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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十六章
1466/1589

兄弟の距離 Ⅰ

「おめでとうございます」

 まずは、と言った調子でクイリッタが目を閉じた。


「ありがとう」

 マシディリは、心からの笑みで返す。クイリッタの表情はほとんど変わらない。


「べルティーナも、口にはしないけど安心したようだからね。本当に良かったよ」

「次はどちらですか?」

「ラエテルが言うには女の子みたいだね」

「当たるとも限りませんが」


 マシディリは、笑みの質を揶揄うようなモノに変えた。

 聞いてきたのはクイリッタである。きっと、クイリッタもラエテルの話を信じているのだ。


「血なまぐさいことは、生まれてくる前に済ませておきますか」


「フロン・ティリド編入戦なら、既にレグラーレを現地に入れているよ。第九軍団も現地に入れたしね。ヴィルフェットとリベラリスには色分けをお願いしているし、アミクスには親交を深めるようにとも指示したよ」


 第九軍団は新設の、そして若い軍団だ。


 東方遠征では足下部隊長だったサンヌス出身のパライナ。カルド島属州政府からこれはと引き抜いたヘグリイスと言った、マシディリの代からの、アレッシアにとっては平民、現地にとっては有力な血筋の者。


 ヴィンドの子であるヴィルフェット、ネーレを父に持つバゲータ、アルモニアから後継者指名を受けたリベラリスと言ったエリポス遠征軍の二世達。


 アレッシアに残ったオピーマ派のペディタ・ドドルトと言った、二十代中盤から三十代前半までの若い高官を揃えた、定員を超える軍団である。


 目的は明白。

 育てるため。その過程で兵の減少を見越している、残酷な軍団だ。


「そちらの話では無いのはお分かりでしょう?

 尤も、そちらの場合でもヘグリイスの起用は少々危険視せざるを得ませんが」


「父上の主義と異なると言う話かい?」

「あくまでもそのようなことを言っている愚昧な輩が居ると言うだけの話です」


 クイリッタも本質は理解している。

 マシディリの言いたいことも分かっているのだ。そして、本題についても分かっているからこそ、あまり逸れないようにと踏み込んできていないのである。


「基本路線は寛容で頼むよ。特に、アレッシアを思うアレッシア人に対してはね」

「お言葉ですが、兄上。多数決のためだけに集められた多数は必要ないと思います」


「そうだね。でも、排除も難しい。でしょ?」

「明確な未来図の持たない者達です。やりようは、幾らでも」


「アグニッシモに言ってなかった? 女性に人気のある者は望みの者を落とせる者ではなく、落とした者達の中から選んでいるだけ。欲しい者ではなく、得ている者から選んでいる者が多い。その多くから選ぶから良い人を見つけることができているだけで、それが多くの男からの羨望に繋がっているって。


 同じだよ。

 今いる者達をうまく使わないと」


「兄上。私は例外も居ると伝えたはずです。狙った女性を落とせる男もいると。

 同じでは?

 兄上も、狙った者を高官に据えることが出来ると思います。ならば、有象無象の愚者共は不要ではありませんか?」


「私は、バーキリキ様やデオクシア様に振られているからねぇ」

「アレッシア人ではありません」


「それもそうだ。でも、罪なき者を削り切ることなんてできないよ」

「明確な未来も持たず、批判だけは立派で極端な方に走りがちな者達など、生きていることが罪だと思いますがね」


「厳しいね、クイリッタ」

「兄上が甘すぎるだけかと」


 とん、とクイリッタが両手を広げる。


「父上は、父上の強大な権力が分散されることなく兄上に受け継がれるからこそウェラテヌスの利益になるのだと判断されていました。巡り巡ってそれがアレッシアのためになるとも信じ、道を作ったのです。


 では、他の者がしたことは何ですか?


 アグニッシモは兄上に従順であることをしっかりと示しました。スペランツァは謹慎と呼ばれるまでにつつましくしています。クーシフォスは、オピーマが屈する道を選びました。


 で、父上が親友と言って憚らなかったサジェッツァは?


 あの男は何もしていない。いや、あの男は古きアレッシアにこだわり、時代への反逆者に成り果てた。


 父上のことを師匠と呼んでいるティツィアーノは?


 兄上の権力の一部を奪い、今やエリポス方面の軍事命令権保有者だ。父上の権力を侵食したに等しい。


 二人とも、父上の考えが分かっていてもおかしくない立場なのに!

 リングアの奴はのうのうと兄上の提案を受け入れた。叔母上は簡単に人をリングアにつけた。その裁量権が誰にあるのが良いかが明白にも関わらず!


 奴等は愚者ですか? 兄上。

 私は違うと思います。

 それでも愚者たらしめているのは、周りにいる愚者共。

 多数派を形成することぐらいしか能の無い愚図共を一掃してこそ良きアレッシアが完成すると、私は信じております」


 大きな息を一つ。

 ため息では無い。愛弟の思想も理解しているつもりだ。

 それでもなおと思うのは、結局のところ、思考の違いよりも守るべきモノにマシディリが含まれているかどうかにもなってくるのだろう。


「彼らにも彼らの使い道があるさ」

「不満の種にならなければ良いのですが」


「アフロポリネイオへの内通者の処罰は徹底するよ。それから、疑わしき者に対しても意見書の提出を求めようか。アレッシアをどうしたいのか、それを明確にしてくれってね。

 あとは、戦いに出てこなかった者達をティツィアーノ様の下に送ろうかな。

 エリポスとの戦いは、言うほど財に繋がらないからね。彼らの肥えた腹を使わせてもらうよ。財の補填が欲しければ、エリポスから奪うしかないのなら、やってくれるんじゃないかな」


「ウェラテヌスへの献金が減ります」

「構わないよ。そのためのフロン・ティリド編入戦でしょ?」


「不確かな。あまり、良い策だとは思えません」

「今のままで父上の時と同じような献金をエリポスから受け取れば、それはウェラテヌスが舐められているとなるとは思わない? 金さえあれば何でもする、みたいにね」


「まるで娼婦のようだと」

「彼女らには彼女らの矜持があるさ」

「失礼」


 クイリッタが鼻を鳴らす。

 事実、高級娼婦は賢い者が多い。その頭脳で以て各国の中枢と繋がることもあるのだ。


「クイリッタ。他国への内通者と、アレッシア人同士の争い。二つへの罰を同列にしちゃ駄目だよ。重いのは、圧倒的に他国への内通、売国行為さ。それだけは許さないと言う姿勢を明確にしないと。でしょ?」


「兄上のやさしさが、兄上への刃にならないことを願っています」


 クイリッタが突き放すように言った。

 だが、マシディリは知っている。そうはならないように、他ならぬクイリッタがしっかりと動いてくれるのだと。


 この弟は、何時まで経っても素直では無いのだ。


「何か?」

 思わず笑みがこぼれたマシディリに対し、クイリッタが冷たい声を向けてくる。


「いや。良く母上以外でクイリッタの面倒くささを受け入れてくれる女性を捕まえられたな、と思ってね」

「は?」

「ディミテラのことだよ」


 クイリッタの口が閉じる。目は凍てつく気温そのものだ。


「エリポス計略が続けば、クイリッタをもっと積極的に派遣できたのだけどね。そこは申し訳なく思っているよ」


 軽く言う。

 決して、そのためだけに派遣することは無いのだと言外に言いながら、クイリッタの反発をディミテラとの逢瀬に求めてもいないと伝えるためだ。


「別に」

 クイリッタの声はぶっきらぼうである。


「そう言えば、父上が追放中に過ごしていた別荘の使い道が決まっていなかったね。サテレスも、アレッシアで教育を受けようと思えば近い方が良いだろうし」


「お言葉ですが!」

 クイリッタが声を張り上げる。

「サテレスはエステリアロスです。エリポス、それもビュザノンテン近くにいるべきでしょう」


「少しくらい良いと思うけどね」

「兄上」


 低い声だ。

 今日一番に昏い声である。


 だが、その目に宿る剣呑さも、次の瞬間には鞘に納められた。


「兄上がお望みなら、その通りに致します」


 今度は、マシディリが表情の維持に努めざるを得ない番であった。


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