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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十六章
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兄弟の距離 Ⅱ

「サテレスはエステリアロスであり、ディミテラに新たに渡した姓もアステリアロスです。ですが、周囲から見ればウェラテヌスに近い存在であるのも事実。当主である兄上が望むのなら、私が拒絶することはございません」


「そういうのは望んでいないよ、クイリッタ」


 慇懃な弟に、ため息を混ぜて返す。

 クイリッタの空気は元老院で意見を奏上する時のままだ。


「お言葉ですが兄上。我々の間には明確な上下関係が存在します。そこを明らかにせねばなりません。ウェラテヌス派が上手く行っていたのは、父上と言う絶対的な頭に誰も並ぶことは無く、並べられることも無く、父上と言う頭に従う手足と言う集団だったからこそ。


 兄上。その中で兄上は特別ではありましたが、手足の一つに過ぎませんでした。


 今は、違います。

 今は兄上が頭です。


 そして、その父上ですら元老院に縛られ、命を落としました。


 此処は、変えないと。変えねばなりません。変えなければ同じ手を使われます。そして、兄上も元老院からの命令を受け入れてしまうでしょう。


 それではいけないのです!

 それでは、何時まで経っても変わりません!


 そのためには、兄上。兄上には絶対的な頭になってもらわねばならないのです。無論、私如きの意見が兄上の意思を捻じ曲げることは許されざること。そうあらねばならないのです」



「なるほど」


 静かに、一つ。


 告げると、マシディリは重心をやや後ろに下げた。


 クイリッタの手も横に戻る。顎は引かれたまま。膝はマシディリの方に向いており、恐らくつま先もそうであろう。外は静かで、冷えた空気は変わらない。それでも肌寒くはない。


 やおらに、マシディリは口を開いた。



「要するに、マシディリ『様』と言うことかな」


 声音は、父を真似て。


 クイリッタの口が薄く開き、何も言わず、やがて、きゅ、と引き締まる。

 マシディリは何も言わずにクイリッタを見続けた。クイリッタの視線は、やや下である。マシディリの視線と合っている訳では無い。だが、マシディリの体のどこかは映している。眉間には皺が寄っており、それは憤怒ではなく苦悩に近いモノだ。


 結論を出すのはクイリッタ。

 故に、黙っていようかとも思ったが、マシディリとてクイリッタを苦しませたい訳では無い。



「私は、何も寛容性を示すためだけに許そうとしている訳では無いよ。同じになりたくない気持ちもあるからさ。たった一つの失敗を、執拗に突いてこき下ろすような輩とね。


 それに、明確な差を示したいのさ。さっきも言ったけど、アレッシアを売る者が最も許されざる者としないといけないからね。


 最後に、私は父上そのものになりたい訳では無いし、父上になれる訳でもないけど、父上の跡を継ぎたいとは思っているよ。そのためには自分とは違う意見も耳に入れておきたいからね。それこそ、クイリッタやユリアンナの意見は貴重だよ。


 一緒じゃなくて良い。

 私は、父上の神格化には反対し続ける。それでもクイリッタは進めようとすれば良い。


 それでも私がクイリッタを誰よりも重用すれば、完全に意見が一致しなくとも、違う意見を持っていても能力があれば使われると言う一因になるとは思わないかい?」


 人の皮が擦れる音が聞こえそうな程、クイリッタの拳が変色した。


「重用だよ、クイリッタ。あくまでも重用だ。私が頭。クイリッタが手足。どちらかと言うと腰帯かな。衣服を留め、武具を下げる。いざという時には武器にもなる。


 使う側は私だ。それは変わらない。


 でもね、クイリッタ。私達は兄弟だ。父上が持ちえなかった弟だよ、クイリッタ」


「私は、昔から、そうやって兄上の人の好い部分が嫌いでもありました」

「嫌い『でも』、ね」


「ああ、もうっ!」

 クイリッタが片手で髪をぐちゃぐちゃにする。


 いつもは整えられている髪が、数本跳ね散らかった。これもこれで映えるのだから、顔が良いのはやはり大きな得である。


「後程、私は私の血筋がウェラテヌスの当主となることを放棄する誓紙を提出いたします。余程のことが無い限りはしないと。今はセアデラとラエテルがいて、両者ともに優れた資質が見える以上は余計なことはするべきでは無いとも誓わせておきましょう。

 それで、良いですね。

 父上は神とさせていただきますからね」


「神に愛されていたのは確かである。そこで、止めさせてもらうよ。息子として、最高神祇官の権力を存分に使ってね」


「望むところだ」

 クイリッタが鼻で笑う。

 表情は、すっかりと自信に満ちたいつもの顔だ。


「クイリッタ」

 やさしい笑顔で名を呼び、マシディリも表情を引き締めながら背筋を伸ばした。


「はい」

 クイリッタも神妙な声で応えてくれる。




「私が上に立つ」


「存じております」




「元老院は残す。私も元老院に従うような形をとる。でも、決定者は私だ。東方諸部族、西方、フロン・ティリド、プラントゥム。遠隔で反乱もあり、行くのにも財がかかる地域をウェラテヌスが負担すると言う名目で元老院から巨大な権力を引き出し、ゆっくりと押さえつける。


 あくまでも、元老院は残して。元老院は生きた状態で、私こそがアレッシアの権力を握る。


 対抗なんていない世界さ。クイリッタ。

 今やアレッシアの敵はアレッシア内部からしか発生しえない。ならば、内部分裂を防ぐ。


 そう言う世界を、私は理想としているよ」


「尽力いたします。

 必ずや、王とは違う形で、兄上が頂点に立たれる国家にするために」


 右の拳を顔の前に持ち上げる。

 クイリッタも応じるように拳を作った。


 力強く、押し合う。

 兄弟にとっては、何よりも硬い合図であった。

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