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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十七章
1472/1589

機動と泰然で以て Ⅱ

「スィーパスが東進を開始いたしました」


 そのまま、とマシディリは右手を小さく動かし、スペンレセとヴィルフェットに伝えた。

 フィロラードも意図をくみ取ったのだろう。アスキルも頭を下げている。


「数と振り分けは?」

 声は、レグラーレへ。


「先鋒衆二万。大将はイエネーオス。そのイエネーオスの先鋒はオグルノ。スィーパス自身はアレッシアからの者を中心に六千の兵を率いて中団。ヒュントが五千を率いて後団となるようです。

 また、スクトゥム様の方面にはヘステイラとメルカトル双方の側近衆が派遣されました。兵力としてはアゲラータに一万を預けたそうで」


 ちなみに、とレグラーレが声量を落とす。唇も動かなくなった。顔も下がり気味になれば、マシディリ以外からは口の動きが読み取れなくなる。


「釣りは整備された港で行われ続けております。今は、新たに大きな壺を一つ与えられたそうで、水も十分に溜まっているとのこと」


 分かりやすいが、読み取られることは無いだろう。

 ソリエンスがグランディ・ロッホに残っていると言う話だ。しかも、一千の兵が与えられているらしい。


「アゲラータに預けてしまうあたり、スィーパスだね」


 フィラエの処刑。それを推し進めたのは苛烈な性格のアゲラータだ。


 マシディリがフィラエだけを遇し、フィラエの兵を無事に返し、フィラエにだけ講和案を預けたとはいえ、流石にそろそろ無実だと気づいてもおかしくはない時期である。


「ヴィルフェット。どう思う?」


 少し声を張り、従弟に尋ねた。

 従弟もマシディリの方へと近づいてくる。


「私がスィーパスの立場に居ましたら、ヘステイラの派閥を一気に消し去りメルカトル側の者達ばかりに致しました。そうしないのは、ヘステイラ側の方が優秀なのか、何かに迷うような状況なのか、本当に見えていないのか。

 西方を調略合戦と見極めたまでは良かったのですが、それにしては話者同士の連携にも話者と軍事力の連携にも不安があります」


「どっちつかずってことですよね!」


 フィロラードがマシディリに対してか、大きな声をあげた。

 マシディリは優しく頷く。ヴィルフェットもフィロラードを受け流すような鷹揚さで頷いた。


「アゲラータの厚遇が罪の意識の共有なのか、信頼なのか。弱みを握られたと意識してしまったのか。あるいは、全てか。


 いずれにせよ、アゲラータの戦力は決戦でしか役に立ちません。そして、アゲラータでは勝ち切るのは厳しいでしょう。

 交渉だけで解決するのなら、ヒュントを送るのが適任。そうはせずに自身の後ろに回したのは自己保身と自信の喪失の表れ。


 そう解釈するのであれば、今回の東進で兄上が方針を変える必要はありません。兄上の計画通り、まずはテラノイズ様。テラノイズ様にもしもがあればメクウリオ様が救援に赴き、ピオリオーネにて防衛に努める。


 海上が我らのモノである以上、兄上のその策で問題ないかと愚考いたしました」


「流石だね、ヴィルフェット」


 同じ意見で。

 そして、付け足すのならソリエンスに与えた一千は、イエネーオス自身が自分の思い通りになる勢力を欲しているから。


 レグラーレがそれとなく置いて行った木片を手の中に隠しながら、口を開く。


「このまま連合軍と戦おうか。

 後方への襲撃を無視しても良かったし、連合軍を解散して近くの部族同士で結束して戦う選択肢もあった。全てを無視してこちらに決戦を挑んでも良かったわけだしね。

 それでも、彼らは騎兵を集結させて襲撃部隊を叩くことを選んだわけだ。これこそ神の思し召し。好機を逃しては運命の女神の教えに反してしまうからね」


 農民五割。鍬二割。臨時給金割り増しで。

 アレッシア語で書かれたこれは、ソリエンスからの伝言だろう。


「僅か一戦で優位をモノにしたと知った時にスィーパスがどう動くか見ものですね」


 スペンレセが言って、スィーパスに対する議論は終わる。


 膨れ上がり続ける大軍勢の東進だ。普通ならば、もっと騒ぎになっただろう。目の前の連合軍と挟み撃ちの形になれば、手元にいる軍団では心許ないのも事実である。


 でも、問題ない。

 フィラエ隊からアゲラータ隊に移された兵からも、スィーパスの装備状況は伝わってきているのだ。誇張やただの悪意も含まれているだろうが、良質な鉄器は全て高官に渡り、自分達は粗悪な武器しか渡されていないとも聞いている。


 フィラエが裏切り者として処刑され、裏切り者であると貫き通したいのなら、その部隊兵がいじめられるのは想像に難くない。特にフィラエを処刑したアゲラータ隊からであれば悪意もより苛烈になるだろう。捕虜時の待遇の差もある。


(こちらは、ゆっくりと崩すとして)

 目の前の連合軍は素早く崩壊させる。


 マシディリは、アグニッシモ、クーシフォス、アスキルを呼び寄せ、攻撃を二日停止した後に行動を再開させた。


 変更した命令は攻撃対象の変更。打撃を与えるための作戦から、略奪と放火を優先するようにと言う感情を大きく揺さぶるための攻撃へ。


 しかも、狙うのは連合軍の組閣とアレッシアへの攻撃に積極的だった部族だ。騎兵を多く出しているところも狙う。彼らの面子を潰し、より、攻撃に傾くように。そのための攻撃である。


 同時に、調略に成功したとのうわさも敵へ流した。事実、不戦までは取りつけている部族だ。露見したからと言ってすぐにマシディリに救援を求めに来たし、マシディリも第七軍団からヒブリットとコパガ、ポタティエの隊を動かすとともにアグニッシモも向かわせた。


 これで、連合軍が数的有利が決定的となる。

 少し遅れてクーシフォスが帰還するような動作を見せた。手元に残っている軍団でマシディリも合流するかのように動く。敵本隊もマシディリの本隊に釣られるように南下を始めた。


 両軍ともに万を数える大軍である。

 自ずと、戦場は限られてしまうのだ。


 だからこそ、その後方、やや遠くでアスキルの隊が敵の物見に見つかったことが役に立つ。


 連合軍本隊を自軍へと引き寄せるのが狙いでは無いか、と。真の目的はアスキル隊による攻撃。イパリオン騎兵による、遊牧民族ならではの長駆機動。


 即ち、敵連合軍中核集落への大規模な攻撃、あるいは生産力の低下だ。


 なるほど。あり得ない作戦ではない。


 アスキルらが見つかった場所は、まだ開けた場所が続いているとは言い難い場所だ。しかしながら、そこを抜ければ湿地も無く、地面の高低もさほどなく、騎馬を駆って一気に突き抜けることができる。そうなれば、誰も追いつけないだろう。


 その上、アレッシアも占領を見据えた攻撃ではなく憎悪を煽るような攻撃に切り替えているのだ。ならば長駆を行かせ、打撃を与えたのちに威信を下げ、連合軍を空中分解させる手を使うこともあり得る。


 何よりも、フロン・ティリドの諸部族は情報統制をしてきた部族。そうして民に余計な不安を与えずに安定した生活を維持しようとしてきた者達。


 裏を返せば、支配階級が安定して君臨し続けられる政体。そう。自身の威信が低下せず、民が余計な情報に触れない限りは。


 今のままでは、それが、覆される。


 その不安があれば、敵は動く。


 恐怖によって突き動かされる。用意した騎兵の数がアスキルの隊よりも多いのだから、やってしまえと気が大きくもなる。


「敵騎兵が離脱いたしました」


 夜。

 レグラーレからの報告を、マシディリは山中で受け取った。

 傍にいるのはプラントゥム以来の狂兵一千と、ノルドロが父ジャンパオロから預かった楽団含む百五十の兵。


「緊張していますか?」

 静かにペリースを羽織り、神牛の革手袋を左手に嵌めながら、ノルドロに問う。


「いえ。あ、や、はい。緊張しています。ですが、将来的には此処ではなく、スペンレセ様のように敵の本隊とにらみ合うような役回りを任されるような漢になりたいと思っております」


「上々」

 マシディリは目を細め、一つの集落を攻めている兵に攻撃の中止を命じた。

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