよ」
ぽんぽん、と愛息の頭に手を置く。
気持ち良さそうに目を細める様子は、幼い時と何も変わらない。それでも、手の位置は随分と高くなっていた。




