父上のように……っ
「本当にっ、父、上が、生き、ていたらっ。こんな、式だ、ったの、かなって」
泣きじゃくるフィチリタの手を、やさしく握り、止める。
目元を拭う妹の手の代わりに、ゆっくりと布を押し当てた。肌を傷めないように、やさしく。ふんわりと。
化粧が崩れるよ。
笑っていた方が父上も母上も喜ぶよ。
主役だから。笑顔でいてほしいな。
幾らでも、かける言葉は浮かんできている。でも、どれも口にはしない。全て、少々無責任な気もしてしまうのだ。
(父上ならば)
きっと、フィチリタに沿ったフィチリタの心を満たすフィチリタへの声掛けが出来たのだろうか。
「フィチリタさんにそう言ってもらえると、皆報われるわ」
べルティーナがおだやかに言い、そっとフィチリタの両肩を抱いた。
フィチリタの肩が、より大きく揺れていく。
べルティーナがしっかりとフィチリタを抱き締め、頬を寄せた。義姉と妹。そこから生じる親愛の情。それ以上の関係性がそこにはある。関係の悪化が誰の目からも明らかになった時に嫁いできた義姉と、その義姉に良く話しかけていた妹。愛情持ってしっかりと抱擁するべルティーナと、そのべルティーナに体を預けるように頼っていくフィチリタ。
二人の絆は、誰が見ても明らかである。
「あなたはフィチリタ・ウェラテヌスよ。辛くなったらいつでもいらっしゃい。何も無くても、来て良いのよ。此処もフィチリタさんの居場所なのだから。
そして、貴女がウェラテヌスの娘としてオピーマとの懸け橋になることも願っているわ」
やさしい言葉と、甘やかすだけには終わらない背筋の伸びた言葉。
(やはり、良い女性ですね)
愛妻には、常に芯がある。
はっきりと定まった芯に基づき、動いているのだ。
(私はどうなのでしょうかね)
国を割るのは愚か者。
そう思いながらも、今やっていることは何か。
アスピデアウス派だけでは無い。イフェメラにマルテレスと英雄を二人も処罰しているのだ。
「フィチリタも結婚かぁ」
ぐずり、と涙を拭ったのはもう一人。アグニッシモも、だ。
「私の時は泣かなかったくせに」
レピナが冷たく言う。
「レピナの時も寂しかったに決まってるじゃん」
「うわっ。きもっ。近寄らないで」
「うべぇ」
両手を広げ、右足を軸に綺麗に回転したアグニッシモを、レピナがセアデラを盾にかわす。そのセアデラは「熊に抱きつぶされる」と棒読みで言いながら、逃げ出そうとはしていない。アグニッシモはセアデラでも構わないと言うように、さみしいよー、と揺れ出した。
「さみしい?」
「さみしい!」
次女が小さく真似し、長女が元気良く言って次女を抱きしめた。
(もう交ざらないか)
五歳となったリクレスを見ながら、思う。
それでも、自分もしたくなったのかマシディリを見上げてきた。マシディリがしゃがむ前に、ラエテルが呼び寄せ、よいしょ、と抱っこする。
可愛らしい光景だ。
父上はふぃー姉を送らなきゃいけないから、という言葉にもやさしさが溢れている。
「そろそろ行こうか」
と、口には出さず、目でべルティーナに伝える。べルティーナはもう少し待って、とでも言いたげに目を閉じた。
無理はしない。
判断をべルティーナに任せ、その後にフィチリタを神殿に送り、そこからクーシフォスへと送り届けるだけである。
紫のペリースをはためかせ。
父のように、堂々と。
「マシディリ様」
一通りの作法を終えた後、人ごみに紛れるようにしてレグラーレが背中についた。
「第一軍団の方々ですが、やはり、予想通り『特等席』を確保しておられました。非常に声も大きく、楽しんでおられるようで。周りの者から見た存在感も、圧倒的なモノでした」
「やはり、ですか」
第一軍団は既に隠居した者も多く居る。エスピラの死を機に剣を置いた者も居る。
だが、結成当初は非常に若い軍団だったのだ。
四十代前半の者もそれなりにおり、四十代の者だけで構成しても十分な数になる。
「闘技場も戦車競技場も、予定通りに進めるように、と。劇場の公演の呼び込みも開始してかまいません。引き続き、父上が作られた盛り上がりを想起させる宴を」
本来ならば、その裏で新郎新婦が契りを結ぶのだ。
だが、これはマシディリにとっても隠れ蓑になる。故に、騒ぎを大きくして、軽く挨拶も交わしながら、最高神祇官として神殿へと。
フィチリタは「父上は拒絶しなかった」として受け入れたが、妹の要請を受け入れて隠れているティツィアーノの下へ。
「まさに豪華絢爛。マフソレイオやエリポスの名品はもちろん、フラシのさらに南方、スィーパスが封鎖したがっていたプラントゥム、東方諸部族にトーハ族からも逸品が届き並んでいる様は、エスピラ様以来の権勢が未だにあることを示すには持ってこいですね」
隻眼が窓の外を見る。
目は、決して遠くの喧騒を羨ましがってはいなかった。ただ静かに部屋に身を置き、ゆるりと、結婚式で振舞われている種々の酒を少量ずつ楽しんでいるようである。
「父上が望むような結婚式になったと自負していますよ」
言いながら、マシディリが手に取ったのはいつも通りのりんご酒。父も母も好んでいた酒だ。
「実際、師匠もお喜びでしょう」
「アスピデアウスの多くを呼ばない代わりに、テラノイズ様をプラントゥムから引き抜かせてもらいました」
「テラノイズはアスピデアウス派にとって貴重な武人。兄上が東方諸部族の慰撫に回っている今、良い人選だと思っております」
「サジェッツァ様は不幸なすれ違いが多いため、邸宅に留まってもらっています」
「母上が参加しているのなら問題ありません」
「新しい妹も」
「リリアントか。見栄の強い女が、良くぞあの結婚式で満足したと言うべきか。流石に師匠の娘とは競い合えないと冷静な目はあったと言うべきか」
「べルティーナは嫌っていないみたいですよ」
ティツィアーノが鼻を鳴らす。
どことなく、クイリッタに似ている態度だ。無論、そんなことを口にすれば二人から強烈な否定をくらうのだが、その様子もきっと似ているのである。
「第一軍団を動かすことも考えています」
ティツィアーノの目が、マシディリに戻ってくる。
じろり、と。片方だけになった目で、両目以上の情報を収集するように。
「これまで通りの力は発揮できず、下手をすると不和を巻き起こすだけ、というのが私と父上と兄上の共通の認識ですが」
「名は十分にあります。私が動かせると言うだけで十分に抑止力になりますよ。それに、簡単な戦いに投入する予定です」
「贅沢ですね」
「要は、経験豊富な兵団が残っていることをしっかりと内外に示し、父上以来の力がいささかも衰えていないことを証明できれば良いのです。
グライオ様を軍団長に、副官にアルモニア様を付け、シニストラ様、プラチド、アルホールと面々を揃えれば第一軍団の皆様も動いてくれるでしょう。民会をファリチェとヴィエレに抑えてもらい、元老院は、クイリッタに任せます」
優秀な弟だ。
父の神格化を推し進めかねないのだけが懸念点だが、将来的なアレッシア像は共有できている。苛烈な処罰に走りかねない性格もしているが、マシディリのことを考えて寛容性も大いに発揮してくれると信頼できるのだ。
「グライオ様ですか」
「そんな声を出さないでください。間違いなく、今のアレッシアで一番軍団から信頼される方ですよ」
「故に問題なのです。不満を持った者が担げば、対処できますか?」
「ティツィアーノ様」
声を低くする。
ティツィアーノの態度に変化は微塵も感じられない。
「グライオ様の忠誠は師匠にしか注がれていません。アレッシアでは無いと、議事録にも残っています。それが許されるだけの能力があり、今も第一軍団の一部はリングア様を守ると言う名目でアフロポリネイオに渡っている。
十分に、エスピラ様の言う「リングア様を担ぎ上げる勢力」に該当しうる存在になり得ることをお忘れなく」
「だからこそ第一軍団を引きはがすのです。リングアを守るために」
「リングア様を守るために」
「父上なら、そういたしました」
父にとっての一番は母だ。
次に、子供達がやってくる。
そのためにはアレッシアに多少の不利益だって被らせるのだから、これは、アレッシアを纏めるのに必要な行動である。
そう言い聞かせ、マシディリは拳を握りしめた。




