機動と泰然で以て Ⅲ
今回の騎兵襲撃に於いて、マシディリが徹底していたことがいくつかある。
その内の一つが、軽装歩兵との連動だ。
最初の戦いでアグニッシモに歩兵を率いさせたのも、印象付ける目的もあってのこと。騎兵に歩兵が付き従う形では機動力は落ちるが対応力は跳ね上がるのだ。
だから、不自然な話ではない。
連合軍が騎兵を集中して運用すれば追いつけると考えるのも、その通りだ。
そして、騎兵だけになれば対応力がやや劣ることになる。特に、山間部では。
マシディリが戦場に選んだのは、おあつらえ向きに二つの森林地帯がある場所。その真ん中に川が通っており、川の水を引く形で畑が開墾されている地だ。此処では、幾ら大軍を率いようとも隊列が長く伸びることを避けられない。
では、どう誘い込むか。
集落である。
大き目な集落を襲い、慌てて逃げるのだ。腐りかけの捨てる食糧だけを乱雑に残し、それでもなおフロン・ティリド連合軍最大の集落の方へと動くのである。無論、痕跡も多く残した。
距離。進路。時間。
全てを考慮すれば、勢いに乗る騎兵がその道を通るのが最善であるかのように。上手く行けば脇腹を付けるとも考えるように。
無論、後方にも兵は残した。殿だ。下手をすれば敵本隊とやり合うことになるのは、ヴィルフェットの二千。アスキルを除けば、最大の兵数を誇る高官である。
「ギボデイラにて、敵先鋒を発見いたしました」
最大限敵に見えないように迂回しても、連絡手段は光だ。すぐにマシディリの下に伝わってくる。
「アスキル」
「行ってまいります」
すぐに十数名のイパリオン騎兵が、ギボデイラ方面へ向けて南下した。
偵察兵の体であり、事実偵察兵である。同時に、残った者達は馬の糞尿などもまき散らし、少しでも呼び寄せられる確率を上げた。
休憩を、装いたいのである。
ギボデイラから決戦想定地、森林地帯に挟まれた道までは四キロ。それまでは右側だけに森が広がり、わざわざ渡河をしないから広がらないだけ。
故に、まずはしっかりと敵を誘い込まねばならない。
接敵後、勇猛な偵察兵が鏑矢を放ち、アスキルも少数ずつの兵を偵察に追加し、足止めを展開しようとしながらも撤退する者達に加わる。この時に、戦利品の一部を落とすのも忘れなかった。
遅れて、奥からはオーラを打ち上げる。
別に、何の合図でも無い。ただ敵に撤退と誤認させれば十分だ。
「音が大きくなってきましたね」
ノルドロが握る拳の指を動かしながら言う。肘は折り曲げられ、胸の前だ。
「その恐怖は、忘れてはいけませんよ」
静かに告げ、革手袋を腰に戻す。
「恐怖などっ」
「兵であれば恐怖が無くても構いませんが、兵を率いたいのであれば恐怖にも人一倍敏感でなければなりませんから」
ノルドロに告げ、大木の後ろへ。
音と砂ぼこりが徐々に大きくなってきた。
真っ先にやってくるのは、見覚えのあるイパリオン騎兵。弓を手に、後背騎射で敵をけん制しながらもひたすらに逃げている。その後ろにいるのが、筋骨隆々な半裸の男達だ。ズボンなるモノを履いているため、上半身と違い下半身は足首の近くまでしっかりと覆われている。均一な焼け具合は常に半裸であることが多い証明でもあり、焦げた金色の髪は少し離れたところからでも良く見えるだろう。
勇猛な兵達だ。
先頭の者は歯すら見える。
死をも恐れていないとすらいえる勢いは、歴戦のイパリオン騎兵を囮にして良かったと思える者。事実、森にいるにも関わらず楽団の者達は楽器を握る手が強くなっていた。視線も下側で固定されている。
対して、プラントゥム以来の狂兵は余裕を醸しだしていた。
ノルドロは唇を巻き込み、盾を握りしめ、それでも両の足でしっかりと立っている。部隊の先頭、背中を見せるのを忘れてはいない在り方だ。
「さて」
最高速度だ。
敵は、随分と近づいてきた。長く伸びている。
このままではイパリオン騎兵が追いつかれるのも時間の問題だ。そう思えてしまうほど、相手は勢いづいていた。
「頃合いですかね」
合図、一つ。
紅い光に従って、森の両側からスコルピオの射出音が鳴り響いた。
「ぶるぅもぉあっ」
敵後方より、一斉に馬が嘶いた。
落馬する者も居る。先頭集団でも振り返った者が出てきた。
「かかれ!」
イパリオンの言葉と共に、アスキルが騎兵を率いて飛び出した。逃げていた五十余名が真っ先に反転して切り込みを開始する。
勇猛同士の戦いだ。
その後ろでイパリオン騎兵を援護すべく盾を構えて駆け出したのは、フィロラードの率いている歴戦のアルグレヒトの兵。
危険な役割だ。
同時に、勝敗を決める最重要な戦いである。
(とは言え)
昔は、敵連合軍はスコルピオのことを知らなかった。だから勇猛に攻め込み、そして屍の山を築く結果となっている。
だが、今は違う。スコルピオを知っている。
故に、射出音に恐怖する。
惨状がよみがえる。前に出過ぎては危険だと思ってしまう。手綱を握る手に力が籠り、馬の制御を失うのだ。
即ち、フィロラードが挫かなければならないのは最初に突撃してきている一部の兵。
「ノルドロ様。音楽を」
「はいっ」
少々裏返った声と共に、ノルドロが旗下に指示を出した。
すぐに演奏が始まる。マシディリが聞けば、この前と変わらない音が出ていた。
無論、造詣の深い者が聞けばどうかは分からない。
それこそ、ラエテルならば何か違いを理解したかもしれない音だ。
でも、今は必要ない。
マシディリ程度の耳で良い。
敵もそうなのだから。
あくまでも、この音と共に、アレッシア兵が湧き出したと思ってもらえればそれで良い。
視覚だけではなく、耳の記憶として。しっかりと印象に残れば良いのだ。
敵右翼から東方諸部族からの援軍が。
敵左翼を崩していく形でバゲータ隊が。
敵右翼後方よりパライナ隊が退路をふさぐ形で現れ、リベラリス隊が高所よりスコルピオを降り注ぐ。
大事なのは、東方諸部族の部隊をスコルピオの射出とは逆方向に配置すること。様々な人種がアレッシアの下に居ると思わせるのが必要なのだ。
そうして一方的に叩きのめしつつ、敵兵は逃がす。止めもさすが、情報も持ち帰ってもらわないと困るのだ。
だから、捕虜になろうかと悩んでいる者は先んじて殺す。
必死に逃げさせる。
ただし、降伏が早かった者は受け入れた。
「フィロラードに伝令。追撃して良いよ。
それからヴィルフェットに使者を。状況次第では、まずはアスキル様にもうひと働きしてもらいますとも伝えておきましょう」
あっけない勝利だ。
だからこそ、本隊では無かった可能性もある。
恐怖度合いと知識によって敵を分断していたし、数も多かった。だが、本隊と断言するのも怖い。もしもこれが本隊ではなく、撤退も偽装で、ヴィルフェットに対してさらに上回る数で潰しに来て挟撃されるのが最悪の展開だ。
「杞憂でしたね」
結果は、ヴィルフェットの隊は百名程度の小部隊とかちあっただけ。
戦い自体は何事もなく終わり、周囲の状況確認も終了する。
「各捕虜に、こちらには講和の用意があることを伝えてきてもらいましょう。対象は各部族。
アレッシアは素晴らしい英断には厚遇で以て返す、と。
そのためにも、まずは連合軍に参加している者達を呼び戻してはくれないか、とね。処遇は任せるよ。そこまで口出しするつもりは無いさ」
「え?」
ノルドロが口を丸くする。
フィロラードも、少しばかり不服そうだ。
「統治にかかる手間を考えるなら、各部族の中に強力な味方を作っておいた方が都合が良いということでしょう。
情報統制を続ければ、どうしても特権意識が強くなり、失いたくない気持ちも強くなります。特に連合軍に参加した者は勇敢な者であり、部族に残った者は腰抜け。そう見えるのなら、先を見る目があったとしたい。
そのためにも、軍団を率いた者達が失脚するのは自己保身のために都合が良い。
そのように思考させるためだと愚考いたしました」
ヴィルフェットが目を閉じて言う。
フィロラードは、なるほど、と言った表情に変わったが、ノルドロはやはり不服そうだ。地図をなぞる目からも滲み出ている。このまま大転回し、敵を包囲した方が良いのに、と。
手ではある。
が、圧倒的な兵数差は無い。しかも敵地。
目的を考慮しても、マシディリにとって危険の方が大きな作戦だ。
「敵軍の首脳部の顔ぶれが変わる前に、リヒウーター族制圧戦の準備に入りましょうか」
リベラリスが言う。
リヒウーター族は、敵諸部族連合最大の部族だ。蛇行する川が走る平野を本拠地に構える、食糧および物資輸送に於いて他の部族を圧倒している集団である。
「そうですね。まずは、プラントゥム方面の様子を聞いてから決定しますが、遠征の最終段階に入りましょうか」
方針を決めれば、すぐに指示を出す。
此処に残るのはリベラリスとヴィルフェット、アスキルだ。戦略戦術政治工作全てにおいて高い水準の部隊である。
「そのためにも、根拠地を確保しないとですね」
そうして、翌日。
マシディリは餌に使った集落を攻め落とし、アレッシアの陣地へと改造したのだった。




