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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十六章
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マシディリの政体

「し、しかし」

 奴隷が困り顔で目を高速で泳がせた。


 マシディリもべルティーナも、奴隷を厳罰に処したことは無い。それは偏にそれほどの落ち度を持った奴隷がいなかったからであるが、二人の性格も関係ない訳では無いのだ。


 ただし、当主の妻と言う家内二番手の者の言葉に反対して大丈夫であると言う保証は無いのである。弁えているからこそ、恐れてしまうと言うモノだ。


「遠征について検討し直さないといけないからね。私も、ティツィアーノ様とは話したいかな」

「あら。今はやめた方が良いのでは無くて?」


 べルティーナがはっきりと言う。

 半ば気圧されているのは、正面にいるアグニッシモだ。家内奴隷は結論が出るまで極力存在感を消すことを選択したらしい。

 結果として、アグニッシモが一身に圧を受ける形となる。無論、討論の先はマシディリであるのだが。


「フロン・ティリド遠征はあくまでもマシディリさんの軍事命令権で行われる遠征よ。全てを決めるのはマシディリさんで、兄さんは従わなければならない立場。平等では無いわ。


 そもそもアスピデアウスの当主は父上で、次期当主有力候補は兄上よ?


 その中で、グライオ様と言うウェラテヌス派の柱石を失った後に堂々と正面からやってくるなんて兄さんは何を考えているのかしら」


「私のことを思いやって、だよ」

「だとしても、考えが足りていないとは思わない?」


「っす」

 アグニッシモが気圧されたまま、小さく肯定する。


 きっとよく考えていない発言だ。

 この勇猛な弟は、その実、姉たちに弱いのである。妹たちにも溺愛が勝ってしまうのだ。


「マシディリさんの四人の副官と呼ばれる人が本当に対等なら、兄さんの態度はおかしいのよ」

「随分とご立腹だね」


「ええ。だって、乱す行動だもの。あるいは、ウェテリを戴く私に対する挑戦と言っても良いのではなくて?」

「挑戦?」


「そうよ。兄さんの行動は、良好な関係を築きつつあった兄上とマシディリさんの間に割って入り、アスピデアウスの当主とならんとする野心があると言われる行動だもの。あまり、よろしくは無いわ。過激派が後ろについていることもね」


 それは、ウェラテヌスとしても、アスピデアウスとしても。その両方を名に戴くべルティーナだからこそ強く出る言葉なのだろう。


(父上ならば)

 いえ。もう、止めましょう。


 そう思い、マシディリはぐいと力強く愛妻を抱き寄せた。ちょっと、と慌てる声が聞こえてくる。それでも、愛妻の手は拒絶では無く転ばないように気を付けるためにマシディリに回されてくる。


「ティツィアーノ様にお伝えください。宗教会議の出席はご自由に、と」

「ぁ、かしこまりました」


 少しの間は、家内奴隷が自分に向けられた言葉だと理解するまでの間。

 そうして家内奴隷が離れた後で、弛緩したアグニッシモに目を向ける。腕の中の愛妻は、すっかり抵抗を止めたようだ。諦めに近い。



「クイリッタを執政官にしてアレッシアに残すよ。アグニッシモ、選挙の準備を手伝ってあげてくれないかい?


 それから、べルティーナもリリアントや義姉上伝手に間接的なアスピデアウスの協力を頼むよ。そうして、婚姻関係を結ぶことになりそうなティツィアーノ様からの支援も引き出してしまおうか。


 あとは、ユリアンナにクイリッタの分の招待状を工面してもらうよ。モニコース伝手に、欲しいのならとタルキウスにも工面してあげようか。


 私は宗教会議には出ない。

 呼びたければ来い。


 私が見るのは、フロン・ティリド中央部の宗教さ」


 父の努力をどぶに捨てるような行為だろうか。

 いや、そんなことは無い。

 父は、決してエリポスに媚びたかった訳では無いのだ。利用しただけ。アレッシアがアレッシア人を一番に考えるために。


 継ぐべき意思の一つは、それ。

 決して行動を真似することを期待していた訳では無い。


(期待に応えるのがウェラテヌス)


 ならば、マシディリがするべきことも定まってくる。

 霧がかかっていた景色が、すぅっと晴れていくように。


「テラノイズ様にフィルノルド様が使っていた軍団兵を付け、スィーパスへの一撃を命じておこうか。ハフモニにはスクトゥム様を入れて、アテム様の経験にもしてもらおうかな。その後でファリチェとヴィエレを派遣して、プラントゥム西端にもう一度楔を打ち込んでもらうよ。


 ただし、報告は固定。

 グライオ様の死によって少々の動揺が見られ、これ以上の進軍は物資が足りませんってね」


 スクトゥムの父カリトンであれば、そのまま攻めることも出来ただろう。

 だが、スクトゥムにその才覚は無い。残酷な真実だが、それを受け止められる強さがスクトゥムにはある。ならば余計な戦いにもなりにくいだろう。


 そして、ファリチェは父のことを良く学んでいた被庇護者だ。勇猛なヴィエレが攻撃の主体になるだろうが、首輪を持つこともできる人間である。


 アスピデアウス派のテラノイズを起用するのは、ティツィアーノへの苦言代わり。


「ジャンパオロ様と会談を持ちます。それから、レグラーレ!」

 大きく声を張れば、数秒後に幼馴染が現れる。


「サジェッツァ様がアレッシアでの会談に参加できない日を探しておいてください。ルカッチャーノ様も動かないように。その隙に、建国五門会議を開きます」


 来るのはウェラテヌスとニベヌレス、ナレティクスだけになる。

 無論、重要な決定をするつもりは無い。大事なのは、アスピデアウスとタルキウスが参加できなかったと言う事実。


「アナスト様も、プラントゥムの方へ送っておきますか」

 それはタルキウスの軍事力を散らせることを意味する。


「むしろ、エリポスの宗教会議の日にぶつけてしまうのは如何でしょう。その時期にサジェッツァ様を切り離すのも良いのではありませんか?」


「うん。それもそうだね。レグラーレの言う通りにしようか」


 グライオの死。

 これは、必ず他の者達が活発化する出来事だ。多くの調整が必要であり、気を抜けば本当に大丈夫なのだろうかと言う不安が鎌首をもたげる。


(ですが)

 アグニッシモが、最も多くの戦場を共にした弟が一線を引いたのだ。どこか幼い気質の抜けない、可愛い弟が覚悟を定めたのである。


 マシディリならば出来ると、羨望と期待を持って。


 ならば応えなければウェラテヌスの当主では無い。


 幸いなことに『理知的な者』『心ある者』はグライオが自裁を選んだ要因の一つに、グライオ自身がマシディリの政敵となりかねない土壌があると気づくだろう。


 その者達を、味方とする。

 グライオの存在を大きなモノであると知らしめるために、敢えて大きな動きを見せる。


 クイリッタに大きな権限を与え、そのクイリッタがマシディリにかしずく形をとることで力関係を明らかにするのだ。


(父上とマルテレス様は同格でした)


 イフェメラとサルトゥーラも同格だった。

 追放中のエスピラに代わる新進気鋭の人材と、外聞の悪くなったサジェッツァに代わる腹心の人材。国家を引っ張る対等な二つの存在の代理者達。その対立が、最終的に国を割りかねない大反乱へと繋がったのである。


 そうであるならば、やることは一つ。


 マシディリに並ぶ者が無ければ、国を割る可能性は非常に低くなるのだ。


 義父サジェッツァは高齢。スーペル・タルキウスはさらに歳を重ねている。グライオも亡くなった。


 なるほど。

 ぐるりと見渡してみても、現時点でマシディリに匹敵する人物はこれ以上は残っていない。


 ならば、ウェラテヌスの当主になることを放棄し、マシディリに忠実であることを誓っているクイリッタを立てつつ、クイリッタに対立意見とのやり取りを任せれば、あくまでも他の者が対等なのはクイリッタと言うことになる。


(問題はクイリッタの後継者を作ることが不可能なことだけですが)


 一歩ずつ。

 まずはマシディリの後継者と言う地位を並ぶ者のいない地位にしてしまえば、調停者としても動きやすくなるだろう。

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